第1話 呪われた大地Ⅲ

「小さいですね」

 合流して開口一番、アリエッタは呟いた。その両目は、木立の向こうの“奈落の魔域シャロウ・アビス”を捉えている。

「あの様子だと、発生から一ヶ月も経っていないと思います」

「早々に見つけた魔域を拠点にした、というところか。敵の動きは?」

「まだねぇよ。中の仲間にロバを引き渡してからこっち、あの調子だ」

 隣に伏せるハニーに応え、魔域のそばに陣取る蛮族を指す。

 ロバを盗んだ張本人である三人は、薄く差し込み始めた朝日を浴びながら、大あくびを繰り返していた。見張り、ということのようだが、このまま眠ってしまいそうな有様である。もっとも、こんな山奥で真面目に見張りをしろ、というのが無理な話だろうが。

「ヤツらを片付けて魔域に突入する。ウィリアム、狙えるか?」

「当然。まず一人落とすから、残りは頼まぁ」

 口調は軽く、眼差しは鋭く。背負っていたクロスボウを下ろし、太矢をつがえて構える。狙うのはゴブリンの脳天だ。

「…………ふぅ」

 殺していた息を吸い、細く吐く。その一動作で、狩人としての自分が目覚めた心地がした。相手の息遣いを見るうちに、視野が狭まる。指先の動きを読むうちに、風がやむ。この世界に自分と獲物しか存在していないような静寂が、心身を満たした瞬間に、

(…………)

 そっと、引き金を引いた。

 放たれた矢が、狙い通りの軌跡を描いて飛んでいく。いつもなら手ごたえに微笑むところだが、今日はできなかった。


「――――臥薪嘗胆」

 ヒトの形をした殺意が、すぐ横を駆け抜けていったから。


 総毛立ちながら、矢を追いかけるように走る背を凝視する。

 どす、と頭を射抜かれたゴブリンが一人、悲鳴を上げる間もなくこと切れるのを確認したのだろう。もう一方の小鬼に、赤毛の獣人が躍りかかった。目を見開く相手の腰から肩口を、音も言葉もなく一閃。溢れる血すら置き去りにし、文字通り命を断ち切る。

 一方、その後に続く青年は、駆け出しながら騎獣スフィアを起動した。

「来い、サイバーリザード」

 応じて呼び出されたのは、機械仕掛けのトカゲだ。野太い二本足で大地を掴む、大柄なそれの背に、すかさず相棒たるマギスフィアが飛び込む。沈黙は一秒未満。銀一色だった騎獣の全身に、まるで血が通うかのように青いラインが浮かび上がった。

『接続完了! 吶喊しますよ、マスター!』

「任せた!」

 飛び乗り、背の大剣を構える主人の声に応じた機龍は、双眸にも青い光を灯して地を駆ける。動揺から立ち直れていないボルグに肉薄し、ぐるりと躍動。金属とは思えないしなりを見せる尻尾で、したたかに打ち付ける。

 たまらずよろめく敵の、がら空きになった胴へ、

「ッ――――!」

 遠心力も加わった騎手の一撃が、猛然と襲いかかった。


 ***


 赤茶けた毛に覆われた頭が、みるみる元の愛らしい顔に戻っていく。唯一、瞳に燃える冷たさだけは維持しながら、手にする刀で空を斬ったイロハは、

「――――百花斉放」

 小さな声をかき消すように、キン、と鍔を鳴らして納刀した。

 一連の動作があまりに美しく、また温度を感じられなかったために、言葉も忘れて呆けてしまうアリエッタだったが、

「ふい~、お疲れ様でござる! いやはや、完勝でござったな!」

 振り返った彼女の、普段通りの快活な笑顔を目にして我に返った。慌てて駆け寄る。

「お、お疲れ様です。すみません、何もせずに……」

「何をおっしゃるか! アリエッタ殿の手を煩わせるほどの相手ではなかった、というだけのことでござるよ!」

「いやいや、敵の力量抜きにしても大したもんだぜ。俺の矢がおもちゃに見えちまうわ」

 へにゃりと苦笑いするウィリアムだが、彼が撃ち殺した小鬼を見たアリエッタには、それも謙遜としか思えない。ゴブリンのこめかみなど、ウィリアムの位置からはガメル銅貨より小さく見えたはずだ。それを正確に撃ち抜く技量と、標的に敵意を察知させない隠密能力には、舌を巻く他ない。

