第51話 英雄

「―――このように、秋口からこの市伯を脅かしていた人狼の呪いは、栄光あるロッセリーニ伯長子、アルベルト・ロッセリーニ様によって成敗をされたのでした。しかし、あぁ、何たることでしょうか。さすが人狼、神秘の存在なのでありましょう。アルベルト様はなんと相打ちを果たされたのです。悲しいかなその身を挺して、市民をお守りになり、お亡くなりになったのでした。なんという悲しみでしょう。アルフレッド様はお二人もの子を失ってしまったのです。なんという苦しみ。私は、皆様の前でお話をしながら、思わず涙をすることを禁じえませんッ」



 ブガーロ・ダッビラは、目の前に備え付けられた粗末な演壇に、雇った演説師が大声を上げて一席打っているのを遠巻きにして聞いた。

 まだ識字率が低い市民の間では、伝えたいことがあれば、司祭かこうした演説師が街頭に立って、人々に話を聞かせて回る。

 ブガーロ・ダッビラは暖かい襟巻に顔を埋めながら、強く吹く西風に思わず首を伏せた。



―――既にアルベルト・ロッセリーニが死んでから丸一日経っていた。

 騎士団がアルベルトの死体を川べりから引き揚げて一度屯所に戻り、改めて使者を城に出した。そこからやり取りが始まって既に丸一日経とうとしていた。

「さて、皆様の中には人狼などいないとお考えの向きがいらっしゃることは承知しております。ここで専門家に登壇して頂きましょう」



 おやおや、遂には専門家か―――。

 黒いチュニックを着込んだ演説師が壇上を降りて、代わりに海老茶色の外套を纏った公証人が壇上に上がった。

「皆様、ご紹介に預かりましたベネディクト・マルチェロと申します。聴衆の皆様の中には、私の顧客もおられますな。普段は公証人を生業とさせて頂いておりますが、皆さま、本日は幻想評論家としてぜひ皆様の前で、私が幸運にも、いえ、死者も出ている。幸運は言い過ぎではあるのですが、幻想があれば、フランク王国の先まで足を運び見聞きしたことをぜひ皆様にお伝えしたい」



 普段は大声を出したこともないのだろう、大きく咳ばらいをして両手を広げて聴衆の注目を集める。

 幻想評論家とは。考えていたんだろうな。用意せねばでない単語だとブガーロ親方は思う。そう言えば、ローマの辺りはもっと暖かいと聞いた。引退したら南に引っ込みたいが、当座は難しそうだと思えた。



「―――皆様、私はちょうどデュエロ橋を見渡すことのできる居酒屋の二階におりました。そこで見た光景を私は忘れることができません。まさしく人が狼に成り果てているような奇怪な怪しい姿。まさに禍々しいとしか言いようがございませんでした。長らく幻獣や怪物の噂があれば駆け付け、その残滓を余さず見て回った私ですら、怖気づくあの姿。だと言うのに、あの偉大なるアルベルト・ロッセリーニ様は、一切のためらいもなく、雄々しく立ち向かわれました。なんという勇気でありましょう。英雄、この言葉はめったなことでは使うべきではありませんが、今こそ皆で、英雄アルベルト・ロッセリーニを湛えるべきでありましょう。さて、古来人狼とは―――」



 調子よく話を続けるマルチェロに背中を向けたところで、「何あれ―――」と言う、娘の声が聞えた。

「あの演説師。確かあれって“嘘つき”ヴィットロよね。確か詐欺で訴えられて、牢屋送りになっていたんじゃなかったかしら」

「お前。勿論このために連れだしたのだよ。向こうに依頼してね」

 見栄えや声量、演技力などどれをとっても一流というのはなかなかいない。それでもブガーロ親方は、なかなかの突貫作業で牢屋から引き出し、ロッセリーニ市迄急いでこの役者を連れてきた。娘にその苦労を伏せて置いたのは、そこまでジーノ・ロッセリーニに入れあげていると娘にも思われたくなかったからだ。



「ジーノ様は落ち着かれたかね」

見れば、綺麗なお仕着せの姿で髪を高く結い上げて、アニータ・ダッビラが見た目だけは淑女そのままに佇んでいた。

「まだ。寝ずにあちらこちら。よくやるわ」

「まだ口を効いていないのかね。お仕えしているのはこちらだと言うのに」

「―――そうね。こんな形でカタを付けるなんて。絶対許せない」

 娘の顔はかたくなに見えて、ブガーロ親方はそっと溜息を付いた。



「だがね、お前。今回の騒ぎはこれで漸く丸く収まったのだ。私だってこうは上手く進められない。良く考え付いたものだと思うがね」

「不用意に死者を出さずに一人のみ。それはいいけど、ヴォ―レオ家の名誉は誰が回復してくれるのよ」

「驚きだよ、アニータ。お前の口から名誉という言葉が出るとは」

「馬鹿にしているのだったら……」

「馬鹿になどしていないとも、本当だアニータ。逆だ。私は嬉しいのだ。他者の名誉を尊いと思えるお前がね」



 アニータは凍り付いたような横顔を向けたまま、身動きすらしなかった。

 こうなると娘は梃でも動かない。

「―――誰に似たのやら」と思わず呟いてしまう。

 誰に似たという事もない。意外とジーン・ロッセリーニに似てきているのかもしれない。あれで頑固なところもある。

 聴衆が盛り上がり始めて、専門家たるマルチェロの弁舌も冴えわたっている。

 それに背を向けて、ブガーロ・ダッビラは人通りの多い街路の中に足を踏み入れて、そのまま消えた。

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