第3話 雨上がりの洞窟にてⅣ
荷物の山を抱えて『
営業時間は終わっているはずだが、窓からは明かりが漏れていた。自分たちがいつ帰ってきてもいいよう待機してくれているのかもしれない。
「やれやれ、どうにか今日中に戻ってこれたな」
「……お腹が空いたでござる……」
「あー……軽くつまめるもん頼んでみるか」
すっかり元気のない(心なしか耳も力なく垂れている)イロハに笑いかけ、ウィリアムはドアノブを引いた。
「あ! おかえりなさ~い!」
乾いたドアベルの音に交じって、喜びと安堵に満ちた声が飛んでくる。カウンター席に座るネサレットのものだが、その場にいたのは彼女だけではなかった。
「おう、お前らか。遅くまでご苦労さん」
ひょい、とネサレットの隣で片手を上げるのは、深い藍色の鱗を持つリルドラケン。小料理屋のジンだ。手にしているグラスには、果実酒が半分ほど注がれている。ちょっと前に来た、というわけではなさそうだ。
「こんばんは。こんな遅くにどうされたんですか?」
「お魚をお裾分けに来てくださったのよ。で、せっかくだから晩酌に誘っちゃった」
「どうせ明日は休業だし、たまにはな」
愉快げに微笑みながらジンが一瞥したのは、ネサレットの前に並ぶ酒瓶だ。どれも度数が高めのワインで、二本が空。三本目も残り少ない。にもかかわらず、年不相応の童顔はかすかに赤くなっているだけだ。見た目に似合わず、相当な酒豪である。
しかし、ハニーの鎧が損傷していることに気づくと、ネサレットは血相を変えた。
「ちょ、ハニーくん!? 肩それ大丈夫なの!?」
「アリエッタとイロハの魔法で塞いだ。問題ない」
「魔法はあくまで応急処置! すぐ鎧脱いで! みんなも荷物置いてきて!」
「厨房借りるぞ。こんな時間だが、軽く食っといた方がよく寝られるからな」
好意で席を立ってくれるプロの言葉に、イロハが力強くガッツポーズした。もうちょっと控えめに、と言うべき場面かもしれないが、食事にありつける喜びは同じなので黙っておく。
***
武具を置き、手足を洗って、ジン手製のオムレツとスープに舌鼓を打っていると、ハニーとネサレットが奥の部屋から戻ってきた。患部にしっかり包帯を巻かれ、少々動きづらそうにしている彼にも、ジンが夜食を手渡す。
ハニーが食事を始めたのを見計らって、ネサレットが真面目な顔で切り出す。
「おおまかな出来事は、治療がてらハニーくんから聞いたわ。本当にお疲れ様」
そう言いながら取り出すのは、くしゃくしゃに折りたたまれた羊皮紙だ。マギテック協会から奪われたとおぼしき魔動部品と一緒に保管されていた品である。
「ネサレットさんは読めますか? 巨人語だと思うのですが、私は疎くて……」
「ええ。なかなか興味深いことが書かれてたわ」
若き支部長は当然のように頷く。やはりすごい人だな、と尊敬の念を新たにしながら身を乗り出した。
「簡単に言うと『人族から魔動部品を奪取せよ』っていう指令書ね。差出人の名前はないけど、奪った品を運ぶ場所と、その日付が書いてある」
一連の会話を、厨房から戻ってきたジンも聞いているが、ネサレットが声をひそめる様子はない。彼の口の堅さを信用しているのだろう。
「とりあえず、ジョージアさんに調べてもらうわ。何か動きがあったら追ってみたいし」
「はい。お願いします」
「例の部品も回収できたし、報酬も期待できそうだな」
「うむ。あの無礼者には困ったものでござるが」
「無礼者? 何それ、誰かともめたの?」
憤懣を露わにするイロハに、怪訝そうな顔を向けるネサレット。そこで、ウィリアムが洞窟に入る前に生じたいざこざを話して聞かせると、彼女はあからさまに顔をしかめた。
「トミー・ゲスラーね」
「ああ、あいつか」
ジンにも心当たりがあるらしい。よほど有名な人物ということだろうか。
「腕利きか? 装備の質は良かったが」
「……『
ハニーへの返答が皮肉にしか聞こえないのは、アリエッタの気のせいではなかったらしい。隣のジンも肩をすくめる。
「ただ、まあ……会ったなら分かるだろうが、素行と態度は最悪だ。一度は騎士団に入ったが、半年と経たずに追い出されたし」
「なるほど。いいトコの坊ちゃんなのに冒険者やってんのは、それが理由か」
「おまけに、毎晩のようにあちこちの酒場で乱闘騒ぎ起こしてやがる。国中の店から出禁食らうのも時間の問題だな、ありゃ」
やれやれ、と息をつくジンを見ながら、彼はとうの昔にトミーを出入り禁止にしたのだろうな、と察するアリエッタだった。
「まあ、ヤマアラシみたいなものよ。もし街中で見かけたら、知らんぷりして離れなさい。ああいう手合いは相手をしないのが一番なんだから」
