第3話 雨上がりの洞窟にてⅢ

「――百花斉放」

 キン、と音を立てて納刀するイロハと、背に大剣を戻すハニー、そして本物のトナカイよろしく首を振りたてるサイバーレインディア。二人と一騎の足元には、トロールをはじめとする大柄な蛮族たちが転がっている。溢れる血が土色の水に混じり、さらに淀んだ色を作り出していた。

「増援は?」

「今のところ大丈夫だけど、こいつらが本当に様子見に来ただけなら、のんびりしてる暇はねぇな。怪しまれるだけならまだしも、最悪逃げられちまう」

「分かった。すぐに行くぞ」

 ウィリアムとハニーのやり取りを聞きながら異界の門を閉じる。扉の頂で装飾と化していた“扉の小魔ゲートインプ”ジェニーが、元の人形に戻るや否や、こちらを向いて踊るような仕草を見せた。

『やったわね、アリー!』

「早くケースに戻りなさい」

『もー、つれないんだから! 今度はゆっくり、おしゃべりしましょうね!』

 甲高い魔神語で馴れ馴れしく告げると、人形は旅行鞄に吸い込まれるように消えた。わがままなパーソナリティを感じさせる物言いとは裏腹に、あっさり封入を受け入れるのは、ある種の帰巣本能が働いているからだろうか。

 一連の様子を興味深そうに見ていたイロハが、獣変貌を解いて尋ねる。

「些末なことでござるが、アリエッタ殿はジェニー殿に対して淡泊なのでござるな」

「小さくても魔神なので。過度のコミュニケーションは禁物です」

 実際、“扉の小魔”に気を許したばかりに、唆されて悪事を働いてしまった魔神使いは大勢いるという。愛らしい使い魔を演じていても、別世界に生きる狡猾な生物であることに違いはないのだ。その危険性を常に意識することが、デーモンルーラーとしての第一歩と言っても過言ではない。

 淡々と、教本を読み上げるように答えるアリエッタに、イロハは深く頷いた。

「やはり、アリエッタ殿は正しい魔神使いでござるな」

「……イロハちゃんは、正しくない魔神使いと出会ったことが……?」

「未だないでござる。拙者は」

「…………」

 彼女の故郷の人々は、積極的に魔神や魔域と戦っている――つまり、そういうことだろう。

 ハニーが隊列を組むよう号令をかけたため、それ以上は追及も想像もできなかったが。


 ***


 努めて静かに、しかし素早く坂道を下るうちに、雑多にものが詰め込まれた広場に出た。

 天井から垂れる鍾乳石に、いくつも麻の袋がくくりつけられている。中身はどれも、保存の利く食料のようだ。下に目を落とせば、あちこちに真水や酒のタルがある。奥に続く道も見えたため、ウィリアムはいっそう声を潜めた。

「倉庫として使われてるみたいだな」

「むむ。この剣、なかなかの値打ちものではござらぬか?」

 そう言ったイロハが、手近にあった短剣をかざしてみせた。柄に色とりどりの宝石が散りばめられている。人族から奪った儀礼用の品だろう。

「例の魔動部品は?」

「う~む……なさそうでござるな」

「この環境です。少しでも湿気の少ない場所に保存しているか、あるいは別の場所に運んでしまったのでしょうか?」

「……待った」

 左手のひらを全員に見せつつ、低く鋭く声を飛ばした。仲間たちが動きを止めるのを気配で察しながら、忍び足で先に進む。

 先に続く道の、地面すれすれの位置に糸が張ってある。目で追った先には鍾乳石。その裏側を覗き込むと、まるで隠れるように竹の筒が吊るされていた。気づかず進むと糸が切れ、竹筒が落下し、大きな音を立てる――そんなアラート装置だろう。単純ではあるが、音の響きやすい洞窟内では有効な手だ。

