第1話 呪われた大地Ⅰ
ぎ、と櫂が軋み、船が桟橋の前に止まる。
「ありがとうございました!」
「ずいぶん大きな荷物だなぁ。揺れるから気をつけろよ」
「ありがとうございます。大丈夫です!」
渡し屋の気遣いに笑顔で返すと、アリエッタ・ノーランドは船を降りた。大きな旅行鞄を苦もなく持ち上げ、東区の大地に立つ。
ブルライト地方最大級の要衝・ハーヴェス王国に、訳あって住み始めてから、はや四年。養父の家がある西区周辺はともかく、東区にはほとんど訪れたことがない。わざわざ渡し屋を頼って水路を進んだのも、半分は道を尋ねるためだった。
「それにしても、そんなところに冒険者ギルドがあったとは……正直印象になくてよ。間違ってたら悪いねぇ」
「いえいえ。お世話になりました」
再び礼を言い、その場を離れる。目的地は、大通りを一本奥に入ったアパルトメント。今日から彼女が住み込みで働く冒険者ギルドだ。
(緊張するな……ギルドマスターさん、いい人だといいんだけど……)
鞄を持つ両手に力が入る。
養父の紹介なのだから、奇人や悪人ということはないだろうと踏んでいる。実際、アリエッタを送り出す彼の表情は、いつもと同じ穏やかなものだった。しかし、彼を含めた多くの魔法使いが偏見を持たれていることを、アリエッタはよく知っている。
驚かれないだろうか。怖がられないだろうか。後ろ指をさされ、排斥されないだろうか。
「……ふんっ」
ぺちん、と両手で頬をたたいた。再び鞄を持ち上げ、まだ低い日差しの中、街道を進む。立ち止まった遅れを取り戻すように、足早に。
『アリー、その意気よ! さっすが私の親友ね!』
鞄の中から、鈴を転がすようなエールが聞こえたが、アリエッタは応じなかった。
***
到着したアパルトメントは、古びた家々に挟まれるようにたたずんでいた。
下階が酒場になっているのは、冒険者ギルドによくある形式だ。しかし、壁やテラス席を覆わんばかりに茂るヘデラのせいで、「廃墟一歩手前」とでも呼ぶべき怪しさを醸し出している。周囲が閑静なことも相まって、陽がよく当たる建物でありながら、率直に言って不気味だ。
(……お手入れしている暇もないくらいお忙しいのよね。きっとそうよね)
誰に言い聞かせているのか、自分でも分からないまま店内を覗く。人の姿は見えないが、明かりは点いている。閉店、というわけではなさそうだ。
「……よし」
声に出して腹をくくり、ドアノブに手をかけた――ところで。
ぐうぅぅぅ……と、呻きとも唸りともとれない奇妙な音が聞こえた。
「?」
思わず辺りを見回すアリエッタ。通行人のいない道、生活感のある家々、大通りから届く喧騒。順に目で追い、耳で捉えた末、ようやく彼女は見つけた。
彼女の足元――道路脇の側溝に、汚れた外套にくるまって蠢く、ヒトらしき何かを。
「…………」
空っぽになる頭の中を、「行き倒れ」や「非業の死」などの単語が猛スピードで駆け巡る。他に何も考えられないほど動じてしまったアリエッタだが、にょきっ、と外套から飛び出た腕が、何かを求めるように振れるのを見て我に返った。
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
回らない舌を懸命に回しながら、駆け寄って膝をつく。すると、赤髪の合間から飛び出る獣の耳が目に飛び込んだ。リカントだ。この国ではよく見る種族だが、行き倒れているのを目にするのは、さすがに初めてだった。
仰向けに抱える。細くもがっしりした体に似合わない、幼げな顔の少女は、
「お……おなか、が…………」
力なく声を絞り出して脱力した。両腕に思いのほか強烈な重さがのしかかってきたが、どうにか耐える。
「ちょっ……だめです、死なないでください! 誰かー! お医者さんはいませんかー!」
