第1話 呪われた大地Ⅱ
『
その光の中で朝食をとっていたハニーは、
「おはようございます」
店の奥――アパルトメント上階への階段から聞こえた声に振り向いた。大きな鞄を手にしたアリエッタが、柔和に微笑んでいる。
「おはよう」
『おはようございます! 昨夜はよく眠れましたか?』
事務的に挨拶するハニーとは対照的に、
「はい。ベッドもお布団もふかふかですね」
『それは良かったです! あ、朝食はバイキング形式なので、お好きなものを食べられる分だけお召し上がりください! オススメはゆで卵と海藻サラダですよ!』
「ありがとうございます。あの……これ、全部ネサレットさんが?」
『ウィリアムさんもお手伝いしていますよ。一足早くお召し上がりになって、日課のお散歩に出ております』
「そうだったんですね。明日からは、私もお手伝いします」
『では、ネサレットさんにご相談ください。きっと喜んでくれますよ!』
I:2と談笑しながらトレーを埋めたアリエッタは、そのままハニーの対面に腰かけた。ちらりと乗っているものに目を走らせる。I:2が勧めた卵とサラダ、あとはパンとスープが少々。見た目だけでなく、食も細いようだ。
「I:2さん、マギスフィアとは思えないくらい感情豊かというか……とにかく、すごいですね。本当に人間とお話ししているみたいです」
「昨日も説明した通り、ギルドの外の人間には話すな。このレベルの技術が公になれば、確実に騒動になる」
「もちろんです。ハニーさんとは、その、本国? という場所からご一緒なんですか?」
「ああ」
『初めてマスターに駆動していただいたのは、およそ三年七ヶ月前です。懐かしいですね~。マスターは初めてお会いした時から、仏頂面デフォルトのシャイボーイだったものですから、私がお姉さん代わりをですね……』
「記憶領域が損傷しているぞ。本国に送ってやるから、早めにエイプリルに診てもらえ」
『そんな言い方しなくてもいいじゃないですかー』
わざとらしく拗ねる相棒に、口の端だけで笑って返す。
騎獣に搭載することで、柔軟な連携と戦術の多様化を実現する、最新鋭のマギスフィア型サポートユニット。魔動機文明後期で実現したとされる超技術の再現、と言えば大仰に聞こえるが、実際はこの通りのフランクさだ。時折自分より人間くさく感じてしまうのが、何だかおかしい。
アリエッタはくすりと笑い、
「仲がいいんですね」
「ただの腐れ縁だ……イロハは?」
「まだお休みです。長旅だったようですからね」
「なら、今のうちに確認しておきたい」
コーヒーを一口すすり、おもむろに、そして平坦な口調で尋ねる。
「その鞄の中身について、いつ明かすつもりだ?」
「――――」
一瞬、メデューサに睨まれたように固まったアリエッタだが、すぐに硬い笑顔で応じた。
「聞かれなかったものですから。あの、気づいておられました?」
「そんな大きな荷物を、肌身離さず持ち歩いていれば察しはつく。イロハはどうか分からないがな」
雇い主のネサレットは当然知っているだろうし、ウィリアムも勘づいているはずだ。二人があえて追及しなかったのは、頑なに「魔法使い」を自称するアリエッタを慮ってのことだろう。ハニーとしても、個々の事情や信条に干渉する気はないが、戦力としてカウントする以上、戦闘になっても隠しているようでは困る。ここだけは明確にしておきたい。
暫時、目を泳がせていたアリエッタだが、やがて意を決したように、
「……使うべき時になったら、使わせていただきます」
「分かった。頼りにしている」
「はい。あの……ありがとうございます」
「言うべきと思ったことを言っただけだ」
微笑みに安堵が滲むのを見届け、ハニーはカップを傾けた。これ以上は何も言えないし、気にする必要もない。
ふわりと流れた沈黙は、ドタバタと階段を駆け下りる音と、
「おはようございまする! まだ
切羽詰まった様子のイロハの大声で破られた。すかさずI:2が、ない口を開く。
『おはようございます、イロハさん! 朝食ならご心配なく。人数が増えた分、今朝はいつもより多めに用意しようと、ネサレットさんが張り切っておられましたので!』
「お、おお、I:2殿。何度見ても面妖でござるな……あ、アリエッタ殿もハニー殿も、おはようございまする!」
「おはようございます」
「俺は先に立つ。皿は洗い場にまとめておいてくれ」
立ち上がりながら言い置き、アリエッタが頷くのを見てから部屋に戻る。
(食べ終わってから話せば良かったか……?)