 慎重に竹筒を外し、糸を取り除く。それを見て察したか、イロハも辺りを注視し始めた。ウィリアムが作業を終えると同時に彼女が頷くのを見て、ほっと一息ついて合図する。

「他の罠はないでござる」

「サンキュ。まあ、罠ばっかの拠点とか使いにくいしな」

「つまり、敵が近いというわけか」

 す、とハニーの眼差しが険を増す。感情表現が豊かとはいえない男だが、最近は少しずつ機微の変化が読み取れるようになってきた。

「改めて隊列を組め。不意打ちができる状況ではなさそうだ」

「了解でござる」

『アリエッタさん、魔力に余裕はありますか?』

「まだ大丈夫です。ありがとうございます」

 声をかけ合う仲間たちに目を細めながら、クロスボウを展開して太矢を構える。

「…………」

 先ほどの戦いで、トロールに矢を撃ち込んだ時のことを思い出す。敵の防御力に対して、矢の威力が弱すぎたように見えた。ブロードヘッド・ボルトを使用し、殺傷力を高めていたにもかかわらず、だ。

(そろそろ、別の武器に持ち替えた方がいいかねぇ……)

 太矢の一発で致命傷を受けるような獣だけが、自分たちの敵ではない。現実の厳しさに苦笑いしながら、仲間の背を追った。


 ***


 サイバーレインディアを始め、ハニーが操る騎獣は隠密行動に向いていない。いずれも重量がある分、足音が大きくなりがちなことに加え、胴体の魔力炉が常に駆動音を発しているからだ。かといって騎乗せず行動すれば、突発的な戦闘に対応できないおそれがある。基礎性能が抜きん出て高い反面、正面から戦闘を仕掛けるしかない不器用さは、無視できない欠点と言えるだろう。

 しかし、今回は問題なかったようだ。姿をさらした自分たちに、蛮族たちは一様に驚きの眼差しを向けてくる。察知されて逃げられた可能性はないと見ていい。

「何だ、貴様らは!」

 武器を構え、漆黒の巨人が吠える。先ほどのトロールに似ているが、体格も筋量も桁違いだ。上位種のダークトロールだろう。

 他には、ランブルフィストが二体と、ゴブリンシャーマンが一体。種としての格を考えると、先のダークトロールがリーダーに違いない。物理攻撃と魔法攻撃の両面に長じた手強い集団だ。崩すならば、

「数を減らしてください! 最速で後衛を撃破します!」

「あいよ、っと!」

 異界の門を開いたアリエッタの指示とともに、ウィリアムの魔力の太矢が飛んでいく。狙いはランブルフィストだ。柔軟にして強固な皮膚に、深々と矢が突き刺さるのと同時に、瞬時に距離を詰めたイロハが抜刀。足元から一息に斬り上げ、天井まで血しぶきを巻き上げさせる。

 瀕死の重傷を負いつつも、踏ん張ってイロハの獣面を睨むランブルフィストだが、

『はい、どーんっ!』

 猛進してきたサイバーレインディアに、壁まで吹き飛ばされた。続けざまにハニーが振り下ろした大剣も、もう一体のランブルフィストの肩を捉える。さりげなくイロハの前に陣取り、反撃を阻むのも忘れていないのは、流石としか言えない。

 舌を巻きつつ、アリエッタも追撃を仕掛けようと構えた時、

「ゥオアアアアアア!」

 雄たけびを上げ、ランブルフィストが両腕を滅茶苦茶に振り回した。柔靭な肉体のうち、唯一硬い両の拳がハニーたちに襲いかかる。

 イロハは持ち前の身軽さでかわしてみせるが、

「ぐッ……!」

『あうっ!』

 ハニーとI:2アイツーは避けられない。体重の乗った打撃の雨を受け、双方とも転倒した。隙だらけの一人と一機に、当然ダークトロールは容赦しない。手にする大剣にマナを纏わせ、大上段から振り下ろす。

「死ねぃ!」

「ッ――!」

 咄嗟に身をよじりつつ、大剣を交差させるように構えたハニーだが、勢いを完全には殺せない。鎧を砕かれたうえ、肩にも傷が走った。思わず苦悶に歪む表情からも、あまり浅くないことが窺える。

 背筋に冷たいものが走るのを感じるアリエッタだが、ふと彼らの奥を見て、さらに戦慄。練り上げていたマナの行先を、異界の門から左手の発動体へ変更した。即座に術式を組み、対象との距離を測ると、努めて早口で詠唱する。