「あ~……お医者さんじゃないけど、いいかい?」
慌てふためくアリエッタに、背後から控えめな声。当然思い切り振り向く。
苦笑いながら頬をかく、エルフの男性がいた。大型のクロスボウと、抱えるほどの大きさに膨れた麻袋を担いでいる。冒険者だろうか。
「は、はい! こちらの方なんですが、どうすればッ!?」
「うん、言いにくいんだけどな? その嬢ちゃんはたぶん」
言葉の途中、再びあの間抜けな音が鳴り響いた。リカントの少女の腹から。
何と言っていいか分からない、微妙な沈黙を含み笑いで破りながら、エルフの男性は傍らの建物――冒険者ギルド『
「とにかく入りなよ。俺、ここの所属だからさ」
***
「はい、お待ち遠さま。簡単なもので悪いけど」
「いただきます!」
皿が置かれるや否や、リカントの少女がサンドイッチにかぶりついた。否、襲いかかった。そう表現するにふさわしい食いつき様に、アリエッタは安堵しながら周囲を一瞥する。
外観からは分からなかったが、二階まで吹き抜けの酒場になっていたようだ。しかし、アリエッタら以外の人影はなく、客が入ってくる気配もない。掃除は行き届いているが、その清潔さが、かえって物寂しさを助長しているようにさえ見える。
アリエッタの視線と、そこに含まれた感情に気づいたのか、サンドイッチを運んでくれた少女――このギルドのマスターが咳払いしつつ微笑んだ。
「改めまして、いらっしゃい。あなたがノーランド教授から紹介のあった子ね?」
「はい。アリエッタ・ノーランドと申します。今日からお世話になります」
「こちらこそ! いや~ホント助かるわ~! 見ての通り、ウチってば経営が火の車通り越して焼野原になっちゃってるから!」
「あんまり本当のこと言ってやりなさんな、マスター。嬢ちゃん帰っちまうぞ」
あっけらかんと笑うマスターと、肩をすくめて苦笑いを浮かべるエルフ。両者に曖昧な笑みを返すしかなかったアリエッタだが、前者が話の流れを戻してくれた。
「それじゃあ、自己紹介といきましょう。私はネサレット・ハウ。冒険者ギルド『十字星の導き』ハーヴェス支部の長として、当ギルドの末席を汚しているわ」
頷きつつ、はつらつとした表情をまじまじと凝視してしまう。養父からは「19歳の可愛らしいお嬢さんだよ」とだけ聞いていたが、童顔のせいか、今年17になるアリエッタより年下に見えた。
「で、こちらはウィリアム・シャーウッドさん。つい一週間前、ウチに所属してくれたの。元猟師さんなんですって」
「どうも。あ、マスター。これ、そこの森で獲ったヤツね。野ウサギ」
「ありがと~! これで二日はメインおかずに困らないわ!」
他方、ウィリアムは脱力した微笑みを浮かべながら、ネサレットに麻袋を手渡す。金や銀といった薄い髪色が多いエルフにあっては珍しく、深みのある茶髪の持ち主だ。年相応の余裕というものだろうか、ゆったりしていながら掴みどころがない。
じっと観察していた目が、ウィリアムのそれと合いそうになった時、
「っぷは~! あ~、生き返ったでござる!」
隣のリカントが、一息に水を仰いで顔を上げた。先ほど初めて気づいたが、外套の下にはゆったりとした長着と帯を纏い、無骨な刀剣(カタナ、というものだろうか)を佩いていた。この辺りでは見たことのない風体だが、彼女の艶やかな赤髪にマッチしていると、アリエッタは思う。
ただ、その言葉遣いは気になった。
(ござる?)
一瞥した先で、ウィリアムも怪訝そうに小首を傾げていた。ネサレットだけが、朗らかな表情を保ったまま会話に応じる。
「口に合ったようで良かったわ。えっと……」
「ああ、これは失敬。拙者、イロハ・ニルヴレンと申しまする。ここより遥か東、コウゲツの里より参ったでござる」
(コウゲツ……?)
