第3話 雨上がりの洞窟にてⅡ

 立ち並ぶ木々の間を抜け、洞窟の前まで近づく。入り口にたむろしているのは、男女合わせて四人だ。うち三人の顔には、濃い疲労の色が見える。何らかの依頼、もしくは防衛任務の帰りなのかもしれないな、とウィリアムは想像した。

 彼らの足元には、一人の蛮族が転がっている。ボルグハイランダーだ。胸を大剣で貫かれ、地面に縫いつけられていることから、死んでいるのは明らかだ。それ以外に外傷が見当たらないのは、ほぼ一撃で仕留められたからだろうか。

「あ?」

 と、その大剣を引き抜いた青年が振り向いた。

 逆立った金髪。威圧的というより高圧的な眼差し。眉はこれでもかと歪んでおり、強い警戒心と不機嫌さが読み取れる。一体何がそんなに気に入らないのか、名前すら知らない状態では予想もできないが、鎧にペイントされた紋章には見覚えがあった。

「あれは……『闇を討つ銃弾セイント・ブリット』の紋章ですね」

「? 何でござるか、それ?」

 アリエッタも気づいたようだが、イロハは知らなかったらしい。小声で教える。

「ハーヴェスの冒険者ギルドだよ。確か最大級の」

「ほう……ということは、ウチよりもお金がありそうでござるな」

「それ以上は言うな。マスターの胃に穴が開く」



「へくちっ!」

「おいおい風邪か、マスターさ~ん。大丈夫か~?」

「ニヤニヤしながら言うセリフじゃないですよ、ジョージアさん。誰が噂してるのかしら……」

「風邪にはハチミツしょうがが一番さ。飲むかい?」

「違うって言ってるでしょ。てかオスロットくん、早くお店に戻りなよ。ジンさんが困っちゃうよ」



 そんな会話が聞こえたような気がしたが、ウィリアムは気のせいだと思うことにした。

 対して、前方の男は大剣を担いで歩み寄ってくる。先頭で未だに無言を貫くハニーに、険悪な声音を隠そうともせず、高圧的に言ってのける。

「何だ、てめぇら。仕事の邪魔だ、とっとと帰れ」

 その言葉が終わるより先に、イロハの手が刀の柄に触れた。鮮やかな赤毛の下で、双眸にも険しい光が宿る。アリエッタが大慌てで立ち塞がり、後ろ手に制してもなお、剣呑な気配を鎮めようとはしない。

 ハニーはどうだ、と見やってみれば、こちらはいたって冷静のようだ。

「こちらも仕事だ。その洞窟の調査を依頼されている」

「知るか、引っ込んでろ。こちとら一晩も雑魚掃除と御守りでうんざりしてんだ。憂さくらい晴らさせろってんだ」

「……つまり、正規の依頼でここに来ているわけではない、と」

「だから何だよ。雑魚は黙って言うこと聞いてろや」

 暴論を片耳で聞きながら一瞥すると、男の仲間たちは一様におろおろしていた。武器と鎧のランクを見るに、確かに優れた冒険者ではあるのだろうが、ここまで堂々とルールを破り、同行する仲間の立場をも危うくする人間を、ウィリアムは見たことがない。

(すげぇな、こいつ)

 苛立つより先に感心してしまうが、のんきに構えていられたのも束の間だった。

「…………そうか」

 ハニーの目が諦観を帯び、左手が騎獣スフィアを掴んだ。新たに支給されたという大型騎獣で、強引に押し通るつもりだろうか。

「……契約は、履行しなければ。契約は……」

 一方、イロハを止めていたはずのアリエッタも、まるでうわごとのように呟きながら鞄のロックを外した。約束や契約に執着する性分であることは知っているが、見ていて怖気を感じるのは初仕事の時以来だ。

 ストッパーがいなくなったことに肝を潰しながらも、懸命に笑顔を作り、男とハニーの間に割って入る。

「まあまあまあ。依頼の横取りなんて、おたくのギルドの方にもペナルティが行っちまうかもしれねぇだろ? ここは穏便に、な?」

 なんで当たり前のことを説明しなければならないのだろう、と思わなくもないが、表情に出さないよう飲み下す。洞窟の探索が彼一人の独断なら、説得すべきも彼一人だ。さすがにギルドの問題をちらつかせれば退いてくれるだろうと期待するしかない。

 はたして、男は忌々しげにウィリアムの顔をねめつけていたが、

「チッ……分ぁったよ。せいぜい生き埋めにならねぇように気をつけるこったなァ」

 聞けといわんばかりに舌打ちすると、仲間たちに荒く号令をかけ、ハーヴェスの方角へ歩き出した。ロックゴーレムも男に追従する形でその場を後にする。

「重武装の操霊術師ですか……珍しいですね」

「珍しかろうと頭のネジが飛んでんだ。長生きはできねぇだろうよ」

「そうですね。契約の邪魔をなさるというのなら、排除するしかありません」

 真っ当なような、そうでもないようなことを言うアリエッタへの返答に窮するウィリアムの隣では、イロハが憮然とした顔で塩を撒いている。コウゲツの里では、嫌なことがあるとああするのだろうか。意味はさっぱり分からなかったが。

