第46話 絨毯

 控えの間は外気を遮断することもできずに冷え込みが酷かった。

 厚い高価な絨毯を敷き、窓には垂れ幕を垂らしているが、暖炉がない。ほんの小さな小部屋なのだが、これでは寒さは防ぎようもない。



 用意された椅子に座り込んだまま、アンニバーレ・ヴォーリオは、床の一点を見たまま凍り付いたように身動きをしない。

 ジーノ・ロッセリーニは向かいの椅子に腰かけたまま、次第に陰っていく陽の光を見つめた。



 ジーノがアンニバーレ・ヴォーリオを伴って、父アルフレッド・ロッセリーニに面会を申し込んだのは、ブガーロ親方との面談を終えて直ぐだった。

 アンニバーレ・ヴォーリオに伝言を託して、返信を待つのに少し時間を使ったが、彼は意図を察して早々にやって来た。



 侍従に面談の希望を告げると、控えの間で待つように返答があり、それからほぼ半日以上この部屋に詰めている。

「……待ちますね。しかし」と誰に言うともなく呟く。

 微かにアンニバーレが頷くのが見えた。



 思えば、どれほど父に会えていないのか。

 面談の意図を伝えた侍従の顔があからさまに歪んだことも気になる。

「……我々の意図が、つまりアルベルト様の事がお父上に伝わって、逆に怒りをよんだのでしょうか」とアンニバーレがぽつりと言った。

「いえ、そう言う言い方はしていません。ただ、僕とアンニバーレさんが一緒にいるという事で何かを察した可能性はありますが……」

「証拠らしい証拠もないのです。味方によってはこちらが反逆と取られることもあるでしょう」

「……狼王のローブの授受者の意図です。あなたの献身はそんなに軽くないですよ」

 アンニバーレ・ヴォーリオは「荷が重いですな」といい、微かに苦笑いを浮かべた。



「母上はどうされていますか」とアンニバーレが言う。

 フランカの姿を最後に見たのは、祭りの最後だったように思う。

 祭りの終わりには、教会の司祭が市民の前で礼拝を捧げる。フランカは確かにその場にいた。その時もアルフレッドは不在だった。市民を代表し、祝福を受けた後ジーノ自身酒造ギルドへの払いを言いつけられていたので、その疑問を解消する暇がなかったのだ。



 そう言うと、アンニバーレは「なるほどそう言えばそうでしたね。あの時もアルフレッド様は不在だった。どうしておられるのか」

 ゆっくりと陽が落ち、影が伸びていく。

「……昔は、そのもっとロッセリーニ領が小さかった時ですが、こんな儀礼はありませんでしたね」

「そうですか」

「えぇ、私はほんの小僧でした。見習いだったのです。もっと野蛮な時代だったという言い方もできます。フランク王国との小競り合いは日常です。ロンバルディアとの小競り合いも同様。その時から我々の民族は隣国との協力がどうもできませんでした」



「隣国というと、つまり-――」

「えぇ、ベネツィア、ミラノ、教皇の居られるローマ。この半島に住むのは同じ人種なのですが、びっくりするほど一致団結が出来ません。そのためフランク王国の進軍、あるい教皇派とそれぞれの諸王の争いで、ただひたすら争い続けています。そのためは直ぐに判断を求められることもあり、必要であれば、寝室にも押し入って相談を持ち掛けていました」

 アンニバーレの貌を見る。わずかに目尻に皺が寄っている。郷愁を感じているのかもしれない。

「―――今が悪いと言っているのではないのです。文化的になったと考えるべきです。そして文化とは平和でないと涵養できないのですね」



 その時、背後の扉が開いた。

 振り向くと、侍女姿のアニータが頭を下げて入って来た。顔を見るとどうも緊張をしているように見える。

「失礼します―――」と言い、ジーノを引っ張り部屋の隅に連れて行く。

「どうしたのさ」と顔を突き合わせて聞く。

「―――伝言が来たんだけど。アルベルトがまた、駐屯地から出たって」



 アニータにはブガーロ親方の報告は共有してある。そのため緊急だと思い伝えてきたのだ。

「―――ッ、衛士に連絡をするべきかな。いや、現場を押さえないダメだ……」

 後手に回ったと顔を顰めたジーノを見て、アニータは眉間に皺を寄せて鋭く話す。

「違うのよ。今回はおかしな格好をしていないの。供も2名連れている。だからウチの人間も遠巻きに後を付けているんだけど……その」と、アンニバーレを横目に見ながら言う。

「どうも、ヴォ―レオ邸に向かっているようなのよ。館に入ったところでウチのパパ経由で話が回って来て」



「どうされました」

 耳ざとく聞きつけた、というよりは、自分の名前が耳に入ったのだろう、アンニバーレが近づいてきて言った。

 聞こえてしまったのならしょうがないとジーノは思った。

 手短に伝えると、アンニバーレの顔に強い困惑の表情が浮かぶ。

「……何故でしょう。今日私が出て来る時にはそんなことは。そもそもここにいることは言い残しているのです。私に用があるのだったら、ここに来るはずですが……」



―――何かがまずい。ジーノは思う。

「アンニバーレさん、落ち着いて聞いていただきたい。実はその、アルベルトにはある嫌疑があります」

 ジーノはどうやって調べたかと言ったことはすべて省いて、アルベルトが市民を襲っている姿が目撃されていると事のみを伝えた。

「馬鹿な、それでは……巷で言い交されている人狼が、アルベルト様だと仰るか」

「おそらくは。だからアンニバーレさん、今すぐご家族のもとに向かうべきです。何かがおかしい」



「―――しかし」と一瞬アルフレッドの私室に向かう扉を見るアンニバーレに、叱り付けるようにジーノは言った。

「父には私から言っておきます。早く行くべきです。彼が、そのそうでなかったとしてもおかしいですよ。なんで主人不在の館に行くんですか」

「―――確かに。ッそれでは申し訳ない。私は行きます。後ほど」

 そう言い捨てて、アンニバーレ・ヴォーリオはアニータが入って来た扉から出て行く。



「あたしも行くわ」とアニータが言う。

「解った、僕も後を追うよ」

 アニータは裾を翻して出て行く。

 ジーノは怒りに近い感情を持って、侍従を呼び家令を呼ぶように言った。

 しかし、と口答えをする侍従にジーノは強く「しかしも何もない。今すぐだ」と言う。自分らしからぬ態度だ。それは分かっているが止められなかった。



 慌てて出て行く侍従の背中を見ながら、機能不全という単語を思い出した。

 ただ、それは些細な変化に気が付いていなかっただけで、実は予兆はあったのではないか。

 祭りのはじめ、アニータと菓子を買い食いした時に感じた違和感を思い出す。

 陽が落ちて部屋に暗がりが満ちる。

 気が付くと指先が凍えるように冷たくなっていた。

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