第2話 水路に蠢くものⅢ
「つまり、こういうことだな? お前は下水路でホームレスの男と一緒に暮らしてたけど、昨日の朝、ダークスイーパーの集団に襲われた。で、散り散りになって逃げた先で魔域の入り口を見つけて、他に逃げる道もないから仕方なく飛び込んだ、と」
「そうだ。アイバー――俺と暮らしていたあいつは、どうなった?」
「住処のそばで死んでいた。共同墓地に埋葬するよう、昨日のうちに手続きをしてある」
「そうか…………恩に着る。いいヤツだったんだ」
オスロットと名乗るコボルドはそう言い、懐から太い葉巻を取り出した。くわえたものの、火をつける素振りはない。見た目から入るタイプなのだろうか。なんとも気の抜ける手合いだが、ウィリアムの確認にも、ハニーの報告にも、正直に応じているように見える。
「魔物には襲われなかったんですか?」
「森に入らなければ問題はない。一度だけ川まで水を飲みに行ったが、浮石のような水草に襲われかけてな。あの時は肝が冷えたもんだぜ」
「……ステッピングリーフでしょうか」
浅瀬の飛び石に擬態し、近づいてきた生物を襲う水草だ。頷いて同意を示し、オスロットに先を促す。
「他にはどんな魔物を見た? 蛮族は?」
「蛮族は見ていないな。人間は見かけたが」
予想外の情報に目を見開く一同に、彼は記憶を辿りながら続けた。
ステッピングリーフの襲撃をかわし、ほうほうの体で岸辺の木陰に隠れたオスロットは、魔物が密集していない場所を探していた。そこに、巨大なムカデを引き連れた人間が一人、水を汲みに現れたという。
「まだ若い男に見えたがね。水を汲んだら、すぐ元来た道に戻っちまったよ。ムカデどもも、さも当然のように着いていってたな」
「……どう思う?」
「仮にプレーンセンチピードなら、騎獣として調教を施した場合でもない限り、自在に操るのは不可能です。何らかのマジックアイテムか、魔剣を所持していると思われます。目的は不明ですが……」
「魔物を連れてる時点で真っ当な人間じゃねぇわな。なんなら、虫どもを出入りさせてるのはそいつって可能性まである」
「
三者三様の推測(と憤り)に無言で首肯すると、ハニーは再びオスロットに向き直った。
「その男が向かった先へ案内してくれ」
「もちろんだ。ここを出るためには、お前さんたちに着いていくしかなさそうだしな」
「有り難いけど気をつけろよ? 状況によっては、かばってやれねぇからな」
「ふっ。さてはお前さん、仕事を失ってからこっち、俺が何回パン盗んで逃げおおせたか知らねぇな?」
「知るわけねぇだろ」
「ま、まあ、戦いに巻き込まれないよう後ろで待機していただければ、大丈夫ではないでしょうか?」
「何かあったら大声を出すでござるよ?」
「分かっているさ。ま、レディの前で情けないことを口走る俺じゃあないがね」
パンをくすね続けたという告白はノーカウントなのだろうか。ハニーは疑問に思ったが、口にする意味もないので先を続けた。
「じゃあ出発する。魔物はもちろんだが、人間の痕跡も見逃さないよう注意しろ」
号令をかけて跨る。目指すは川を越えた先――密林の奥地だ。終始無言を貫いた
***
ステッピングリーフが群生する湿地を抜け、しばらく進んだ頃。小高くそびえる岩山が見えてきた、と思った矢先のことだった。
「! 止まれ!」
ハニーが鋭い声を上げ、サイバーリザードに戦闘姿勢をとらせた。後に続いていたアリエッタたちも、即座に武器を取る(オスロットは一目散に後方に逃げていったが、仕方ないだろう)。
岩山に空いた洞穴の周りに、巨大なムカデ――プレーンセンチピードが二頭たむろしている。それらはアリエッタらに気づいたのか、頑強な牙を打ち鳴らし、頭を持ち上げて威嚇してきた。不用意に近づけば、即座に飛びかかってきそうな剣幕である。
しかし、一行の注目を最も集めているのは、
「おやおや、もう冒険者が来ましたか」
のそりと洞穴――簡素な机や本棚が置かれている――から歩み出てくる白衣姿の男だ。浮かべる笑みは柔和だが、丸眼鏡の向こうの目は淀み、危うげな光を孕んでいる。本当にこちらが見えているのだろうか。不気味に思いつつ視線を下へ移すと、首にぶら下がる聖印に目が留まった。
(ラーリス……!)