と、心底嫌そうな顔で手を払ったネサレットは、追加のつまみを用意すべく厨房に向かった。小さな背中が完全に見えなくなったタイミングで、ジンが額を寄せて教えてくれる。
「ここが設立されて間もない頃、トミー・ゲスラーはネサレット嬢にこっぴどく振られてな。以来、このギルドの陰口をあちこちで吹聴してやがるのさ」
「それは……ひどいですね」
「みっともないな」
言葉を選んだアリエッタと、毛ほども飾らないハニー。同時に漏れた二人の本音に、肩を揺らして笑うと、
「ま、逆を言えば、その程度のことしかできねぇ小物だよ。ネサレット嬢の言う通り、無視すんのが一番利口さね」
そう言って、ジンは果実酒を一息にあおった。
***
ハーヴェス王国の大通りは、日暮れと同時に柔らかい光に包まれる。等間隔に設置されたマナライトを、マギテック協会の職員が一つ一つ起動していくからだ。通りに面した飲食店だけでなく、あちこちの屋台も明るく照らされ、昼にも負けない活気が渦巻く。もちろん、それらから漂ってくる芳しい匂いもたまらない。
「じゅるっ……アリエッタ殿。あの鳥肉の串料理、ちょっと気にならぬでござるか?」
パーティメンバー全員で大衆浴場を利用した帰り道、イロハがよだれを垂らしそうになりながら尋ねた。
「一本だけですよ。ネサレットさんが夕食を作って待ってくださっているんですから」
「合点承知っ!」
許可(?)をもらうや否や、屋台に突撃する後ろ姿に苦笑してしまう。汗を流してきたばかりだというのに、元気なことだ。
「先に行くか。混んでるわけでもないし、すぐ追いつくだろ」
「ああ」
「そういえばハニーさん。肩の傷の具合はど――」
労わるアリエッタの言葉を途中で引きちぎるように、ガシャン。
思わず肩を震わせ、音のした方に視線を飛ばす。大通りから一本入った、飲み屋が並ぶ一角で、中年男性がぐったりしていた。軒先の木箱に頭から突っ込み、破壊してしまったようだ。
何事かと足を止める三人は、
「おうおう、でけぇ口たたいてそんなもんか? もっかい言ってみろや雑魚がよォ」
向かいの店から、ジョッキ片手に現れるトミー・ゲスラーを目撃した。木箱に突っ込んだ――というより吹っ飛ばされたであろう男性の髪を掴み、威圧的に詰め寄っている。相手の意識はすでに朦朧としているが、お構いなしだ。
うへぇ、と渋面を作ったウィリアムは、反射的にその場を離れようとしたが、
「その辺にしておいたらどうだ」
見るに見かねたか、ハニーが向かっていったため、観念して着いていくことにした。
「あ? お前ら……ああ、こないだの雑魚どもか」
こちらに気づいたトミーは、男性を離して立ち上がり、意地の悪い笑みを浮かべて歩み寄ってくる。その脇をすり抜けるように、アリエッタが倒れた男性に駆け寄った。介抱は任せて、目の前のヤマアラシと相対する。
「あの洞窟には何がいたよ? お前ら程度が五体満足で帰ってこれたんだ、大した獲物はいなかったんだろうがなァ」
「その節はどうも。とりあえずさぁ、そのおっさんも伸びちまってんだから、その辺に」
「知りたいなら報告書でも読むか。『読ませてください』と頼むなら持ってきてやるぞ」
「ハニーくんちょっと口閉じよう! いや閉じて! 土下座するから!」
「むむ。皆の者! そんなところで何をし、て……」
煽るハニーを止めようとした矢先、背後からじんわりと殺気が漂ってくるのを感じる。振り返った先には、焼き鳥の串を三本、左手の指の間に挟みながら、空いた右手を刀に添えるイロハの姿が。「一本だけって言われただろ」という指摘を懸命に飲み込んでいる間に、ハニーとトミーの会話が進んでしまう。
「ずいぶん頭が高ぇじゃねぇか。あれか、お前も世の中のルールを教えてください、ってか? ああ?」
「教わるまでもなく、ある程度は知っている。お前の語る『世の中』とやらにも興味はない」
「……立場ってモンが分かってねぇのか、テメェ」
初めて低く唸るように呟いた直後、手にしていたジョッキを力任せに地面に叩きつけた。派手に割れ、飛び散る破片にも構わず吠える。
「弱ぇヤツは! 強ぇヤツに黙って頷いてりゃいいんだよ! ごちゃごちゃ抜かしてイキってんじゃねぇぞ、クソ雑魚が!」
「…………」
滅茶苦茶な暴言に、ハニーの目から温度が失われる。自分から行くことはないだろうが、拳に拳で返すくらいはするかもしれない。
諫めることも、腕を引いて撤退することもできない状況にあたふたしていると、
「でしたら当然、私の言うことを聞いてくださいますね? トミー様」