 そして、もう一人――否、一人と一体も。

「連中の武具を回収してくれ。村とギルドへの報告に使いたい。俺はリザードを調整する」

「あいよ~。イロハ、ゴブリンの分は頼む」

「了解でござる!」

 二人に指示を飛ばしたハニーは、軽やかに騎獣――サイバーリザードから降りた。見た目は草食獣ダウレスに似ている(というより、ダウレス種をモチーフに設計されたようだ)が、大きさは野生のそれより二回り大きい。重厚な装甲も、並みの蛮族なら見ただけで逃げ出すような威圧感を放っている。

 そのせいか、

『初陣の戦果は上々でしたね、我ながら無駄なく行けたと分析します』

 I:2アイツーの、はつらつとした女性の声を発しているのが、妙にアンバランスに思えた。

「脚部に損傷は?」

『ありません。ジョイントパーツの改良が功を奏しました』

「機体の状況は常に記録しろ。間を置かずに連戦するのは初めてだからな」

『了解です』

 相棒の声に頷いたハニーは、アリエッタに向き直って口を開こうとして、固まった。

「? どうかしましたか?」

「なぜ笑っている」

 問いかけられて初めて、頬が緩んでいることを自覚する。

「上手く言えないんですけど……ああ、みんなすごいなぁ、って思いまして」

 胸に手を当てる。一斉に攻撃を仕掛けた三人の様子を思い返すと、鼓動が早まるような気がした。今朝まで心にわだかまっていた、「使う」ことへの躊躇いを吹き消すように、不思議な高揚が沸き上がるのを感じる。

 一言でいうなら、そう――負けていられない。

「私も頑張ります! 取り急ぎ、黒幕との戦いではご期待ください!」

「…………ああ」

 微妙な沈黙を挟んだハニーは、曖昧な返事をしてサイバーリザードに飛び乗った。

 不思議そうな顔をしつつ何も聞かないのは、こちらを気遣ってか、質問することに意味を見出せなかったからか。たぶん後者だろうな、と思いながら、鈍色の騎獣を追いかけた。

『何だかいい感じ? いい感じよね! 頑張ってアリー! 私も応援するわ!』

 両手で持つ鞄の中から漏れる、小さな甲高い声は、やはり無視した。


 ***


 黒いドームに足を踏み入れた瞬間、平衡感覚が揺らぎ、景色が歪む。思わず目を閉じたのも束の間、すぐに五感が回復した。ほとんど反射で刀に手を運びながら、イロハは周囲を見回す。

 まず目に入ったのは、岩山のふもとにぽつんと建つ、今にも朽ちそうな木造の教会だ。それを囲むように、背の高い石塀が建てられている。他に目につく建造物や、特異な地形は見当たらない。教会の周りは深い森だが、命の気配が感じられないところを見ると、この一エリアのみの世界と考えていいだろう。

(アリエッタ殿のおっしゃる通り、ずいぶん狭い魔域でござるな)

 修行時代、何度か入ったことのある魔域を思い出す。いずれも複数のエリアから成っており、広いものは山一つを凌駕する面積を誇っていた。それらと比べると、この魔域の小ささが窺い知れるというものである。

「っと……」

 と、背後から声。振り返れば、アリエッタとハニー、サイバーリザードも現れていた。

 入り口らしいものは、すでにない。“奈落の魔域”の出口は、“奈落の核アビス・コア”と呼ばれる物体を破壊し、消滅させるまで現れないのだ。つまり、入れば“奈落の核”を破壊する以外、脱出の手段はないということになる(イロハが知るだけでも、いくつか例外はあるが)。