聞いたことのない地名だ。特徴的な衣服も言葉遣いも、その地方の文化なのだろうか。
しかし、ネサレットには覚えがあったらしい。納得したように手を叩いている。
「やっぱり! 得物といい服装といい、そっちの子かな~、とは思ってたの! ずいぶん遠くから来たのね」
「うむ。とりあえず大きな街を目指していたのでござるが、路銀も食料も尽きてしまい……たいへん美味な品でござった。この御恩は必ず」
「そっか~。御恩……そっか~……」
などと言いつつ、ネサレットの目がぎらりと光ったのは、アリエッタの気のせいではなかったらしい。目にもとまらぬスピードで羽根ペンと羊皮紙を二つずつ取り出し、アリエッタとイロハの前に並べるように置くと、
「じゃあ、お願い! イロハちゃんもウチに入ってくれないかな!?」
テーブルに額をこすりつけんばかりに、頭を下げた。
あまりの勢いに、思わず閉口するアリエッタとイロハに、ネサレットは早口で続ける。
「実はウチ、訳あって構成員四人(運営スタッフ含む)しかいなくてね。本部に頼んで応援を呼んでもらったり、ウィリアムさんに入ってもらったり、伝手でアリエッタちゃんに声をかけたり……どうにか集まってはきたけど、欲を言えばもう一人くらい欲しかったの! やっぱり四人一組が一番バランス良いと思うし! お願い! この通り! 衣食住は保証するから!」
「委細承知ッ!」
「衣食住」というフレーズに、ぴくんと獣耳を跳ねさせたイロハ。目にもとまらぬスピードで羽根ペンを掴むと、羊皮紙――誓約書の内容もろくに見ずにサインした。
それでいいのか、と言おうとした背に、
「帰ったぞ」
『ただいま戻りました~!』
ドアベルの乾いた音と、男女の声が重なった。
***
同時に振り向いたアリエッタとイロハが、揃ってきょとんとしている姿に、ウィリアムは思わず笑みをこぼした。当初の印象のとおり、どちらも素直な子のようだ。ちょっと安心しながら、入り口に一人で立つ青年に声をかける。
「お疲れさん。早かったな?」
「研ぎ終えたものを受け取っただけだからな」
鋭い眼差し。静けさの中に重厚さを孕む声音。透き通るような金髪。まるで銅像が動き出したような印象を与える彼――ティエンスは、テーブルの二人に気づいたようだ。小さく会釈してからウィリアムに尋ねる。
「客か?」
「違う違う。今日からウチに入る――」
「おかえり、ハニーくん! 今日からキミとウィリアムさんがパーティ組む子たちよ! 仲良くしてあげてね!」
「せめてお互いの了解とってからにしねぇか、マスター? あ、俺も含めてね?」
手招きしつつ、食い気味に言ってのけるネサレットにちくりと一言。互いの技術、得意分野などの確認は言うに及ばず、誓約書にサインすらしていない者もいるのだ。さすがに性急すぎるのではないか。
しかし、ウィリアムの指摘もどこ吹く風。ネサレットは涼しい顔で、
「だって、他に人はいないのよ? パーティを分けるより固まってた方が、大小色々な依頼に対応できるじゃない。前衛と後衛のバランスもいいし、成功率、生還率、戦力のすべてにおいて、この四人で組むのが得策だと思うわ」
「…………」
異論はないが、理由より先に結論だけを言い切ってしまう辺りに、彼女の個性が出ているような気がした。
他にも反対意見はないと見たか、ティエンスの青年――ハニーが口火を切る。
「妥当だな。俺は構わない」
「……そうかい。アリエッタとイロハは?」
「えっと、私も……頑張ってお力になります」
「ギルドに入れたうえに、もうパーティの一員でござるか! 拙者ってば幸先いいでござるな~」
最後の一人の返答だけ、微妙にピントがずれている気がするが、ウィリアムは何も言わなかった。
「決まりね。ああ、アリエッタちゃんもサインよろしく!」
「あ。一読しますので、少々お待ちを」
「ハニー・ヨーグル。ライダーだ。よろしく頼む」
「イロハ・ニルヴレンと申しまする。見ての通り剣士にござる!」
「……ござる?」
「ああ、それは何というか、癖みたいなもので……」
自然と雑談が始まる。アリエッタもイロハも、突然のパーティ結成にうろたえる様子はない。ギルドの経営のためとはいえ、少々強引すぎたのではないかと懸念していたが、杞憂に終わってくれたようだ。
と、そこに、
『マスター。これから一緒にお仕事をする方々なら、私のことも紹介してくださいよ~』
不満げな女性の声が響いた。ハニーが帰ってきた時に響いたそれと同じものだが、相変わらず女性の姿はない。
再び呆気にとられる二人をよそに、ハニーが平坦な声で応じる。
「好きにやれ。俺よりお前が名乗った方が正確だ」
『は~い。それではご命令のままに』
答えながらハニーの背後から現れたのは、こぶし大のマギスフィアだ。無機質な球状のボディに、青く明滅するラインが模様のように浮かび上がっている。
それは、まるでお辞儀するような動きを見せると、
『はじめまして! 騎乗支援特化型随行オプション、通称
通常のマギスフィアがするはずのない、流暢な挨拶をしてみせた。
「…………」
「…………」
アリエッタもイロハも、口を半開きにして固まっている。その間抜けな顔に、ウィリアムは再び笑いながら、ああ、と思う。
やっぱり、二人とも素直な子だ。
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