一触即発の雰囲気とかけ離れた、ふんわりとした声が場を横切った。
その場の全員が、自然と通りの奥に目を向ける。トミーの怒声から厄介ごとの臭いを感じ取ったか、人っ子一人いない路地の暗がりに、ワンピース姿の少女が立っていた。歳は十代半ばといったところだが、身に纏う雰囲気は庶民のそれではない。微笑みの裏から滲む気迫にも、外見離れした圧がみなぎっている。
言いようのない迫力にたじろぐウィリアムに構わず、少女はトミーに笑いかける。
「この半年、各地区の飲食店から、あなた様に関する苦情と陳情が数多く寄せられています。これ以上の粗相は、あなた様の父君にも、ギルドマスター様にも不利益をもたらしかねません。ご理解いただけますね?」
言葉遣いは丁寧だが、大剣を突き付けるような眼力は隠そうともしていない。相手が相手だけに心配になるが、トミーは忌々しげに少女を睨んだ後、
「調子に乗ってられんのも今のうちだぞ、クソガキが」
すれ違いざまに吐き捨てて、路地裏に歩き去った(ちゃんと代金は払ったのか、頭の片隅で気になったが、いったん無視する)。
「……自己紹介が得意な殿方ですこと」
ふう、と肩をすくめた少女は、冒険者らに優雅にカーテシーを披露し、
「ごきげんよう、アリエッタさん。ハニー様も」
先ほどとは打って変わって、可愛らしさ満点の微笑みを浮かべて会釈した。あれ、と怪訝に思う間に、アリエッタが男性の治療を続けながら、しどろもどろに釈明する。
「こ、こんばんは。申し訳ありません、今は手が離せず……!」
「いえいえ。そのままで結構ですので、診てさしあげてください」
「え~っと……どちら様? 二人とはお知り合い?」
その割にハニーが無言のままというのが気になるが、とりあえず尋ねてみると、少女は再び優雅に一礼しつつ、
「申し遅れました。私、アイリス・ハーヴェスと申します」
トロールの魔力撃にも勝る、破壊力抜群の自己紹介をぶち込んできた。
「は……ハーヴェス……!?」
「まさか……皇帝陛下の……!?」
「妹です。母親が異なるので、異母兄弟ということになりますが」
うふふ、と軽やかに笑う国家の重鎮を前に、
「どどど、どうするイロハ!? とりあえず膝か、膝をついて頭を下げればいいか!?」
「否! こういう時は膝では済まぬでござる! 両手もついてお辞儀を……ああ、焼き鳥がっ! 邪魔でござるっ!」
「服で巻いてポイしとけ! 何で三本も買っちゃったんだよ!」
「美味しそうでござったから、つい……!」
言い合う二人を他所に、ハニーが一歩、アイリスに歩み寄って口を開く。
「またお忍びか」
「はい。あちらの屋台で『八味唐辛子』なる新商品が売っていると聞き及びまして」
「……劇物は子供の手の届かないところで管理しろよ、アイリス」
「まあ、劇物だなんて失礼な。れっきとした調味料でございますよ?」
と、アイリスが頬を膨らませてみせたところで、ティダン神殿の鐘楼が鳴った。大きく高らかな音が、午後七時の到来を告げる。
「あら、そろそろ城に戻らなくては」
鐘楼の方角を仰ぎ見て呟くと、アイリスは再びワンピースの裾をつまみ上げた。
「皆々様、ごきげんよう」
「ああ。気をつけて、な」
「私を心配してくださるのですか? でしたら、城までエスコートしてくださいません?」
「お前のようなじゃじゃ馬の心配なんてしていない。お前の周りの人間を心配している」
「ふふっ。反論できませんね」
いたずらっ子のような笑顔でお辞儀をすると、ふっ、と大通りへ踏み出すアイリス。それだけで、小さな痩身は街灯の灯りと人々の喧騒に溶け込んでしまった。
途端に、大衆浴場で流したはずの疲れが肩にのしかかる。イロハも同じようで、大きく長く息を吐きながら、だらりと肩を脱力させた(それでも焼き鳥は手放さないが)。
「よもや、この国の姫君とお会いするとは……寿命が縮むかと思ったでござる」
「ていうか、二人とも知り合いなのか? 特にハニー、思い切り呼び捨てだったけど」
「はっ!? もしや、ハニー殿もまた高貴な身分でござったか!?」
「アイリスとは偶然知り合っただけだ」
またしても姿勢を低くしようとするイロハを見て、ハニーは平坦な表情を崩さないまま、
「それに、俺は貴族じゃない。元奴隷だ」
さらりと――本当にさらりと言ってのけ、ギルドへ向けて歩き出した。
「「…………」」
またしても一緒に固まる二人の背後で、アリエッタは一人静かに、男性の治療を終えるのだった。
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