「お静かに。あの教会の中に、何かいるでござる」

「だろうな。ウィリアムはまだ戻らないのか」

「先行はしていると思うでござるが……あ、戻ってきたでござる」

 直角に折れた塀の向こうから、ウィリアムが音も立てずに帰ってきた。静かに息を整え、中の様子を報告してくれる。

「教会の入り口側に二人と一匹、奥側に一人だ。奥側のヤツは、魔法陣みてぇなものの上に例のロバを立たせて、何かぶつぶつ言ってた。たぶんあれがリーダーだろ」

「儀式の生贄にする、というのは正解でござったな」

「そのようですね。先ほどのように、物陰から敵を撃つことはできそうですか?」

「ああ、教会の裏手に忍び込める。窓にはガラスも雨戸もねぇから、いつでも撃てるぜ」

「それじゃあ、ウィリアムとイロハが裏から攻め込んでくれ。騒動を察知したら、俺とアリエッタが正面から行く」

『まあ、私は窓枠から入れませんしね』

「あいよ~。必ず当てるから、騒がしくなったら突撃してくれ」

「ウィリアムさんもイロハちゃんも、お気をつけて」

「承知! アリエッタ殿も!」

 短く激励し合い、足早に、しかし足音は殺して塀を回り込む。見ると、石造りの塀が一部崩れている。ここから教会の裏に侵入し、窓に近づけそうだ。

「そういえばさ」

 と、角を折れたタイミングでウィリアムが思い出したように尋ねてくる。

「さっき言ってた……ガシン? ヒャッカ? って何だ?」

「拙者のふるさとに伝わる言葉でござるよ」

 刀を握るようになってすぐ、剣の師匠に教わった合言葉だ。戦いの前後で唱えることで、心の状態を整える効果があると聞き、実践してきたものである。

「上手く言えぬのでござるが……口に出すと『やるぞ!』という気になるのでござる」

「あ~、ルーティーンか。なるほどね」

 得心がいったように頷いていたウィリアムは、クロスボウを構えながら振り向き、優しい笑顔を見せた。

「俺が撃ったら飛び込んでくれ。なぁに、さっきみてぇな圧で行けば楽勝だろ」

「委細承知!」

 イロハが応じるや否や、ウィリアムは無音のまま崩れた塀を乗り越えた。素早く太矢を装填し、窓から顔と得物をギリギリ覗かせ、射撃体勢に入る。

 その細い指が、引き金を引いた瞬間、

「――――臥薪嘗胆」

 唱え、獣変貌。頭の中が澄み渡り、首から上が深い赤毛に覆われるのを感じながら、軽やかに窓枠を飛び越える。

 あちこちに焚かれた燭台が照らし出すのは、法衣を纏った蛇頭の蛮族だ。ウィリアムが放った矢が、肩に深々と突き立っている。致命傷には至っていないようだが、相当なダメージを与えたはずだ。畳みかけるなら今しかない。

 腰に提げたアルケミーキットから、赤いカードを指でスナップし、空中へ射出。一息に噛み砕き、カードに刻まれていた動物的特質を取り込んだ。全身に力をみなぎらせつつも、腕の力は極力抜き、必殺の居合切りを放つ。

 長い首の根本を狙ったのだが、相手が咄嗟にのけぞったことで、微妙に間合いをずらされた。胸元を切り裂いたものの、こちらも決定打にはなっていない。

(あと一撃……いや、二撃!)

 足をさばき、刀を握りなおす。踊るような動きに合わせて、ばさりと羽織が翻る。


 直後。

 異形が一つ、奇声を上げながら標的に飛びついた。


 ***


 ブーツの底を鳴らしながら、ゆっくりと教会に歩み寄る。

 当然、入り口付近の蛮族たちは、狼狽しつつも武器を構えた。ボルグハイランダーが二人と、長大な角と五メートル近い巨躯を持つ黒い馬。魔神ジヌゥネだ。村で最初に盗んだ馬を生贄に呼び出したのだろう。真紅の瞳でこちらを睨んでくる。

 もちろん、アリエッタは歯牙にもかけない。手にしていた鞄のロックを外す。

「ジェニー。来なさい」

『は~い! 待っていたわよ、アリー!』

 鞄を吹き飛ばさんばかりに飛び出し、陽気な声を発するのは、一体のビスクドールだ。

 大きな陶器の目。がたがたの歯。赤と黒のドレスから伸びる手足は、球体関節を惜しげもなく晒し、人ならざる存在であることをアピールしている。口元がにこやかなだけに、表情のない両目がひたすらに不気味だ。

 人形ではあっても、およそ子供が手にして遊ぶには向かない造形のそれに、アリエッタはまったく応じようとしない。懐から大振りな蜘蛛の脚を取り出し、平坦な声で唱える。

「契約のもとに命ずる。その身を捧げ、逢魔の門を解き放て」

『も~、つれないんだから~。でもでも、そんなアリーも大好きよっ!』

 わざとらしく拗ねたかと思えば、即座に愛嬌を振りまき、人形――“扉の小魔ゲート・インプ”ジェニーは主の傍らに浮かび上がった。

 ぴたりと動きを止める彼女の体が、黒曜石を思わせる金属質の物質に置き換わる。やがて、物言わぬ飾りへ変じたジェニーを頂に、アーチ状の黒い扉が出現した。いくつも施された禍々しい装飾が、この世のものならざる異物感を醸し出す。

