抗議する女
増田朋美
抗議する女
ある日、いつもどおり、蘭は天気予報を見ようとして、テレビのスイッチを入れた。何だと思ったら、ニュース番組をやっていて、なんだかかわいい感じのアナウンサーが、ニュースを読み上げていた。
「えー、次のニュースです。今日未明、静岡県富士市の富士市役所付近で、男性の転落死体が発見されました。司法解剖によりますと、死因は転落死で、遺書はありませんでしたが、その時刻に不審な人物も見かけられなかったことから、警察は自殺と判断しました。身元は、持っていた免許証などから、富士市在住の加藤正隆さん、19歳と判明しました。加藤さんは、警察の捜査によりますと、数日前から、ふさぎ込んでいたようです。」
何だ、どうせ自分には関係のない事件だと思った。でも、19歳か。あまりにもわかすぎるじゃないか。確かに、そんな年代だと、ちょっとのことがものすごい重大に見えてしまう年頃ではあるけれど、命を落としてしまうことは、しないでほしいなと蘭は思った。
「ただいまあ!」
そこへ、妻のアリスが、家に戻って来た。
「ああおかえり。」
と、蘭は間延びして言うと、
「もう、何回いったら、気がついてくれるの。私、10回くらい、只今って言ったんだけど。」
アリスは、大きなため息を付いた。
「そうなんだ、ごめんごめん。」
「もう、テレビに夢中になってこれだもんね。まあ、うちには子どもがいないけど、それも有り得る話か。」
アリスは、テレビが付いていたのに気がついて、やれやれと言う顔をした。
「あら、この事件の話をしてるの。あたしたちの間でもかなり噂になってるわよ。加藤正隆くんの事件。」
アリスは、テレビに向かって、そういい始めた。
「何だお前、なにか知っているのかい?」
「なにか知ってるっていうか、最近、助産師組合では話題で持ち切りよ。加藤正隆くん、彼、十八歳のとき、お父さんとお母さんから言われたんですってね。今のお父さんとお母さんとは、血が繋がっていないって。」
「血が繋がってない?つまり、不倫でもしたのか?」
蘭が急いでそう言うと、
「もう、蘭はすぐにそういう事言うのねえ。それだから、頭が古いって言われるのよ。不倫とか、そういうことじゃないの。彼の父親は、今のご両親の父親では無いのよ。お母様が、どうしても子どもが欲しかったから、外国人の青年と同意の上にくっついた結果、生まれたのが彼なのよ。最近、流行っているのよ。SNSとかでさ、そういう男性を求めて、子どもを作る事。」
アリスは、冷静に言った。
「可哀相にねえ、日本ではこういうことについて法規制されてないから、結局、加藤くんが自殺をするという最悪の結果になっちゃったじゃない。あたしたち助産師も、お客さんのご夫婦の子どもでありながら、実はそうじゃないっていう子を取り上げなければ行けない役目になるのかなって、心配しているのよ。」
「そうなのか、では、公式に認められた、不倫ということになるな。でも、そうやって、子どもを作るってさ、なんか、大人のわがままという気がするよ。どうしても子どもがほしいから、他人のものを利用して、子どもを作るなんて、それは、今いる旦那さんの立場がどうなるか。それでは、お母さんばかりがいい思いをして、お父さんは、なんのためにいるんだということになるよ。」
「蘭の言うこともわからないわけじゃないけど、でも、それでも、子どもがほしいという女性が、非常に多いということよね。最近は、生殖器の売買も平気で行われているし、同性愛とか、そういうカップルもいるでしょう。そういう人たちが、子どもがほしいということで、生殖器を買って、子どもを作ることだって、あるのよ。」
アリスの言うことに蘭は驚いてしまった。
「はあ、子どもというのは、お母さんとお父さんから作られるものだと思っていたけどなあ。」
「もう違うわよ。蘭は、そういう古いことを平気で言うから、いつまでも成長しないのよ。それよりも、今の時代は、お父さんとお母さんなんて、仮のものであるという思想が、現実になりつつある時代なの。助産師してれば、よくわかります。」
「はあ、なるほどねえ。」
そうなのか、実のお母さんから生まれてきたとか、本当にお父さんやお母さんから生まれてきたという子どもは、非常に少なくなってくるのかもしれなかった。そういう子どもよりも、どこか性的な仕事で、望まない行為の結果生まれてきた子どもを、自分の子どもだと勘違いして、育てている父親が多いのではないかと思われる。