「そろそろ探索を開始する。隊列を組むぞ」

 と、いつもの声音で言ったハニーは、騎獣用のマギスフィアを起動した。出現した鋼鉄のトナカイにI:2アイツーが乗り込み、まるで生物のように身震いしてみせる。

『接続完了! 道幅も十分です!』

「分かった……ウィリアム。一ついいか」

「何だ? ていうか珍しいな、お前から質問とか」

 少々茶化すようなウィリアムの言葉に、ハニーはきわめて真面目な顔で問うてくる。

「理屈も意見も通じない相手に、実力行使を躊躇う意図は何だ?」

「…………」

 馬鹿が相手だとストッパーいないのね、このパーティ。

 今さらながら唖然としたものの、この後の探索やギルド間の関係に支障が出る可能性を、懇切丁寧に説明するウィリアムだった。


 ***


 ぴとん、と水の滴る音が聞こえる。

 連日の雨が染み込んでいるのか、洞窟は全体的に湿っぽく、わずかなくぼみにも水がたまっていた。足場は悪くないが、踏み込む時は滑らないよう気をつけるべきだろう。早くも戦闘時の足さばきについて考えながら、イロハは周囲を警戒する。

「蛮族どころか、動物の気配もしないでござるな」

「ああ。風が抜けてるから、どこかに通じてはいるんだろうけど」

『ところで、アリエッタさん。灯りはそちらまで届いていますか?』

「大丈夫です。ありがとうございます、I:2さん」

 先頭を行くサイバーレインディアが、たいまつをくわえたまま振り向く。通路の横幅は、騎獣が悠々と通れるほど広い。それでも狭く見えてしまうのは、左右に伸びる枝角の圧迫感のせいだろう。

「広場があるな……生体反応は?」

『ありません。小動物もカウントしますか?』

「いや。魔物級のサイズのみでいい」

 会話するハニーたちに続き、ぽっかりと開けた空間に入る。曲がりくねった下り坂の所々に、このような広場(雨水の浸食によるものだろうか)があったが、いずれにも蛮族の痕跡はなかった。ここも同様と見たか、ウィリアムは警戒心ゼロで突き当りへ近づく。

「お、薬草発見」

「? それは苔ではござらぬか?」

「救命草だけが薬草じゃねぇさ」

 そう言うと、ウィリアムはナイフと小瓶を取り出した。岩の壁から深緑色の苔を削ぎ取ると、指先で軽く揉み、地下水と一緒に瓶に落として軽く振る。苔から沁み出てきた粘り気が、水や苔本体と絡み、混ざり合って、どろどろに蕩けていく。

「軟膏、ですか?」

「ああ。他の薬草と合わせた方が、薬効は出るんだけどな」

「ウィリアムさんは物知りですね。猟師をなさっている時に学ばれたのですか?」

「知り合いの受け売りだよ。本職の野伏には及ばねぇ――」


 会話を途中で叩き潰すように。

 洞窟全体が大きく揺れ、轟音が響き渡った。


 イロハは踏ん張りながら、隣でバランスを崩したアリエッタの腕を咄嗟に掴む。

「アリエッタ殿!」

「大、丈夫ですっ……ありがとうございます!」

「I:2。この音は何だ?」

『不明ですが、音、振動ともに入り口の方で発生したと思われます』

「戻るぞ!」

 吠えたウィリアムが先導する形で、固まって坂道を登っていく。来た道を戻っているわけだが、外に出るより早く、全員の足が止まった。

 崩落した土砂が、道を完全に塞いでいた。太い木の根や石ころの合間から、濁った水が噴き出ている。辺りに満ちる土と埃の臭いに、少々混乱してしまう。

「どどど、どうするでござる!? 生き埋めになってしまったでござるよ!」

「落ち着け。風が抜けていたのだから、こことは別の出口があるはずだ」

『ひとまず、この場から離れましょう。いつまた崩れてもおかしくありません』

「そうですね……ウィリアムさん?」

 と、アリエッタが怪訝そうな声をあげた。見ると、いつの間にか最後尾――坂道の下方に移動していたウィリアムが、崩落現場に背を向け、じっと暗がりを見つめている。耳を澄ましているようにも見えた。

「どうかしましたか?」

「……こっちに来い。隠れるぞ」

 低く小さく告げ、手近な広場に飛び込むウィリアム。彼に続き、その場の全員が岩場に駆け込んだ。サイバーレインディアが、たいまつの先端を水に突っ込むのを見るや否や、イロハは刀の柄に手を運びつつ、獣変貌して息をひそめる。

 ほどなくして、坂道の下から三人組の蛮族が上ってきた。いずれも重装備で、歩を進めるたびにガチャガチャとけたたましい音を立てている。

「……トロールが一体、ボルグの重装戦士が二体ですね」

 ぽそりと教えてくれるアリエッタの赤い瞳が、その輪郭に沿って、金色の薄光を帯びている。いつか彼女本人に話を聞いた【デモンズセンス】――暗視能力を得るための召異魔法だろう。今さらながら、デーモンルーラーが操る術の多彩さに舌を巻いてしまう。

「がけ崩れの音を聞いて、様子を見に来たのでしょうか?」

「たぶんな。仕掛けるか?」

 ウィリアムの言葉に、獣の頭で首肯する。わざわざ様子を見に上ってきた以上、あの三人組が敵方のリーダーでないことは間違いない。下層に引き返されてしまうと面倒だ。

 ハニーも同意見だったらしく、そっと大剣を構えながら告げる。

「そうだな。突撃のタイミングを教えてくれ。俺とイロハで先陣を切る」

「こう狭けりゃ不意打ちも無理だしな……了解」

 言うが早いか、音もなく通路のそばに滑り込むウィリアム。展開したクロスボウに太矢を装填しつつ、暗がりに耳を向けている。

(――臥薪嘗胆)

 心のうちで唱えると同時に、ウィリアムが片手を上げる。その一動作が終わるより先に、金色のマテリアルカードを噛み砕きながら、弾丸のごとく跳躍。集団の先頭を行くトロールの、野太い足に肉薄し、

「ッ!」

 腰から肩口へ、必殺の一閃を見舞った。

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