 一歩前に踏み出し、扉の隣に立つ。ちょうど、教会の奥に陣取る蛮族――ケパラウラの肩に矢が突き刺さるのが見えた。イロハもすぐに合流するだろう。急がなければ。

「供物はここに。使命はここに。我が声に応じて来たれ、異境にて嗤うともがらよ」

 詠唱を終えると同時に、教会の窓からイロハが飛び込んでくる。彼女を見据え、体内から抽出したマナを門に送ったアリエッタは、手にしていた蜘蛛の脚を扉の前に放った。

 直後、勢いよく扉が開き、

『お呼びですかナァァァ?』

 耳障りな魔神語で叫びながら、何かが飛び出した。宙を舞う供物を一口で食らうと、ボルグやジヌゥネの巨体を飛び越え、ケパラウラに組みつく。

 目も耳もない頭。上半身のみの体。そして、脇腹から四本生える、蜘蛛のような細長い脚。全身で「異形」を体現するそれの名は、アガル。格としてはジヌゥネに及ばずとも、れっきとした魔神の一種である。

「その蛮族を攻撃しなさい!」

 魔神語で命じながら、再びマナを錬成。

「【アストラルバーン】!」

 封入具たる旅行鞄の中で、炸裂術式として渦巻いた魔力の塊が、ジヌゥネ目掛けて射出された。外皮を破く一撃の奥で、アガルもケパラウラウの肩をえぐっている(あえて傷口を狙う辺り、実に魔神らしい)。

 続けて突撃してきたハニーたちも、大剣と尾で蛮族を叩き伏せる。状況は不利のはずだが、頭に血が上ったケパラウラに降伏の選択肢はないらしい。

「そいつらを殺せ! 一人も逃がすな!」

 魔神語でがなりながら、イロハに魔法の衝撃波を浴びせる。真語魔法【フォース】だ。続けて、毒牙を突き立てようと長い首を伸ばす。

 が、その一撃が届くより先に、小さな頭は太矢に撃ち抜かれた。

「行け、イロハ!」

「承知でござる!」

 叫ぶウィリアムに、獣の鳴き声にしか聞こえないリカント語で応じると、イロハは踵を返してジヌゥネと距離を詰めた。金色のマテリアルカードを噛み割り、飛び散る特質を刀に充填。丸太のような胴体を両断にかかる。

 しかし、ジヌゥネの反応は速かった。

『命令、実行』

 マナを帯びた眼光でイロハの動きを鈍らせ、巨躯を器用に折り曲げて白刃を受け流す。負傷を最低限に留めると、その流れのまま身を翻し、イロハの頭に後足を叩き込んだ。蹄の直撃を受け、ばっくりと割れた患部から、おびただしい量の血が噴き出す。

「イロハちゃん!」

「うろたえるな!」

 思わず叫ぶアリエッタを制しながら、ハニーが大上段から大剣を振り下ろす。対するジヌゥネは、額から生えた角を剣さながらに振るい、重い一撃を受け止め切った。

「お前にできることをやれ!」

「ッ……アガル!」

『はいはい、ワタクシめの出番ですネェェェ!』

 こぼれかけた弱音を飲み込み、アガルに吠える。ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、ジヌゥネの背後に取りつくが、まったく相手にされていない。彼の脚では、外皮を破れないと判断したのだろう。目の前のハニーとの鍔迫り合いに集中している。

 その腹に、

「隙だらけだぜ」

 ウィリアムの太矢が刺さった。ただの矢ではない。込められたマナの力で、あらゆる装甲を無力化して肉を穿つ、魔力の太矢だ。

 思わぬ方角から、想定以上のダメージを受けたからだろう。初めて苦悶の声を上げたジヌゥネは、その眼光をウィリアムに向けた。サイバーリザードが移動を阻むも、その膂力は凄まじい。重厚な鋼鉄の体を、今にも押し倒してしまいそうだ。


 その必死さが、視野を狭めたのだろう。彼(?)は気づいていなかった。

 血まみれになりながら鬼のような気迫を放つ剣士が一人、懐に入っていることに。


 深緑色のマテリアルカードが、ジヌゥネの体を麻痺させる。異変に気づき、ぐるりと首を巡らせたが、もう遅い。確実に急所を狙うべく、ほとんど巨躯の下に潜り込むほど踏み込んだイロハは、

