第2話 水路に蠢くものⅡ

 はしごを伝って下水路に降り立ったハニーを、カビの臭いと暗闇が迎えた。わずかに眉を寄せたが、努めて気にせずたいまつをかざす。

 濁った水が流れる水路を、石造りの通路が挟むように伸びている。時に曲がり、時に折れるこれらは、すべて魔動機文明時代に建造されたもので、当時は魔動機械で点検作業を行っていたのだという。サイバーリザードに跨っても問題なく大剣を振るえる広さは、当時の技術力と、整備用魔動機の巨大さを物語るかのようだ。

「魔物を見かけたのは、ここからしばらく南下した辺りです。でっかいナメクジとか、派手なアリとか、色々いましてね。勘弁してほしいですよホント」

 顔をしかめるのは、案内を買って出た渡し屋ギルドの職員だ。うんざりした語調だが、恐怖を抱いているようには見えない。魔物の出没は、さほど珍しいことではないのだろう。

「案内ご苦労様でした。あとは俺たちに任せて、上に戻ってください」

「はい。どうかお気をつけて」

 ウィリアムの労いに一礼し、男性は地上に戻っていった。パーティメンバーのみとなったことを確認し、ハニーはサイバーリザードを解放した。マギテック協会のエンジニアに協力を仰ぎ、胴部に装着した大盾が、I:2アイツーの接続と同時に青白いラインを帯びる。

『アイアンシールド、正常駆動。その他の回路も問題ありません!』

「分かった。準備はいいか?」

 鈍色に光る機体を軽く叩きつつ、背後を見やると、

「大、丈夫です」

「了、解で、ござ候……」

 アリエッタの固い笑みと、いつもの口調が崩れるほど疲弊したイロハが見えた。二人を見守るウィリアムの苦笑も、どこか冴えない。気持ちは分かるが、長居したところで不快感が和らぐわけではないのだ。話を進める。

「俺が先陣を切る。ウィリアム、殿は頼んだ」

「りょ~かい。離れすぎないように気をつけてくれよ」

「アリエッタとイロハは左右を警戒しろ。アリエッタは、必要に応じて【デモンズセンス】の行使も視野に入れてほしい」

「かしこまりました」

「うむ……」

 切り替えたのか、アリエッタが眼力を取り戻す一方、イロハは相変わらず辛そうだ。しかし、目は油断なく周囲を見回している。ウィリアムから(触りだけとはいえ)教わったというスカウト技術を、さっそく活かしてくれているようで何よりだ。

 全員が装備を構えたのを確認し、サイバーリザードの背に乗る。表示されるデータ――騎獣の知覚が捉えた情報を見る限り、周囲に動物は見当たらない。安全に進めると判断し、渡し屋ギルドから預かった簡易地図を広げた。

「まずはまっすぐ南下だ。ゆっくり進め」

『了解です!』

 はつらつとした女性の声で応じると、サイバーリザードが太い脚を動かし始めた。その駆動音が思いのほか大きく響く分、後続の仲間たちの話し声も、自然と大きくなる。

「ゔ~~~……鼻がいいというのも考え物でござるなぁ……」

「あ。イロハちゃん、あそこ。水路の中で何かが光りませんでしたか?」

「気のせいでござろう、アリエッタ殿。気のせいと言ってほしいでござる」

『はは~ん。さてはイロハさん、洋服に臭いをつけたくないのですね?』

「ありゃガメル銅貨だな。わざわざ拾うほどのもんでもねぇだろ」

「そういえば、アリエッタ。下水路の魔物というと何を思いつく?」

「先ほどの方がおっしゃった外見で考えるなら、ジャイアントスラッグと……おそらくはパープルアントだと思います。後者は“奈落の魔域”シャロウアビス内部での目撃例が主なので、別の虫かもしれませんが」

「そうか……いずれにせよ、危険度は低めと考えても――」

『マスター』

 主人の言葉を遮るように口を開き、I:2が足を止めた。ちょうど下水路の合流地点にあたる場所だ。

「どうした」

『左方向に奇妙な物体を確認しました。小屋のように見えます。近づいてみますか?』

「……ああ。速度は維持しろ」

 答えながら後ろにアイコンタクトを飛ばした。たいまつの光の中で、全員が頷くのを確認してから角を曲がる。

 I:2の言う通り、通路前方に小屋らしい直方体の物体があった。小屋といっても、木材や石材の切れ端を積んだだけの粗末なものだ。雨の日には汚水に沈んでしまいそうな、みずぼらしいあばら屋である。

 どうしてこんな場所に、と思った直後、

「止まれ」

 その場の全員に告げた。無意識に声が固くなってしまったのは、見つけたからだ。

 あばら屋の向こうでうつぶせに倒れる、人間らしい男性の遺体を。


 ***


 ふう、と息をついて顔を上げると、アリエッタは傍らのハニーに告げた。

「死後半日くらいだと思います。あちこちに傷がありますが、致命傷は首ですね」

「ホームレスか? 入り口には、渡し屋ギルドが鍵をかけていたはずだが」

「下水路の出口から入ったのか、どこかの鍵をこじ開けて侵入したのか……定かではありませんが、そうして出入りしていたのではないでしょうか。劣悪とはいえ雨はしのげる環境ですし、頻繁に警備が入る場所でもありませんから」