「でも、加藤正隆くんも可愛そうだねえ、きっとお父さんとお母さんが、本当の親ではなかったことに絶望したんでしょうね。それは、よく分かるよ。」
と、蘭は言った。
「そうかしら。私達の国では、他人の子を、自分の子供として育てた例はいくらでもあったわよ。」
アリスはそう言うが、そういう事は発展途上国ならではのことであった。そのような事は、先進国では、なかなか見られないと思われる。
「まあ、そうかも知れないけれど、お前の国と日本は違うんだから。他人の子を引き取って育てるのは、日本では、非常に難しいことでもあるんだよ。テレビドラマとか、映画の主題にもなるんだから。それくらい、珍しいことでもあるんだ。」
蘭は、アリスの言うことを、急いで否定したが、
「まあ、誰は誰の子どもかなんて、ご飯食べさせてくれる人が、お母さんと無理やり定義するとか、そういう事で片付ける事は、日本ではできないのねえ。そうなると、孤児とか、そういう子には、居づらい社会だわね。日本は。」
と、アリスは、やれやれと言った。それを話している間に、テレビは別のニュースに変わったため、二人はそれ以上、話をしないで、夕食を食べることにより、その事は話題にはしなかった。
その次の日、蘭は、杉ちゃんと一緒に、身延線に乗って、富士宮市までコンサートに出かけていった。帰り際、富士宮駅で電車を待つために、ホームに駅員に手伝ってもらって、連れて行ってもらった。駅員は、ちょうど電車が来る五分くらい前に、ホームに連れて行ってくれた。身延線の本数は、東海道線に比べても、数が少ないので、長らくまっているということもあり得た。
ホームは、ちょうど誰もいなかった。田舎駅であるので、人はあまり来ないのだ。蘭たちは、電車の近くまで駅員に手伝って連れて行ってもらうと、ホームのはしの方に、女性が一人でなにか呆然と立っている。
「おい、お前さん!駅撮りするには、ちょっと暗すぎる。もっと明るい場所から電車の写真を撮ったらどうだ?」
と杉ちゃんがそういうと女性はぎょっとしたような目つきで、杉ちゃんを見た。彼女が何をしようとしていたのか、杉ちゃんも蘭もすぐに分かってしまった。女性は、すぐに逃げようとしたが、富士宮駅のホームは狭くて、杉ちゃんと蘭が並ぶと、隙間はなかった。女性は、結局そうするしか無いな、と思ったのか、時刻表を見ようとした。
「ところが、下りの電車は、もういってしまったから、後、40分くらい待たないと来ないよ。上りの電車ならすぐ来るけど。」
杉ちゃんがにこやかに笑ってそう言うと、
「もしよろしければ、僕達と一緒に富士へ来ませんか。あのお茶でもごちそうしますから。」
蘭は、にこやかに笑った。
「ああ、お茶より、ラーメンのほうがいいかなあ?ラーメン食べるか。悩んでいるやつは、腹が減っているからな。それではラーメンを食べような。よし、行こう!」
ちょうどその時、電車がやってきた。車掌に手伝ってもらって、杉ちゃんたちは電車に乗り込む。女性も、もうダメだと思ったのか、二人に付いてきた。
「お前さんは、何も心配しないでいいよ。ちゃんと奢って上げるからね。」
杉ちゃんは、急いで言った。富士宮駅から、富士駅は非常に近いところであって、20分もかからないうちに、富士駅に着いてしまった。富士駅では待っていた駅員におろしてもらって、ホームから改札口に移動させてもらい、ちゃんと切符を切ってもらって、急いで、タクシー乗り場に行った。タクシーは、ちゃんと駅で待機していた。こう言うところに、障害者用のタクシーが、待機しているという県は珍しいものであった。
「本当に、普通の人と同じように、タクシーに乗れるなんて、すごいわね。」
と、はじめて女性が、そういうふうに言った。
「そうか、手始めにお前さんの名前を教えてもらおう。」
杉ちゃんがそう言うと、
「武田由美と申します。」
と、彼女は言った。
「そうなんですか。僕は影山杉三ね。杉ちゃんって呼んでくれ。こっちは親友の伊能蘭だ。」
杉ちゃんがそう言うと、蘭も軽く会釈した。
「どうぞよろしくお願いしますな。運転手さん、松本行ってくれる?松本の、いしゅめいるラーメンまで。」
「わかりました。」
運転手は、タクシーを走らせて、三人を松本へ連れて行った。松本は、駅から少し距離があったが、タクシーは、無事に着いてくれた。看板に、いしゅめいるらーめんとひらがなで書いてある、小さなラーメン屋さんである。チェーン店のような立派な店構えではなく、自宅の一部がカフェになっているような、そんな店である。三人は、店のドアを開けて中に入ると、