「ッ――!」

 今度こそ、会心の一閃をお見舞いした。


 ***


 黒ずんだ血と臓物をまき散らしながら、ジヌゥネが崩れ落ちる。

「――――百花、斉放……!」

 同時に、トドメを刺したイロハも、獣変貌を解きながら座り込んだ。どこからどこまで彼女の血なのか判別できない有様だが、重傷を負っているのは間違いない。

「イロハちゃん! 大丈夫ですか!」

「おいおい、すぐ手当しねぇと!」

 ぞろぞろと集まる仲間たちに、イロハはいつもの柔和な笑顔で応じ、

「ああ、大事ありませぬ。しばしお待ちを」

 小声で何か呟くと、左手を頭の傷口に当てた。ぽそりと何か呟くと、手のひらから柔らかな光が発せられ、少しずつ出血を抑える。治癒の力――神聖魔法だ。

「いや神聖魔法使えたのかよ、お前!」

「? ああ、言っていなかったでござるか。でもまあ、拙者の技量なぞ自慢できるほどのものではないでござるよ」

「いや、だって聖印どこにも……」

「戦いの邪魔になると困るでござろう? なので靴につけているのでござる。ほら」

「怒られろ、イーヴ神殿に」

 呆れるウィリアムを軽く笑い飛ばしていたイロハは、そうだ、と思い出したようにアリエッタに目を向けた。

「先の化生は魔神でござるな? アリエッタ殿はデーモンルーラーでござったか」

「っ……あの、はい……」

 無意識に声が小さくなる。よりによって、という心地なのだろうと、ハニーは想像する。

 魔神使いに対する世間の評価は、ネガティブなものが多い。とりわけ“奈落の盾神”イーヴの信徒は、魔神はもちろん、その力を利用したり研究したりすることも許さない者が大半を占めるという。技能を隠していた身として、萎縮するのも無理はないだろう。

 びくびくするアリエッタに、イロハは、

「やはり! いや~、助かったでござる!」

 嘘も飾りっけもまるでない、太陽のような笑顔で感謝した。

「…………え?」

「ハニー殿とウィリアム殿だけでは、この馬もあそこまで無防備にはならなかったはずでござる。蛇頭の方に入れてもらった追撃も、なかなかいい仕事していたでござるよ!」

「あの、えっと……どう、いたしまして……」

『いやいや照れますナァァァ! しかしもっと言ってほしいですネェェェ!』

 水を差すような奇声を受け、我に返ったようだ。アリエッタはアガルを片手で制すると、

「ごめんなさい! ちょっと送還してきます!」

「ごゆっくりでござる~」

 ゆるゆると手を振るイロハに、剣呑な雰囲気はない。だいたい想像通りだったが、彼女は極端なイーヴ神官ではないようだ。

「……よし。ウィリアム、イロハに応急処置を。俺は戦利品を回収する」

「おう。ちと痛ぇかもだけど動くなよ~」

「拙者は侍でござるよ? そんな薬草を貼られたくらいで痛がりなぞ痛たたたたた!」

 ベタなやり取りを片耳で聞きつつ、ジヌゥネの死骸に歩み寄る。I:2を騎獣として伴っているのは、念のためだ。

 戦闘中は目にする余裕もなかったが、教会の最奥に、黒い剣状の結晶体が浮かんでいる。“奈落の核”だ。この魔域の規模に比例したのか、ダガーのような小ささだ。破壊に手間はかからないと踏み、そのまま視線を足元に落とす。

 ジヌゥネの黒い巨躯は、すでに半ば近く、煤とも灰ともつかない黒い残骸になり果てていた。魔神の肉体は、絶命から数分も経つと、わずかな体液や角を残して消失してしまうのだ。異界から現世に出現する際、緊急的に獲得する仮初の肉体にすぎないから、という説が有力らしいが、専門家でないハニーは詳しく知らない。あとでアリエッタに聞いてみようか。

『角は残りそうですね。高く売れそうですよ~』

「そうだな」

 危うくイロハが下されそうになるほどの強敵だったのだ。これくらいの追加報酬がなくては、割に合わない。

「……ん?」

 と、崩れゆく死骸の腹部に視線が吸い寄せられた。咄嗟に手を伸ばす。

 胴体の真下に、マギスフィアのようなものが装着されていた。ハニーの握力をもってしても取り外しに苦労するほど、しっかりと肉に食い込んでいる。そういう意味では「装着されている」のではなく「埋め込まれている」と表現するのが正しいかもしれない。

 イロハの一閃がかすめたのか、すでに機能を停止しているそれをまじまじと見つめたサイバーリザードが、驚いたような声を発する。

『マスター。これは……』

「……ネサレットに報告する。考察はその後だ」

 胸のざわつきを押し殺し、マギスフィアを革袋の奥にしまい込んだ。

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