 男性の遺体を仰向けに寝かせ、両手を組ませながら言うアリエッタ。虫がたかる死体など見慣れていないだろうに、動揺も嫌悪も示さず観察する精神力は、例の養父のもとで培ったのだろうか。

 想像しながら、横たわる初老の男性を見下ろす。汚れた服から伸びる手足は、まるで獣にかじられた後のように、所々の肉が失われていた。傷口に湧く虫も相まって、正視に堪えない。

「何にやられたと思う?」

「肉食性の生物だと思いますが、詳しいことは分かりません。それと、もう一つ」

 頭を横にし、白髪交じりの髪をかきわける。耳の後ろ辺りに、半透明の粘液が付着したまま残っていた。

「正体は分かりませんが、ジャイアントスラッグの体液でないことは確かです」

「……分かった。ありがとう」

「いえいえ」

 労いの言葉に微笑みを返したアリエッタは、ハンカチを男性の顔にかぶせた。体にも自分の毛布(冒険者用の簡易なものだ)をかけ、膝をつき、両手を組む。あまりに自然な所作は、まるで本職の神官のようだ。

 思わず倣おうとしたハニーだが、あばら屋からウィリアムとイロハが出てきたのを見て、視線で「どうだった?」と尋ねる。

「何もねぇな。ホームレスの家なんて、そんなもんだろうけど」

「パンや真水が保存されていたでござる。地上で手に入れたのでござろう」

「アリエッタの見立てでは、肉食性、それも粘液を扱う生物に襲われた可能性が高い。何か痕跡はなかったか?」

「粘液じゃねぇものはあったぜ。あちこちに落ちてた」

 そう言ってウィリアムが差し出したのは、体毛だ。薄汚れた白い毛束が、彼の指の間で揺れている。

「……犬か?」

「さぁな。まさかペット飼ってたわけじゃねぇと思うけど…………構えろ!」

 突然の鋭い声に、サイバーリザードに跨ることで応じる。元来た道へ向き直ると、たいまつの炎に照らされる、巨大なアメンボの集団が目に飛び込んできた。忙しなく顎を動かし、こちらを威嚇している。数は三だ。

「あれは?」

「ダークスイーパー! 肉食性のアメンボです! 牙と低温の粘液に注意してください!」

 ハニーの問いかけに簡潔に応じつつ、手にする鞄を開け、異界の門を形成するアリエッタ。男性を襲ったのはこの魔物と見ていいだろう、と思う間に、イロハが一匹に肉薄。目にもとまらぬ一撃で足を落とし、続くウィリアムの矢で仕留めてみせる。

 当然、無防備なイロハの背にダークスイーパーが飛びかかるが、

「I:2!」

『お任せあれ~!』

 サイバーリザードを駆るハニーは、イロハをかばうように割り込ませた。鋭い牙を盾で防がせつつ、尻尾と大剣を叩き込む。

「来て、ナズラック!」

 追撃を入れるのは、アリエッタが呼び出した魔神――目玉と触手のみの体を持つ異形・ナズラックだ。体勢を整えようと踏ん張るダークスイーパーに組みつくと、ぬめる触手で頭部を締め上げ、砕き殺した。

 さすがに劣勢と見たのだろう。残された一匹は大慌てで踵を返し、暗い水路を逃げていく。

「追うぞ!」

「承知!」

 号令をかけ、つかず離れずの距離を保ちながらダークスイーパーを追跡する。巣を突き止めるためだ。真意を察したのか、イロハも頭部を獣のそれに変えて並走する。ウィリアムがアリエッタの元にとどまったのは、魔神を送還し終えるまで護衛するためだろう。斥候としても優秀な彼が、自分たちを見失うはずがない。気にせず暗闇を走る。

 どれほど走っただろうか。合流地点を三回素通りし、角を四回曲がったところで、ようやくたどり着いた。

「! ハニー殿!」

「…………」

 イロハのリカント語は分からないが、驚愕しているのだけは伝わってくる。ハニーも同感だった。

 目の前――水路の真ん中に鎮座する“奈落の魔域”に、ダークスイーパーが逃げ込んだのだ。


 ***


「脅威度は7か……うん、みんななら大丈夫! きっと攻略できるわ!」

 手にする赤黒い石板のようなもの――悪魔の血盤で魔域の脅威度を観測したネサレットは、顔を上げて笑みを見せた(鼻と口を布で覆っているせいで、半分も見えないが)。

 知能を持たない魔物が、都市部の地下に発生した“奈落の魔域”を巣のように扱っている。前例のない事態だからこそ一度戻って報告すべき、というウィリアムの主張を受け、『十字星の導きサザンクロス』に帰還してから半日。一行は準備を万全に整え(ついでに風呂にも入り)、早朝を待って再びやって来た。