「いらっしゃいませ。」
と、鈴木亀子さんが、出迎えてくれた。彼女は、三人をテーブル席に座らせた。そして急いで温かいお茶を出してくれた。そして、
「あんた、お客さんだよ!メニューを持ってきてよ。」
と厨房に向かって言った。すると、トルコ系の雰囲気を持った、白い着物を着た男性が現れた。髪は黒であるが、明らかに日本人ではなく、ヨーロッパ系に近い顔つきである。
「ハイいらっしゃいませ。今日は、新顔か。ご注文決まりましたら、お申し付けください。」
と、男性、つまりぱくちゃんこと鈴木イシュメイルさんは、メニューと書いてあるカードケースに入った紙を渡した。
「えーと、じゃあ、僕は、担々麺。蘭は?」
と杉ちゃんが聞くと、
「僕は、チャーシュー麺かな。あの、由美さんでしたね。奢りますから。なんでも好きなものを食べてください。替え玉もできますので。」
蘭は、由美さんに、メニューを渡した。
「はい、それでは、あたしは、塩ラーメンでお願いします。」
由美さんは、すぐに言った。
「わかりました。じゃあ、担々麺、チャーシュー麺、塩ラーメンね。先程蘭さんが言った通り、うちは替え玉をしても、追加料金は、いただきませんから、たくさん食べてください。」
ぱくちゃんは、にこやかに笑って、ラーメンを作り始めた。流石に、ラーメンの美味しそうな匂いがすると、由美さんもにこやかになってくれた。
「良かった良かった。それなら大丈夫だ。ラーメンを食べられれば元気になれるよ。よかったね。」
杉ちゃんがそう言うと、由美さんは、ハイと言った。数分して、
「はい、塩ラーメンだよ。」
と、ぱくちゃんが持ってきてくれたので、由美さんは、ぱくちゃんから箸を受け取り、美味しそうに食べ始めた。この店のラーメンはいつも太麺だ。ウイグル族特有の太麺を使用しているので、ラーメンというより、黄色いさぬきうどんのような太さである。そんな事で文句が出ることもなく、由美さんは、ラーメンを食べていた。その間に、担々麺も、チャーシュー麺も来てくれたので、三人は黙ってラーメンを食べた。由美さんが、食べ終わって、替え玉をお願いしたいというと、ぱくちゃんは、はいよと言って、ラーメンを追加してくれた。由美さんは、またものすごい勢いで食べ始めた。多分、きっと、よほど腹が減っていたのだと思う。
「お前さんは、本当に何も食ってなかったの?もしかしたら、ハンガーストライキでもしてたのか?」
杉ちゃんが、そういうほど、由美さんはよく食べるのである。
「いえ、そういうわけでは無いんですけどね。ただもう、死ぬしか無いと思って、それで外へ出てしまっただけで。」
由美さんは、そう答えた。
「はあ死ぬしか無いというと、なにか重大な事件があったんでしょうか?」
と、蘭は、そう聞いた。
「いえ、事件というか、大したことでは無いんですけど、でも、重大なことだったのかもしれません。」
由美さんは、すぐに言ったが、
「大したことなければ、電車に飛び込もうとはしないよな。そういうことが会ったなら、ちゃんと、隠さずになしてみな。始めから頼むよ。それでは、よろしくな。」
と、杉ちゃんがそういったため、由美さんは、恥ずかしそうな顔をしながら、
「いいえ、本当に大したことはないと思います。私は、今、父と母の三人で暮らしているのですが、その父と母と私は、本当の親子ではなかったことを聞かされました。それで私、申し訳ないというか、すごい衝撃で、もう死ぬしか無いと思ってしまいました。本当の親は、どこにいるのか聞いてみたかったけど、それは、誰なのかわからないと父も母も答えました。なんでも、母がインターネットで手配した人から、私をつくってくれたらしいのです。だから、今の父は私の父ではありません。本当の父は、インターネットでやりとりしていただけのことだから、本名も、住所も、何もわからないのだそうです。私、それを聞いてすごいショックを受けました。私を育ててくれた父は、本当の父ではありませんでした。」
と言ったのであった。
「そうなんですか。きっと僕も、そういう事を言われたら、死にたくなると思いますよ。それは誰でも同じです。」
と、蘭は、彼女にそっと言ってあげた。
「だから、悲しくなっても、それは当然の事です。それは、大したことないとか、そういう事を言ってはいけません。悲しくなったら、悲しくなったって、お母さんにぶつければいいのです。」
