第45話 傾注
「まさか」とジーノは言った。「そんな馬鹿な」
朝早くブガーロ親方に呼び出されたジーノ・ロッセリーニは。『盗賊の家亭』に足を踏み入れるなり、2階の親方の私室に招き入れられた。
そう大きくない一室で、丁度寛ぐにはいい大きさだった。落ち着いた臙脂色のカーペットが敷かれ、その上に2脚布張りの椅子がある。猫足の足を持つ安くない一品だ。
しかし、その2脚に座る二人の寛ぐと言うには程遠い顔色をしていた。
たった今、昨晩のブガーロ親方の目撃を聞いたジーノは、目を見開き記憶を振り返っていた。いつからかという自問自答がまず先立ち、その答えを得るには自分はアルフレッドを知らなさ過ぎると思った。
「そんな様子はなかった」
「私もそうです。城に何度か足を運ぶ機会があった時に、彼の姿に妙なところは無かった。どちらかと言ったら、幼さ、そう、幼児性を感じたものです。ただ、昨日見た彼の姿は……」
ジーノ・ロッセリーニにとってもにわかには信じられない。
しかし、わずかな期間だがブガーロ・ダッビラは信頼に値すると考えている。
彼が見たのならば、その通りなのだろう。
そしてそれを裏付けるように、ジーノは郊外で再び死体が見つかったと言う話を全く別の筋から聞きこんでいた。
アルベルト・ロッセリーニは正にロッセリーニ領を脅かしている人狼である。
この事実をどう扱うべきかジーノは悩む。
「ジーノ様、本来はいち早く彼の身柄を抑えるべきです。彼の身分は重々承知ですがとやかく言っている場合でもありますまい」
「―――そうですね。正にそうなんでしょうが……」
「解っています。そう。証拠がない。私どもが見ただけです。それを証拠にしてアルベルト様を問い詰めただけで、あの方を捕縛することはできないでしょう」
そうなのだろう。決定的な証拠でもなければ立場が物を言うに決まっている。こんな話だけでは、アルベルトを抑えることが出来るわけがない。
「―――如何しますか。ジーノ様。繰り返しですがこのまま放って置くわけには」
大きく溜息を付き、考える。
おそらく誰に言ってもこんなことは信じるまい。どちらかと言えば、ジーノがおかしくなったと言われるのが落ちだ。
「父に、アルフレッド伯に話をしてみましょう。人狼の話はまずはできないと思います。余りに突飛です。なので、反乱の方から話をします。これだったら、アンニバーレ氏が証言をしてくれるでしょう彼の証言であれば、無視できる人は少ない筈です」
「なるほど、そちらでも彼の身柄を抑えることはできるでしょう。結構だと思います」
ジーノはさっそくと立ち上がる掛ける。
「今、アルベルトは」
「駐屯地に。リカルドが引き続き監視をしています」
―――全く因業な事だった。
リカルドは騎士団の屯所をゆっくりと歩きながら思う。
昨晩程恐ろしい思いをしたことがない。本当ならばあんな化け物が巣食うこの建物からすぐにでも逃げ出したい。
恐れを無理やり押さえつけて、にこやかな笑みを浮かべる。
顔見知りの女が、挨拶をしてくるので、それに笑って答える。
内心は死ぬほど怯え切っているし、できれば、アルベルトの顔などもう見たくもない。
昨晩アルベルトの前から逃げ出した後、ギルドに逃げ込んで、気付けに強い酒を呷った。 ブガーロ親方も同様だったが、それでも細かに複数人の盗賊に指示を飛ばしていた。
明け方に戻って来た盗賊共が話すには、現場には人間の原型を留めていない死体が残された事。アルベルトは廃屋に戻り、日が登ってから何食わぬ顔で屯所に戻って行った事を伝えられた。
その全てを厭わしく思ったが、同じようにすべて聞いた親方はこともなげに。任務の継続を命じた。
一睡もしていないので、頭がクラクラと揺れて、見たくもないものを見てしまいそうだった。いつも通り騎士の間を縫って、言付けを預かり、あるいは預かった手紙を手渡す。
赤い獅子の紋章の手紙が入っていない事だけを祈る。
二、三人の騎士と軽口を叩くと徐々に気持ちも落ち着いてきたが、それも通路奥から、「傾注ッ」という鋭い声が聞えてくるまでの事だった。
この声を掛けられれば、どの人間も通路を開け礼を取らなければならない。
こんな真似ができるのは、騎士団でも二人。団長アンニバーレ・ヴォーリオと、あともう一人―――。
「傾注ッ。アルフレッド・ロッセリーニ様の出立である。傾注ッ」
通路にいた人間が一斉に脇に寄り、目を伏せる。
リカルドもそれに倣うが、自分の貌から一気に血の気が引いたのが分かった。
二人の騎士が先導し、その後から背の高い黒髪の男が帯剣をして歩いてくるのが分かった。必死に目を合わさないように、体を小さくする。
周囲の人間など目に入らないように、胸を張り感情の混じらない瞳でアルフレッドは目の前を通り過ぎる。
その姿が眼に入ってしまい、リカルドは昨晩の姿が信じられない思いを抱く。
あの口の中の歯、全て牙のようになって、昨晩男の鼻梁を―――。
手に持っていた手紙を強く握りしめてしまい、インクが滲んでしまう。もう読めないかもしれないが、何の問題があるだろう。
リカルドは出来る事ならアルベルトの背中を指さし、「人狼」と大声を上げたい気持ちに襲われる。ゆっくりと手で口を押えて、目を剥きその背中を見送る。
―――そう言えば、どこに行くんだ。
リカルドはそう思って周囲の騎士に聞いてみるが、定かではない。
「とにかく伝えなければ」
リカルドは呟いて、手紙を全て仕舞いこむ。
不吉な気配が色濃く漂ってきていてうんざりする。
―――また死体が転がる。
リカルドは自分の勘を一切疑う事はなかった。
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