魔神たちの世界で発生したとされる、出自にも在り方にも謎の多い神だ。第二の剣に連なる神として人族に忌避されているのは当然だが、その教義の危険さと異質さゆえに、蛮族からも敬遠されていることで知られる。要するに、恐ろしく厄介な存在だ。
同時に、ラーリスのそれとは異なる、真っ黒い円盤のようなシンボルをあしらったネックレスも気になったが、
「ようこそっ! 我らが楽園へ!」
突然、男が芝居がかった仕草で両手を広げたため、いったん観察をやめる。まずはハニーが、ムカデたちとの距離を測りながら口火を切った。
「……お前は何者だ。ここで何をしている」
「何を、とは異なことを。神が与えたもうた試練を観測し、記録しているのですよ!」
この人は何を言っているのだろう。心の底から思うアリエッタは、他のメンバーの反応も大同小異であることを察するが、男はまるで気にしていないようだ。
「あなた方はご存じでないのかもしれませんが、“奈落の魔域”とはすなわちっ! 偉大なる神がもたらした奇跡の御業! いずれ人類が乗り越えるべき試練なのですよっ!」
第一印象とはまるで異なる、劇場で歌劇を演じているかのような立ち振る舞いに辟易する。一方で、この男性がラーリスの信徒であることに、アリエッタは納得してしまった。
ラーリスの教えとは、ひたすら「自由」であること。
たとえ法を犯し、秩序を破壊しようとも、自身の欲求に忠実であることを至上とするのが、かの邪神の教えなのだ。
「そして、この魔域は無尽蔵に虫を生み出しては野に放つ! 永遠の平和を手に入れたような顔をした愚か者たちを! 薄暗い地下から食い散らし、より強固な種へ、集団へ進化させるっ! 嗚呼、実に素晴らしいではありませんかっ!」
「――――臥薪嘗胆」
男が言い終えるより先に、イロハが刀を抜いて獣変貌する。これ以上は話す必要すらない、ということだろう。アリエッタも同意見なので、トランクのロックを解除し、ジェニーを呼び出す準備を整えた。
ハニーもまた、大剣の柄を握りなおし、全員に指示を出す。
その、直前。
太い矢が一発、男の頬をかすめて本棚に突き刺さった。
「知らねぇなら教えてやる」
どうして今まで気づけなかったのか、不思議なくらい濃密な殺気を背に受け、思わず振り返る。
クロスボウに次弾を装填したウィリアムは、仲間の視線も、警戒を強めてざわめく虫たちも眼中にないかのように、
「“奈落の魔域”は災害だ。素晴らしくも、めでたくもねぇよ」
男だけを睨みつけ、混じりけのない怒りを吐き捨てた。
明らかな殺意にあてられてか、プレーンセンチピードも完全に戦闘態勢に移行したようだ。わさわさと体をくねらせ、飛びかかるタイミングを計っている。
「ッ……お前たちっ! この愚か者どもを片付けろ!」
男の方も、頬に走った血を拭いながら声高に命じた。懐から取り出した黒い短剣が、どこからともなく黒い虫の群れを呼び出し、使用者を守るように群がらせる。
「!
男が持つ剣の正体を言い当て、異界の門を開くアリエッタの脇を、イロハが駆け抜けた。
***
どんなに激情に燃えようと、狩りが始まれば冷静さを取り戻せるのが自分の長所だと、ウィリアムは自負している。それは今日も変わらない。
「……ふぅ」
小さく息をつき、愛用のクロスボウを構える。未だに腹の底は煮えているが、それを遠くに追いやって、無理やり頭の中をクリアにした。巨大ムカデの頭部に狙いを定め、機を窺う。
そうしている間に、イロハとハニーが二頭に切り込んだ。前者の鋭い一閃、後者の重厚な一撃を浴びてなお、プレーンセンチピードの外殻は砕ききれない。自然界の生物とは思えない硬さに、イロハが小さく舌を打ったのが分かる。
一方、ハニーは冷静だった。
「I:2!」
『はい! 撃ちま~す!』
指示を受けたサイバーリザードが、一頭と正対して口を開く。噛みつくつもりか、と思った直後、喉の装甲が音を立てて駆動。顔を出した銃口から弾丸を射出した。魔動機術と同質のそれは、赤黒い装甲を易々と吹き飛ばし、肉をえぐる。
(そういうこともできるのね……ともかく、ナイス!)
すかさずウィリアムが矢を放った。砕けた甲殻の隙間に滑り込むように命中した鏃が、不規則に刃を突出させ、致命傷を与える。
「しゃべる魔動機だと……? ええい、今は!」
数が減ったことに焦ったか、男は手にする短剣――“奈落の核”を掲げた。まるで号令に応えるかのように、左手の森からプレーンセンチピードが現れ、迷いなくイロハに飛びかかる。サイバーリザードが盾を展開して阻んだものの、ウィリアムは驚きを禁じ得ない。
(まさか、あの剣……この魔域の虫を全部操れるのか!?)