道中、アリエッタの手が止まってしまっていたことを思い出したが、考えても仕方ないので歩みは止めない。
『ダメですよ、マスター? ああいう真面目な話は、せめて食べ終えてから話さないと~』
ニヤニヤした口調で言いつつ小突いてきたI:2には、軽くデコピンしておいた。
***
「はい、というわけで依頼よ!」
何が「というわけ」なのか、まったく分からない話をネサレットが始めたのは、その日の午前中だった。招集された四人を代表して、ウィリアムが口火を切る。
「そりゃ嬉しいが、ずいぶんタイミングよく来たな」
「本当は昨日届いてたんだけど、二人が加入して早々にこういう話をするのもね。このチームでの初仕事だし、まずは一晩しっかり休んでからの方がいいでしょ?」
胸を張るギルドマスターは、着任して三時間と経っていない自分に、城壁周辺の夜間警備に参加するよう命じたことを忘れてしまったのだろうか。ハニーは訝しんだが、今さら言っても無駄なので、先を促すことにした。
「内容は?」
「蛮族の一団の討伐よ」
ばっ、と広げられた依頼書の文面を流し読みする。ここから徒歩二日ほどの位置にある、小さな農村からの依頼だ。要約すると、二週間ほど前から蛮族の集団に家畜を狙われているから何とかしてくれ、ということらしい。
「報酬は一人……に、にせんがめるっ!? こ、これだけあれば半年、いや一年は寝食に困らぬのでは……!?」
「合わせて一万ガメル近いじゃねぇか。村一つで払いきれるか、これ?」
「そこは心配しないで。報酬用の援助金は、本国にたっぷり請求するから。ていうか、そうやってギルド間でお金をやりくりして、貧しい人々の依頼にも対応してこその冒険者よ」
「あ~、なるほど」
目を白黒させるイロハと、初めて正式な依頼を受けるがゆえの疑問を口にするウィリアム。それぞれの反応を見つめるハニーは、
「一つ、よろしいでしょうか」
ひたり、と。
頬に冷たいものを押し付けられたような感覚に、少々ぎょっとしながら声の主――アリエッタを見た。先ほどまでの人の好さそうな笑顔がない。手本と呼ぶにも冷たすぎる無表情で、温度のない声を吐き出す。
「もし、標的の蛮族の一団に人族がいた場合、どのように対処しますか?」
「…………そう、ね」
イロハの口調にすら動じなかったネサレットも、さすがに虚を突かれたらしい。もともと大きな目をさらに丸くして固まること二秒。いつもの陽気な微笑みに戻って答える。
「できれば捕らえて、事情を聴いて。蛮族に嫌々従わされてるのかもしれないし。もし抵抗するなら――」
琥珀色の瞳は、まっすぐハニーに向けられた。
「その時は、ハニーくんの判断に任せるわ。よろしく」
「……了解した」
眼差しに含まれた感情を察し、二つ返事で了承する。途端に、アリエッタの目にぬくもりが帰ってきた。
「分かりました。ベストを尽くします」
先ほどまでの数秒間だけ、まったくの別人に入れ替わっていたのではないか。そんな異質さを感じずにはいられないが、重苦しい沈黙が漂うより先に、ウィリアムがわざとらしく声を張り上げる。
「それじゃあ、準備といきますか。イロハは
「ばざーる?」
「市場のことだよ。アリエッタとハニーもどうだ?」
「はい、ご一緒させていただきます」
「俺はライダーギルドに行く。リザードを回収したい」
「あいよ。じゃあ正午にはここに集合な」
努めて(?)のんきに言い残し、三人は店を後にする。ハニーもライダーギルドに向かおうと歩き出すが、
「ハニーくん」
ネサレットに呼び止められた。自分より年上とは思えない童顔が、どことなく申し訳なさそうに曇っている。
「急にごめんね。事実上のリーダーを任せちゃって」
「別にいい」
性格上、イロハもウィリアムも最終判断を下す立場には向いていない。あの様子を見る限り、アリエッタに任せるのも危険な気がする。冒険者として活動してきた期間も合わせて考えると、意思決定の中心はハニーが担うべきだろう。
「だが、俺は周りが何と言おうと、俺がすべきと考えたことだけをする。ギルドの評判は優先しないぞ」
「それは大丈夫! きみは陛下と、この私が認めた冒険者よ? ギルドにとっても本国にとっても、間違いのない決断を下せると信じているわ!」
