第49話 進撃

 従士カルロ・ヴァダは痺れるように震える指先を口に当て、何とかわずかに暖を取ろうとしたが、手甲の上では気休めに過ぎない。我ながら愚かなことをしたと思い、思わず周囲を見渡すと似たような事をしている男たちの群れを見ることが出来た。



 ―――未明。

騎士団駐屯地に残る全騎士とその従士は、まだ真夜中を過ぎたばかりの内に寝床からたたき起こされて、中庭に整列をさせられた。

 準装備の指示があったので、ブリガンダインと手甲を着込んで出てきたが、それらは寒さを防ぐものではない。前に並ぶ主人は兜を小脇に抱えているが、フラフラと躰を揺らしている所を見ると、正に寝起きだったのだろう。

 高い台に立ちあがった、アルベルト・ロッセリーニ卿を前に、その専従の従者どもが語ったことは、常軌を逸していた。



 この寒さの中で何を言い出すかと思えば、13年の従士歴を誇るヴァダにとっても想像もしたことがない事ばかりだった。

 先ず言うに事欠いて団長アンニバーレ・ヴォーリオが死んだという。更にはなんとアルベルト卿自身が処したと言い放つ。立ち並ぶ全騎士に動揺が走ったが、声を上げるものは居なかった。



「今日この時から騎士団はアルベルト・ロッセリーニ卿を頂き新生する。全騎士と従士は変わらぬ忠誠を捧げよ。本日日没後、ロッセリーニ騎士団は、全武装の上ロッセリーニ伯居城に向け進撃をする。ロッセリーニ伯は騎士団の解体を考えておられる。しかしロッセリーニ領を守護するのは我ら以外にいないのは明白。ロッセリーニ伯には、速やかに王杓を団長アルベルト様に譲り奉るよう我らで請願するものである」



 薄気味の悪い青白い顔をした従者は、存外な大声で言い放ち、最後に高らかに「解散」と叫んだ。

 肝心のアルベルト・ロッセリーニは壇上高らかに睥睨をしていたが、一言も漏らさずに下がり、姿を消した。

 後に残された騎士と従士は静まり返ったのちに、大声で怒号を上げた。

ヴァダの主人である、騎士パオロは「こりゃ、酷いな」と兜を抱えたままぼやくように言った。

「酷いもひどくないも、本当なんですか。言っちゃいけない事、堂々と言い放ってからに」



 ヴァダは5歳程年下の主人に小さく言った。歳も近いうえに長い付き合いだ。主従というよりは、どちらかと言ったら悪友のような付き合いを続けている。

「知らんよ。しかしだな―――」とパオロは声を潜めて、

「団長が死んだってのはホントらしい」と言った。

 この場合は団長はアンニバーレ・ヴォーリオを差すのだろう。

 しかし、言っていることは尋常じゃない。

「とにかくだ」とパオロは自分を納得させるように言う。

「馬の準備しよう。全武装って話だし」

「―――本当に行くんですか。だって、ややもするとこりゃ」と言いそうなる。

「言うんじゃないぞ。そりゃ団への叛意に取られるぞ」とパオロは顔を顰めて言った。

 やれやれと思いながら「小隊をまとめておきます」と言うと、パオロは「すまんな」と答えた。



 しかし寒いと思いながらブガーロ・ダッビラは窓の外を見ると、ちらほらと雪が舞っているのが見え、道理で底冷えするわけだと思いながら手に持ったワインを少し口に含んだ。



 居心地のいい居酒屋の2階。窓際の席。

 ランプに火が入り街路をうす暗く照らしている。間近に見えるデュエロ橋が真っ白く染まりつつある。橋上に備えられている街灯が幻想的に光っている。

「しかし、今日は珍しいお誘いをありがとうございます」

 木製のテーブルを挟んでいる座っている品のいい男は、ほくほくと言う。

「いえいえ、先生。たまには良いではないですか。お世話になっているのです

 公証人ベネディット・マルチェロは恰幅の良い体格を海老茶の上着に包み、同じく酒を口に含んでいる。既に酒瓶を2,3は空にしている。



 ブガーロ親方は、公証人が酔いつぶれてしまわないよう、気を配らねばならなかった。

 子羊の肉を齧るマルチェロを横目に、目を配る。居酒屋の席には二人ほど手の者を用意している。

 人出は全て出した。

 が、それでもジーノ・ロッセリーニの計画が上手く行く可能性は半分もないだろう。



 ブガーロ・ダッビラは顔はまるで温厚に笑いながら、胸のむかつきを抑えることが出来ない。どうやら我ながら相当緊張をしているようだった。まさに久しぶりの経験だった。

「おや」

 公証人が何かに気が付いたように窓の外を見た。

「あれは……騎士ですな。あんなに沢山、珍しい」

 ―――始まったか。



 釣られた振りをして窓を見る。

 騎乗している数人の騎士が見える。一番先頭にいるのは背の高さからして、どうやらアルベルト・ロッセリーニだった。

 アルベルトは騎士ではない。

 騎士は叙勲を受け、仕える人物の為になるものだ。騎士として働きたいのだったら、本来は父アルフレッドから叙勲を受けるべきだろうが、そう言ったことは聞き及んでいない。



 つまり―――。

「つまりは、すべては見せかけという事か」と小さく呟いた。

 騎士の恰好をしているが、騎士ではない。

 人狼の振りをしたが、はやり人間でしかない。

 そしていま、唯一息子であると言う事すらも投げ捨てようとしている。

 何者でもないアルベルトとなって、何をするつもりなのだろう。



「何の因果なのでしょうな。アルフレッド様」

 ブガーロ・ダッビラは小さくサインを送り、室内の手下どもに合図する。

 一人は自然な動作で立ち上がり「……勘定」と言いながら階下に向かって言った。

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