第35話 総長

「さて―――。ジーノ様。こう申し上げてはなんですが丁度良い機会でした」

 アンニバーレは腰を掛けながら口を開く。さて、本題だとジーノは思った。



 極々薄くしたワインを杯に入れて差し出すと、アンニバーレは手に取り一口啜る。

 ジーノは市井のよいアンニバーレを見ていると気圧されて自然と背中が丸くなった。



「先だっての式典はおめでとうございました。余り口を挟めるような立場ではないので、お祝いも申し上げませんで」とと言うと、アンニバーレは首を振って、「身に余る名誉でした」と答える。



「本来あのような宝物を頂く謂れは無いのですが、ロッセリーニ様からも強くお勧め頂いて。恐縮な話です」

「長らく市を守って頂いているのです。当然かと」

「いえいえ、ジーノ様。これは私の仕事なのです。給金も貰っています。革職人が毎日仕事をしている事と変わらないではないですか。日々働いている革職人が、ある日宝を貰ったら困惑するのではないでしょうか」



 アンニバーレは軽妙に言って苦笑いを浮かべる。笑った口元に愛嬌がある。

 ジーノも釣られて笑って「そうでしょうかね」と答えた。


 

「ジーノ様。私は騎士なので文官の皆様のような、鮮やかな言葉は扱いかねます。非礼があった時はご指摘いただきたいと思います」

「平の言葉で結構ですよ。ご存じの通り僕はロッセリーニ家の中ではあぶれ者です。血の繋がりもアルフレッドとはありません」


 

 そう言うとアンニバーレは「助かります」と言って、続ける。

「さて、ではお言葉に甘えまして。率直な話、兄君の事です」

「アルベルトですね」

「えぇ、アルベルト様。まぁ噂の一つも聞きます。兄君とはうまくいっておられないとか」

「否定できません。でも仕方のない事かもしれません。そう思っています」

 ジーノはまずはそう答えておく。



「騎士団はアルベルト様とのかかわりが深いのはご存じの通りです。内々ですが、来年には騎士団の統括という意味で総長という役職を作られるとお父君からは聞いております。私は直接はアルベルト様を通して、ロッセリーニ伯への奉仕を行う事になります」



「はぁ初耳でした。総長とは聞きなれないですね」

「そうですね。私も細かくは把握していませんが、フランクの古い騎士団で使われた役職だとか。ロッセリーニ市も大きくなりました。現状は直接アルフレッド伯に諸々の事をお諮りいただいているのですが、分担という事になるのですね」

「はぁ」とジーノは答える。

 確かに聞き覚えのない話だったが、驚くほどの話ではない。

「ジーノ様、まぁそれ自体は現在の形を、職域として追認しているだけなのですが、その、アルベルト様なのですが……」



 そこで漸く騎士は言いにくそうに口籠った。

「ご存じだとは思います。アルベルト様は現在はもっぱら騎士団の詰め所にこもりっきりでおられて実はなかなか父君とも面談が出来ていないようなのです」

「えぇそうらしいですね。詳しい話はよくわかっていないのですが、最近は確かに食事も同席していません」

「実際今はまだ騎士団統括としては、大きな問題は無いのですが、ただ、このままというのも実は私どもにとっても少しやりにくさはあります」



 そこまで聞いてジーノは、アンニバーレを止めるように言った。

「なるほど。その言いずらいのですが先に言っていただいたように、僕とアルベルトでは……」

「いえ、それは分かっているのです。あなた様にアルベルト様に何かを言っていただくと言うのでは、逆効果になるのでしょう。ですので私と懇意に頂きたいと思っています」



 アンニバーレはそう言って微笑む。

 ジーノの顔に浮かんだ疑問に答えるように続けた。

「その、私とロッセリーニ伯は紛れもなく主従です。私はそれを誇りと思っています。ただ、そうであるがゆえに、伯も私に言いずらい事もあるのだろうと思うのです」

 


―――なるほど。

「つまり、架け橋になれと」と、ジーノは言った。わかった気がする。

「言ってしまえば。そのこのままお父君ロッセリーニ伯と兄君の関係が不通だと、さすがに騎士団総長の話だけではなく、後継者の問題となりかねません。私には見過ごせません」

「アルベルトや父の意向と直接ではなくて、私とアンニバーレ様で取り持つという事ですね」

「えぇ。権威は継続されてこそ価値がある。騎士は忠誠を向ける相手が居なくては、ただの暴力装置なのです。ですので、何とか父君、兄君には手に手を取って市を守っていただなくては。騎士団はあくまでその為の手足に過ぎないと考えています」




アンニバーレは手を組んで、まっすぐにジーノを見てそう言った。

「アルベルト様は、覇気に富んだお方です。多少粗暴なところがあるのですが、長ずればいずれは落ち着かれ、名君になられると信じております。ですのでジーノ様も、色々あるのだと思いますが、今しばらく長い目で」



 ジーノは、少し微笑んで「そうであればいいと思っています」と答えるに留めた。

 アンニバーレは、ジーノの気持ちをおもんばかったのか、それについてはあまり言葉を続けなかった。

「いずれにせよ、ジーノ様とはもっと早く面識と得ておくべきだったと思っているのです」



「アンニバーレ様、過分なお言葉です」

「様は結構です。呼び捨てください」

 さすがに騎士団長と呼び捨てる度胸は無かったので、ジーノは「では、お互いさん付けとという事で」と妥協案を持ち掛ける。



「いや、今日はよかった。ジーノさんのご侍女に大変感謝せねばなりますまい。なんと言っても娘を救っていただいた上に、得難い知己を引き合わせて下さった」

「娘さん、可愛らしいですね。お幾つなのですか」

「五つになろうかというところです。これからが楽しみで」

 アンニバーレ・ヴォーリオはこの時ばかりは、父親の顔になって答えた。

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