「…………そうか」
「今の間は何かな、今の間は」
お前にお墨付きをもらってもなぁ、とは言わなかった。言っても意味がないだろうから。
***
ハーヴェス王国から平野を北上すること二日(道中、イロハが後先考えず食料を食べ尽くそうとしたのは余談)。
目的の村は、ディガッド山脈を望む森の近くで、細々と営まれていた。さほど広くない畑と、畜舎らしい大きな建屋が見える。この規模の村で家畜を失うのは、文字通り死活問題だろうと、ハニーは思った。
村人に声をかけ、村の寄合所まで案内してもらう。隣に建つ、他の民家より一回り大きな家が村長宅だったのか、ほどなく初老の男性が現れて深々とお辞儀をした。
「この村の長をやっとります。お越しいただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、大変な時にお騒がせしてすみません」
ウィリアムがにこやかに応じる。対外的な交渉には彼が立つべきだと、事前に決めていたからだ。
「さっそくですが、家畜が狙われた日のことを伺っても?」
はい、と頷いた村長は、順を追って語り始めた。
事の発端は、二週間ほど前、畜舎にいた馬がいなくなっていた事件までさかのぼる。血痕や争った形跡がないことから、何者かが連れ去ったと見た村長は、村の男衆で見回りを実施。一週間前の深夜、北の森からやって来た三人組の蛮族に遭遇したという。
「その日はどうにか追い払ったのですが、怪我人が出てしまいましてね。また狙われたら守りきれないと思い、依頼させていただいたんです」
「なるほど。ちなみに、その三人組というのは、どういう連中ですか?」
「二人はブサイクな小鬼で、そちらは大したことなかったらしいですね。問題は最後の一人ですよ。全身毛むくじゃらで、大きな武器を振り回してきたとか。増援があと一歩遅かったら、怪我じゃ済まなかったかもしれません」
当時を思い出したのか、村長は苦い顔をしながら震える。口ぶりからして、直接蛮族と相対したわけではないようだが、それでも恐怖を覚えるには十分だろう。戦いとは無縁の農夫ばかりの村なのだから、なおさらだ。
うん、と頷いたウィリアムは、こちらを一瞥した後、
「分かりました。今日から張り込んでみますので、空き家とかあれば借りてもいいですか? ああ、食事その他は自分らで何とかするので、お構いなく」
「でしたら、この寄合所を使ってください。何かあれば、わしか、村の者に声をかけてください」
「ありがとうございます。それから、もし可能なら、蛮族を直接見た方々のお話も伺いたいのですが」
「そうですか……分かりました。呼んできますので、少々お待ちください」
再びお辞儀をし、畑の方へ歩き去る村長。その背中を見送ったウィリアムは、砕けた口調に戻って話し始める。
「うし、ぱぱっと作戦会議といきますか」
「アリエッタ。敵は何だと思う?」
「おそらく、ゴブリンが二体と、ボルグ種のいずれかが一体だと思います。家畜を生け捕りにしているのは、北の森のどこかに本拠地があって、そこに生きたまま連れていく必要があるからではないでしょうか」
「だろうなぁ。食うつもりならバラしてから運ぶだろうし」
三人の議論に、イロハも首を傾げながら加わる。
「しかし、何のために馬を? どこかに売るつもりでござろうか?」
「どうかねぇ。売るにしちゃ手間かけすぎな気もするけど……」
腕組みするウィリアムを横目に、ハニーはアリエッタに振ってみた。
「どう思う?」
「……憶測ですが」
彼女は前置きし、旅行鞄の持ち手を強く握って続ける。
「何らかの儀式の、生贄ではないかと思います」
「生贄、でござるか?」
「より良い生贄を、より多く捧げることで確度を上げるのは、古今東西の様々な儀式で重視されている手法です。ぴったり一週間ごとに盗んでいく点にも、魔法の周期じみたものを感じます」
「つまり、例の三人組を束ねる何者かは、そういう儀式に精通した――知能の高い種である可能性もある、と」
頷くアリエッタ、深く息をつくハニー、そして腹の虫を小さく鳴かせるイロハ。三人の顔を順に見てから、ウィリアムが話を切り替えた。