 イロハは改めて、目の前の“奈落の魔域”を観察する。サイズは半日前と変わらないように見えるが、自分たちが目を離した隙に新たな魔物が出入りしたかもしれないし、今なお拡大を続けているはずだ。一刻も早く消滅させなければならない。

「渡し屋ギルドも正式な依頼として受理してくれたし、頑張ってね! ここで待ってるから!」

「? ギルドには戻らないのでござるか?」

「そこは、ほら……あんまり言いたくないけど、あり得ざる『もしも』のために、ね?」

 含みのある笑みを見て察すると同時に、故郷で参加した任務の様子を思い出す。侵入した部隊が戻らない場合に備えて、これを救助、あるいは回収する人員を確保しておくのが、“奈落の魔域”に挑む際の常道だ。前もって魔域があると分かっているのなら、それに則るのが最善だろう。

 なるほど、と頷いて返していると、

「すみません、お待たせしました」

 アリエッタと、粘土でできたゴーレムがやって来た。彼女が自ら作成したロームパペットだ。全身の所々に顔を覗かる鉱石類は、ゴーレムの機能や能力を拡張するための触媒らしいのだが、門外漢であるイロハに詳しいことは分からなかった。

「おお。魔神だけでなくゴーレムまで操れるとは、さすがアリエッタ殿でござるなぁ」

「ありがとうございます。でも、おじ様に比べたら私なんてまだまだですよ」

「それは比べる相手が悪くねぇか?」

「と言って、他に比べる相手もいないんだろう。アリエッタの中には」

 雑談もそこそこに、ハニーはサイバーリザードに跨った。

「五時間以内に戻らなければ、救援を頼む」

「了解。あまり心配はしてないけど、気をつけてね」

「ああ。イロハ、先陣を頼む」

「了解でござる!」

 下水路の臭いに辟易としていたせいか、ちょっと声が弾んでしまったのは内緒だ。


 ***


 視界が回復するとともに、熱と湿気が全身にまとわりついてきた。アリエッタは思わず目を細め、周囲を見回す。他の仲間も勢ぞろいしているのを確認すると、眼前に広がる密林を見つめた。

 彼女らが立っているのは、鬱蒼としたジャングルの外縁部のようだ。緩やかに吹く風に乗って、木々と土の匂いが漂ってくる。先ほどまでいた下水路も強烈な環境だったが、この蒸し暑さも堪えるものがあった。

「前回より広いな」

「そうだな……とりあえず、あっちに行ってみるか?」

 ハニーに応じたウィリアムは、東の高台を指さした。立派な針葉樹が三本、何かの目印のように屹立している。

「魔域全体を見渡せそうですね」

「ああ。密林を見通すのは無理でも、目指す方向に当たりくらいつけられるだろ」

「……確かに、闇雲に進めるほど楽な環境ではないか」

 一瞬だけハニーが逡巡したのは、早急に森を進んで“奈落の核アビスコア”を見つけるべき、と主張したかったからかもしれない。我が道しか行かないイメージが強いハニーだが、妥当性がある意見まで蔑ろにすることはないのだ。

「そうと決まれば行くでござる! アリエッタ殿、良ければ荷物を持つでござるよ?」

「あ……お気持ちは嬉しいのですが、封入具を手放すのはタブーなんです。“扉の小魔ゲートインプ”を暴走させるおそれがあるので」

「む、それは失敬した」

「いえいえ。イロハちゃんは大丈夫ですか? 暑くないですか?」

「この程度、いきなり溶岩地帯に放り出された時と比べれば、なんてことはないでござる」

 故郷で“奈落の魔域”に挑んだ時の話だろう。それはそれは、と苦笑う他ない。

 話しているうちに丘の上に到着した。眼下に広がる密林を見下ろす。地平線に険しい山々が連なり、そのふもとまで深い森に覆われているが、魔域の入り口が直径数メートルという規模だったことを踏まえると、この世界にそこまでの面積はないだろう。

「川か……」

 ぽつりとウィリアムが呟いた。彼の言う通り、北東の山から森へ川が流れ込んでいる。

「水場は魔物が集まりやすい。できれば避けてぇな」

「森の外縁に沿うように進みますか?」

「う~ん、時間はかかるけど安全なのは………………」

「? ウィリアムさん?」

 はたと動きを止めたウィリアムは、何を思ったか、突然腹ばいになった。何事かと目を剥く一同の視線を意に介さず、地面に押しつけんばかりに鼻を近づけ、深く呼吸する。

「どうした」

「トリュフでもあったでござるか?」

「……下水の臭いがする」

 ぽつりと答え、分析器へ変形させたマギスフィアを装着。しばらく辺りを見回すと、おもむろに背負っていたクロスボウを下ろし、大木――生い茂る葉の上へ向けた。

「降りてこい。敵意がねぇなら撃たねぇよ」

 その一言に、場の空気が一気に緊張する。ハニーとイロハが得物に手をかけるのを見て、アリエッタも鞄を持つ手に力をこめた。

 はたして、するすると幹を伝って降りてきたのは、

「ふっ……俺の隠形を見抜くとは、やるじゃないか坊や」

 無駄にハードボイルドな声とポーズをきめる、一匹のコボルドだった。

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