だとしたら、まずい。男はプレーンセンチピードの巨体と数を活かして、こちらに接敵させないまま持久戦に持ち込むつもりだ。早急に男を倒し、“奈落の核”を奪いたいところだが、暴れる大型の魔物と、防壁のように男を囲って飛び交う羽虫の群れが、越えがたい壁として立ちはだかる。殲滅速度を上げなければじり貧だ。
焦りを覚えながら矢筒に手を伸ばす。少々迷うが、ダメージを重視するなら魔力の太矢一択だろうか。
「ウィリアムさん。新しく来た方を牽制できますか?」
「いいけど、どうし――」
問いながら一瞥した先で、ごあっ、と。
異界の門の、禍々しい装飾が施された扉の隙間から、青白い炎が噴き出した。
「供物はここに。使命はここに」
アリエッタの詠唱に応えるように、噴出する炎が勢いを増す。実際は炎ではなく、高密度のマナが溢れているだけなのだが、風もないのに激しく揺れるさまは炎のようにしか見えなかった。
「我が声に応じて来たれ、青銅の魔剣士よ!」
放られた供物――太く立派な植物のつるを、揺らめくマナが絡めとって焼き尽くす。舌のような、あるいは尾のような動きを見て我に返ったウィリアムは、慌てて視線を前に戻した。普通の太矢を装填し、新手のムカデに射出。外殻を傷つけつつ、より深く踏み込まないよう牽制する。
ほとんど同時に、
「ゥハハハハハァ!」
歓喜と嗜虐に満ちた野太い笑い声を上げ、門から一体の魔神が飛び出した。手にする大振りの剣に、青白い炎のように猛るマナを乗せ、巨大ムカデの頭部へ振り下ろす。
一撃で脳を潰したことを確認すると、それは嬉しそうに、剣にこびりついた血を舐めとった。青銅色の肌にねじれた角、身長とほぼ同じ長さのしなやかな尻尾。魔術と剣術の双方に通じる魔神の剣士、グルネルだ。
「そのまま、っ、虫を狙って!」
ゴーレムを乱戦に送りつつ命じるアリエッタは、かなり息を乱している。より高い戦力が必要と見て、自分の力量を超える魔神を呼んでしまったのだろう。そういうことが可能だと聞いてはいたし、有り難いのだが、あまり無茶はさせられない。
「たたみかけろ! 短期決戦だ!」
前衛二人に吠えながら、今度こそ魔力の太矢を引っつかんだ。
***
魔神グルネルの一撃に、プレーンセンチピードの陣形が乱された。すかさず獣人がこちらに肉薄し、鋭い突きを繰り出してくる。咄嗟に羽虫をけしかけたが、間に合わない。決して浅くない傷が肩に口を開け、血が飛び散った。
「いッ……たい、ですねぇ!」
忌々しさに吠え、短剣型の“奈落の核”を掲げる。新たな大ムカデを一匹呼び寄せ、敵の騎手を中心とする乱戦に突撃させると、続けざまに術式を練り上げた。
「我が神を恐れよ! 【フィアー】!」
「ッ……!」
目の前の剣士が、膝から崩れ落ちる。身体能力や知性に優れる一方、魔法にめっぽう脆いのがリカントの弱点だ。恐怖で動きを縛る魔法など、最も苦手とするところだろう。
「我が神に背いた、その不忠を呪いなさい!」
知らず、愉悦の笑みを浮かべる。手にする短剣で狙うのは、がら空きになった首――
振り上げた手を下ろす、一秒前。
『させませんよ~!』
急に視界に入ってきた銀色の物体が、手を弾き、そのまま顔面を直撃した。
あまりの衝撃にのけぞりつつも、意識は保って眼前を見据える。
『指一本触れさせません! 大丈夫ですか、イロハさん!』
「かたじけないっ……これ以上、無様は晒さぬ!」
『大丈夫ですね! リカント語は分からないのですが、雰囲気で察しましたとも!』
頭を掻きむしりながら体勢を整えるリカントをかばうように、鋼鉄の巨竜が立ちふさがっていた。思わず見上げた先で、動力炉のものとおぼしい低い駆動音が、獣の唸りのように響く。
「…………は?」
疑問と驚きで停止した思考回路を揺り起こし、目を凝らす。
「せあッ!」
先ほどまで竜に跨っていた騎手が、プレーンセンチピードの胴を大剣で串刺しにしていた。すかさず魔神使いとグルネルが追撃をかけ、頭部を微塵に刻みつぶす。
(自立行動する魔動機だと……そんな、馬鹿な……!)
魔動機は、命令に従うことしかできない。自分で思考することができない以上、騎手自ら操縦する必要がある。にもかかわらず、この騎獣は主人を置き去りにし、乱戦を抜け、リカントを守りながら戦うことを自分で考えてみせた。
そんなことができるとしたら、魔動機文明時代に失われた超技術――いわゆる人工知能の再現ということに、
『隙あり!』
二秒に満たない思考も、羽虫たちの壁も、鋼鉄の尾に造作もなく蹴散らされた。脳天を震わせる一撃が生んだ隙を、リカントの剣士は逃さない。虚空に鮮やかな軌跡を刻み、刀の峰で襲いかかる。
側頭部で響く固い音。頭が揺れる感覚。それらに一歩遅れて、
「――――百花斉放」
獣の唸りにしか聞こえない呟きを捉えたところで、男の意識は途絶えてしまった。
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