「まあ、その辺りは敵をとっちめて聞き出すんでもいいだろ。これからどう動く? 手がかりなしで山狩りするのは、さすがに無謀だぜ?」
「そうだな……」
口では思案を匂わせつつ、すでに作戦はできている。伝え方だけをまとめて、いつもの平坦な語調で言った。
「一つ、村長に交渉してくれ」
***
午前二時。月が雲に隠れた頃、少し風が出てきた。木々のざわめきが強まったことで、北の森がいよいよ真っ黒い巨獣のように見えてくる。時折聞こえるフクロウの声も相まって、辺りは不気味な空気に満ちていた。
しかし、ウィリアムに恐怖はない。夜目がきくことはもちろん、昼夜を問わず獲物を追い続けた猟師として、この程度の闇は生活の一部も同然だった。ちょっとした懐かしささえ覚えながら、焚火に照らされた畜舎を見つめる。
「むぅ……さすがに眠くなってきたでござる……」
「昼のうちに仮眠をとらないからだ」
「何かあれば起こしますから、休んでいてもいいですよ」
「かたじけない。では…………ぐぅ」
『イロハさん、寝るの早くないです?』
「村のお仕事を手伝ったり、子どもたちの相手をしたりで、お疲れだったんですよ。きっと」
「仕事はここからが本番だがな」
ぼそぼそと語らう彼らが身を潜めているのは、畜舎から離れた民家の納屋だ。たいまつのそばに、盗んでください、とばかりに繋がれたロバの姿がよく見える。
ハニーが提案したのは、村の家畜をわざと盗ませ、尾行して敵の本拠地を突き止める、というものだった。敵を倒し、尋問する手もあったが、こちらの方が確実に情報を得られると、満場一致で採用となった。問題は囮の家畜の確保だったが、村長に担保金を預けることで、どうにか納得してもらえた。馬より安いロバとはいえ、この出費はなかなか大きい。できれば無傷で返却したいところである。
「お」
遠目に動く何かを見つけ、居住まいをただす。
森から忍び足で現れたのは、三人の蛮族だ。村長らが説明したとおりの風体で、手に手にこん棒や大剣を持っている。ロバに気づいたのか、周囲に人がいないことを確認すると、いそいそと近づいてロープを外し始めた。好都合だが、もうちょっと警戒しろよ、と思わないでもない。
「どうだ、アリエッタ」
「間違いありません。ゴブリンとボルグです。ハイランダー種だと思います」
確認しているうちに、蛮族たちはロバを連れ、もと来た道を戻っていく。こちらに気づいているようには見えない。
「じゃあ、先に行くわ。目印はつけとくけど、気をつけてな」
「はい。お願いします」
「しくじるなよ」
「お頼み申す!」
「おう。てかイロハ、起きるのも早ぇのな」
いつの間にか覚醒していたイロハに言い残し、納屋を抜け、慎重に森に分け入る。隠密行動の術を会得しているのは、四人の中ではウィリアムだけなのだ。
見知らぬ相手に引っ張られているせいか、ロバの足取りは重い。蛮族たちはそれに苛立ち、時折語気を強めて何か言っている。汎用蛮族語に疎いウィリアムだが、「早くしろ」というようなことを吠えているのだろうと、想像はついた。
(勢いあまって殺さねぇだろうな、あいつら……)
早くも担保金を心配しつつ、じりじりと後を追う。敵の注意はロバに向いているが、いきなり後ろを振り向かれても大丈夫なよう、位置取りには気を遣った。もちろん、後から追ってくるハニーたちのために、通りすがった木々に矢印を刻むのも忘れない。
ゆっくりと、つかず離れず追跡すること、およそ二時間。
東の空が白み出した頃、ようやく拠点らしき場所に到着したのだが、
「……マジかよ」
驚きと、形容しがたいざわめきが、胸の奥で巻き起こるのを感じる。
数十メートル向こう。小高い岩山のふもとに、黒いドーム状の物体が鎮座している。否、物体ではない。空間そのものが歪み、ねじれた結果、乱暴に塗りつぶしたような黒に染まっているのだ。明らかに異質なそれに、蛮族たちはロバを押し込んでいる。
人呼んで、“
大陸北端に口を開いているという、魔神たちの世界への入り口――“奈落”が発生させた、小さな異境の玄関口である。
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