第1話 呪われた大地Ⅳ

 村への報告を終え、ひと休みしてから街道を南下すること二日(道中、またしてもイロハが食料を食べ尽くそうとしたのは余談)。およそ五日ぶりに戻ってきた『十字星の導きサザンクロス』ハーヴェス支部は、なぜか「閉店」の看板を提げていた。

「あれ? 留守にしてんのか?」

「ネサレットに限ってそれはない。毎日欠かさず掃除をし、依頼人を待ち続ける生活を半年近く続けた女だ」

「悲しい言い方してやるなよ。上司だろ」

「むむっ」

 と、急に鼻をひくつかせたイロハは、ハニーとウィリアムを押しのけるように扉に近づく。ものの数秒で、今にもよだれを垂れ流しそうな恍惚とした顔になった。

「イロハちゃん?」

「……いい匂いがするでござる」

「もういい時間だし、ディナーメニューの仕込みでもしてんのか?」

「ええい、辛抱ならぬ! たのもー!」

「そこは『ただいま』でいいだろ」

 バン、と勢いよく扉を開け放つイロハに続き、他の面々も入店する。途端に、全員の鼻を芳しい香りが貫いた。

 匂いの元は、テーブルを二つ占領する料理の数々だ。海老や魚のフライ、煮つけ、海藻のサラダにスープ。ふんだんな海の幸に交じって、キノコや猪肉らしい山の幸も垣間見える。飲み物も、紅茶やジュースの他、エールやワインまで選り取り見取りだ。

 当然、イロハが飛びつかないはずもなかったが、

「いっただっきまゥッ!」

「手を洗うのが先だ、跳ねっ返り」

 店の奥から現れた、エプロン姿のリルドラケンに阻まれ、酒場の床に突っ伏した。

「あ! みんな、おかえり~! そろそろだと思って準備してたわよ!」

 深い藍色の鱗を纏う巨体の陰から、ひょっこり顔を出したネサレットに、四人を代表してアリエッタが尋ねる。

「ただいま戻りました。あの、こちらの方は……?」

「ジン・レザリウスさん。近くで小料理屋さんをしてるシェフよ」

 紹介されたリルドラケンは、全員に軽く会釈した。動きはゆったりしているが、さりげなくイロハとテーブルの間に移動している辺り、なかなか侮れない。

「ようやく新しいメンバーが揃ったっつーから、祝宴でも、と思ってな。廃棄予定のもんばっかで悪いが、たんと食ってくれ」

「悪いだなんてとんでもない! いつもありがとうございます!」

「気にすんな。その代わり、気に入ったらランチでも食いに来てくれよ。お前らもな」

 ハニーたちにも微笑みかけるジンの背後から、レンガ製のゴーレムが一体、巨大な銀皿を持って現れた。テーブルの中央、空いた隙間にどかっと置かれたそれは、具だくさんのパエリアだ。

「さあさあ! みんな手ぇ洗って、武器も鎧も置いてきて! 祝杯よ!」

「おー! さあ、アリエッタ殿! 早く手を洗うでござる! ご飯ものと揚げ物は最低でも二人前キープせねば!」

「ああ、待ってください、イロハちゃん!」

「アリエッタちゃん」

 戦闘中もかくやというスピードで、裏庭の井戸に突撃するイロハ。慌てて追いかけようとしたアリエッタを、ネサレットが呼び止める。振り返れば、彼女はとても優しい笑みを浮かべていた。

「初仕事はどうだった?」

「……安心、しました」

 そう、と答えを噛みしめるように呟いて、

「私もよ。次の仕事もよろしくね」

「はい」

 そっとはにかんで、もう見えなくなった仲間の背を追った。


 ***


 深夜。『十字星の導き』の酒場に、魔動機の灯りが一つだけ灯っている。

「…………」

 ぼんやりとした光の前で、難しい顔をしているのはネサレットだ。テーブルや床には、ハニーたちが回収してきた戦利品が雑多に並べられている。これらを鑑定し、適正金額で市場に流すのも、ギルドの大切な仕事である。もちろん、想定外の敵に対処した分として、報酬金を増額するのも忘れない。

 しかし、今の彼女の目と頭は、手にする魔動機――ジヌゥネの腹に取り付けられていたという、マギスフィア型の装置にしか向けられていなかった。

「…………」

 簡易報告によると、ジヌゥネは蛮族ケパラウラによって呼び出されたという。他に魔法に精通した者がいなかったのだから、おそらくその通りだろう。

 しかし、そうなると引っかかるのが、ケパラウラが死んだ後もジヌゥネが暴走せず、命令に忠実だったことだ。魔神は自己中心的でずる賢い。術者から「命令がない」ことを拡大解釈し、勝手に暴れる程度の狡猾さと図太さは、最下級のインプでも持っている。今回召喚された個体が、たまたま例外だったとは考えにくい。

 ということは、

「……やっぱり流出してるのかな、ウチの技術……」

 親しみある受付嬢としてではなく、責務を負うギルドマスターとして、険の立った目で呟くネサレットだが、ため息を一つついて肩をすくめた。

(まあ、いま気にしても仕方ないか。とりあえずエイプリルさんに見てもらわないと)

 心の中で結論づけ、てきぱきと戦利品を片付ける。冷めきった紅茶を一息にあおると、あくびしながら私室に向かった。

 明日の朝食の準備では、アリエッタに何を担当してもらおうか――そんなことを考えるうちに、若き支部長は眠りに落ちた。

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