「でも、私さえ黙ってれば、いいのかなってそんな気持ちも湧いてしまうんだと思います。私を、産んでくれて、一応、この年まで育ててくれたわけですからね。」
由美さんは、小さい声で言った。
「お前さん、今いくつだよ。」
杉ちゃんが聞くと、
「はい、ちょうど、20歳です。今、短大を出て、保育士をしています。子供の世話をするのはもともと好きですし、そういう子達の役に立ちたいという気持ちは、私もありますしね。だから、今の人生で後悔はしていません。ですが、それも手につかなくなるほど、父が本当の父ではなかったという知らせは、大きなものでした。」
と、彼女は答えた。
「そうなんだ。とても優しい、お父さんだったんだね。」
杉ちゃんがそう言うと、
「はい。ママはいつも仕事で忙しいから、パパで我慢してくれよと言って、優しそうな顔をして、私に本を呼んでくれたり、おもちゃを買ってくれたりしました。そんな父が、私の父ではなかったことが、本当にショックで。」
と、彼女は、涙をこぼした。
「そうなんだねえ。僕は、そういう事は、気にしないで育ててくれたことに感謝するんだけどな。誰から生まれたかなんて、そんな事気にしないよ。それに、僕らの住んでいた地域では、親がなくて、悪さばっかりしている子どもなんて、たくさんいたんだから。」
と、ぱくちゃんが、そういうことを言った。
「僕は、この前起きた暴動で家族全部がいなくなっちゃったからさ。援助者として、やってきてくれた亀子さんと結婚するまで、もう、その日のことで手一杯で、何もできなかった。それで、当然のように日本へ来て、こっちでラーメン屋始めたけど。誰から、生まれてきたとか、そういう事考える余裕なんてなかったよ。だからねえ、育ててくれたっていうか、こっちへこさせてもらってさ、そういう事をしてくれた人に、感謝したいなと思ってる。まあ、日本のことなんて何も知らないけど、それでも、ここで暮らしているわけだからね。言ってみれば、日本全体がお母さんみたいに見えるのかもね。」
「そうかあ。日本全体がお母さん。それは名言だねえ。きっとそうだと思うよ。」
杉ちゃんもぱくちゃんの話に入った。
「確かにそうかも知れません。うちの妻も、東欧の最近まで戦争をしていたところから来ているので、誰に育ててもらおうが、そういう事は、気にしなくていいと言っていました。貧しい国家だったから、そういう事を考えることができるでしょうか。そういう人は、きっと気持ちも優しいんだと思います。」
蘭は、ぱくちゃんの話に、そう付け加えた。
「だから、お前さんも自殺なんて、しなくてもいいわけだ。大丈夫だよ。本当のお父ちゃんでなくてもいいじゃない。本当のお父ちゃんでなくても、お前さんの思い出はいっぱい詰まっているさ。どうせ、一物をくれたやつなんて、そのときだけのことじゃないか。たった一回だけ一物をくれたやつと、お前さんを、二十歳になるまで、育ててくれたやつと、どっちがお前さんと深く関わっているか、を考えたら、絶対後者の方だろう。だったら、今まで通り、お父ちゃんに感謝して、暮せばそれでいいんだ。電車に飛び込もうなんて、必要なかったんだ。それは、もう忘れてさ、これからも、楽しく暮らせよ。」
「そうですね。」
武田由美さんは、申し訳無さそうな顔をして、杉ちゃんたちの前で号泣した。
「すみません、もう一度、替え玉させて下さい。もう、父と母に抗議するつもりで、一週間近く何も食べてなかったんです。杉ちゃんさんの言葉で言えば、ハンガーストライキと言えるかもしれませんが、私は、その言葉は思いつきませんでした。」
「ああいいよ。じゃあ、二回目の替え玉ですね。追加料金は発生しませんから、いくらでも食べていってくださいませ。」
ぱくちゃんが、にこやかに笑って、ラーメンを由美さんの丼に入れてくれた。由美さんは、急いで、替え玉にかぶりついた。
「ウン、食べられるということは、健康である証拠だよ。体と心さえ健康ならば、何でもやっていけるよ。それは、僕が保証するから。僕は馬鹿だけど、それなりに、一生懸命やっているんだからな!」
杉ちゃんはカラカラと笑って、彼女の肩をぽんと叩いた。
抗議する女 増田朋美 @masubuchi4996
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