 後衛のゴブリンシャーマンが、仲間たちへ炎の矢を乱射した直後、

「抗え、【カウンターマジック】!」

 アリエッタの操霊魔法もまた、前衛の味方のもとで起動した。


 ***


 灼熱を感じるも、想定ほど熱くないことに、ハニーは一瞬だけ戸惑う。

 しかし、視界の隅でこちらに目と手を向けるアリエッタを見て、すべてを理解した。腰のポーチからポーションの瓶を取り出し、肩付近の地面にたたきつけて破壊。飛び散る薬液に肩の傷を浸し、乱暴な応急処置を施す。

「ハニー殿!」

「構うな、行け! 道は開く!」

 イロハの咆哮(リカント語なので何を言っているか分からなかったが、おそらく名前を呼ばれたのだろう)に応じたハニーは、刹那、I:2に意識を集中。生来の念話能力を応用し、思念を結びつける。


 途端に、彼女の疑似人格システム――本国の技術者が組み上げた「人工の脳」とでも呼ぶべき思考回路――の中身が、ハニーの頭になだれ込んできた。


 より精緻に感情を出力するため、あらゆる周辺環境を観測し続けているI:2の脳は、もはや情報の海と言っていい。敵の毛量、足元の水の温度、周囲を飛び交う極小の羽虫の数……明らかに不要なデータまで大量に共有せざるを得ず、目がちかちかする心地だ。

 しかし、そこで終わっては、I:2の相棒は名乗れない。

(起きろ! ランブルフィストにとどめを刺す!)

 指示を飛ばしつつ、彼女から得た情報を精査。攻撃直後の重心の乱れから、確実に命中するコースを導き出す。

(左脇腹を狙え! そこなら奴は避けられない!)

{了解! 右舷ハッチ開放ッ……発射ファイア!}

 大柄ながらも機敏に動き、腹の右側面からガンを展開。魔力炉から得たマナを弾丸に込め、酒樽のような腹めがけて射出する。柔靭な表皮を貫かれたランブルフィストは、言葉少なに倒れ伏した。

(次! ゴブリンシャーマン!)

{了解! 左舷ハッチ開放、掃射機構起動ッ……掃射フルファイア!}

 続けざまに、左の銃に装填されていた弾丸をすべて放つ。次なる妖精を呼び出そうと、宝石を指でなぞっていたゴブリンシャーマンに、回避する余裕はない。両足を撃ち抜かれて悶絶する。

 当然、そこを見逃すイロハではない。

「覚悟ッ!」

 マテリアルカードを中空にスナップし、鋭い牙で咀嚼。金色の特質エネルギーを刃に纏わせ、相手の体を文字通り真っ二つにするように斬り上げる。返り血すら両断する一閃を受け、ゴブリンシャーマンは動かなくなった。

 素早くサイバーレインディアに跨りなおし、一人残ったダークトロールを正面から見据える。I:2とのリンクを維持しているため、彼の表情や力み具合が手に取るように分かった。

 端的に言うと、

「ッハハハハハ! ああ、戦いはこうでなくてはなァ!」

 降伏の意志は皆無だ。戦える喜びに目を輝かせ、再び大剣を振りかざす。受け止めるべく大剣をかざそうとしたが、すぐに中断して攻撃の構えをとる。

「我が声に応じて来たれ、魔境の使徒よ!」

 I:2のセンサーを通して、背後に現れた異形を察知したからだ。

 ダークトロールの顔面を狙い、巨大な黒狼――アザービーストが躍りかかる。爪も牙も、相手の強靭な表皮を穿つには至っていないが、視界を奪うことには成功した。振り上げた得物を、魔神ごと叩き斬る勢いで振り落とす。

 完全に死角からの一撃だったはずだが、ダークトロールはアザービーストを払いのけ、片手で刀身を掴んで止めた。手のひらは裂けたが、その先へ刃が進まない。恐るべき膂力だ。

「この程度で仕留められると思ったか!」

 満面に喜色と嘲弄を浮かべ、あえて交易共通語で煽るダークトロールは、

「いいや」

 ハニーが冷静に返した直後、びくん、と大きく震える。

 やがて倒れ伏した巨漢は、太ももから肩まで深々と切り裂かれ、おびただしい量の血を吹いていた。肉も骨も諸共に、一閃のもとに断たれている。

「――百花斉放」

 致命傷を与えたイロハは、いつものように唱えながら獣変貌を解除し、愛刀を鞘に戻した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る