第34話 滑車

 数刻前の今朝がたの事だった。祭りも経過し四日目。

 ジーノはいつも通り自室でダラダラと寝そべっていたが、ノックをされて出てみると、若い、少年と言ってもいいような男が顔を真っ赤にして直立不動で立っていた。



 見かけから騎士に付く従士だと思い少し身構える。

 どうせ、アニータだと思ってゆるゆるの部屋着を着たままだったので、正装をしている従者の前にいるのがひどく居心地が悪い。



 少年は、目を見開き天井を見つめて、声も高らかに「わが主、アンニバーレ・ヴォ―レオが、尊いお方であり忠誠を誓うべきロッセリーニ伯の血筋に連なる、ジーノ・ロッセリーニ様にご面会を慎みまして願い奉ります。わが主の願い。お聞き届けいただけますよう申し上げます」と、一息に言った。



 そして、従者はまるで玉座の前にいるかのように跪き、顔を伏せて手に持った書状を捧げた。

 その姿を見て、ジーノは全身が崩れ落ちそうな疲れを感じる。

 


 ジーノはこのような敬意を払ってもらうような立場にない。単にロッセリーニ家の人間であるだけだ。さっきの口上の中で言えば、血筋には間違いなく連なっていない。しかし、それを訂正する気力が、緊張し張り詰めた目の前の子供じみた従者に根こそぎ奪われてしまっていた。


 

 とにかく手紙を手に取ると、差し出し人は確かに、ロッセリーニ市騎士団団長アンニバーレ・ヴォ―レオだった。過剰な修辞を除くと確かに「午後、面会を希望」と読み取れた。



「何用とおっしゃっていましたか」と聞く。

「高貴なるお方の所用、下賤なる我が身には―――」

「あぁ、御免なさい。良いです。承知しましたとお伝えください」

 ジーノは居た堪れなくなって、やや被せて答えてしまう。従者はあからさまにほっとした顔をして、しずしずと下がり去っていった。



 入れ替わりにアニータが手に籠を下げて入って来た。

「―――誰、あれ」と言う。籠に入っていたリンゴを、そのまま一口齧った。

 ジーノは黙って預かった手紙を渡す。



 アニータは渡された手紙に軽く目を通すと「あぁ」と言った。

「これ、あんたの昼食」と籠を渡してくる。

 ジーノは籠を受け取り、パンを抜きだして食む。チーズが有ったので一緒に摘んだ。



「あぁって、どういう事」と、アニータに声を掛けると、アニータは複雑な顔で「ちょっとね」と言う。

「煮え切らないね。何を隠してるの」



「隠してなんかない。たぶんお礼を言われるから。ふんふんとしておきなさいな。さて、じゃあ午後に来客と。隣の部屋、整えておくから。ご夫妻で来るはずだから控えの間も取っておく。あとリンゴ御馳走様」と、アニータは言い出て行った。

「なんでそんな事知ってんのさ」

 ジーノはアニータの背中に声を掛けたが、何の答えも帰ってこなかった。



 「アンニバーレ・ヴォーリオです」と男は言った。

―――騎士だ。

そうジーノ・ロッセリーニは思った。



 鎧は着ていないが短めの剣を帯剣している。濃紺のチュニックは地味だが品のいい品に見えた。灰色の厚手のショースを履いている。肩に短めのマントを付けており、滑車の刺繍が見えた。



 帯剣と滑車。両方とも騎士を示す持ち物だ。

だがそれらがなくとも、ジーノは目の前にいる壮年の男が騎士だ気が付いただろうと思った。



 立ち振る舞いや動き。短めに刈り込まれた栗色の頭髪に、高い鼻梁の下に蓄えられ綺麗に整えられた口髭。なんと言っても思慮の深そうな目が、高らかに誇りある騎士であることを物語っていた。

 

「ジーノ・ロッセリーニです。何度かお見掛けしたことがあります。どうぞお掛け下さい。―――そちらは」

「ご紹介が遅れまして。我妻イザベルと娘のルシアです。この度は娘をお助けいただきありがとうございました」

 


 アンニバーレが、背後にいた女性と小さな愛らしい女の子を紹介する。

 女性はベージュの品のいい上着を緩く着て、濃紺の肩掛けをしている。地味だが女性の美貌を考えるとちょうどいいのかもしれない。豪華な金髪が肩に緩やかに巻いてかかっている。女の子の方は白いドレスを着ており、母譲りらしい金の髪を後ろで束ねている。

 見慣れないところが怖いのか、母親の足を抱きしめるようにしていた。



「ご息女を助けた」

「えぇ。お聞き及びかとは思いますが、ジーノ様のご侍女に塔から落ちかけたわが娘を救っていただきました。なんという身軽さ。中庭の塔の壁を駆け上がったのですから驚いたものです。併せてあの慎み深い態度。主人の器を計り知れる者でした」

 


 アンニバーレは感服したように言う。

 ジーノは身に覚えのない感謝を受けて居た堪れない気持ちになった。アニータもそうならそうと言えばいいのにと思う。

「そうでしたか。では感謝は本人に……」とジーノが言いかけると図ったようにアニータが、飲み物を手に入って来た。


 

 ―――聞いていたな。

 ジーノは思ったが、これ幸いと「それはおそらくアニータの事でしょう」と言い、指し示すと、アンニバーレ夫妻は「まさしく」と言い、口々にアニータに礼を述べる。アニータは、普段からは全く想像もできない態度で「全ては主人ジーノ・ロッセリーニの意向でございます」と粛々と答えた。

 ―――全然そんな風に思ってないのに、良くもまぁ。


 

「良ければ、お掛けになってください」とジーノが薦めると、「奥様、お嬢様には次の間にくつろぎ頂けるようお部屋を用意をさせて頂きました」とアニータが口を挟んだ。

 


 アンニバーレは恐れ入ったように「ご配慮を頂き」と言う。アニータは「主人ジーノ・ロッセリーニの意向で……」と言いかけたので、ジーノは途中で止める。

「いえ。あぁいや、その。まぁではヴォ―レオ様は良ければ何か飲み物を」と言ってしまう。身に覚えのない事で祭り上げられるのは、全く面白いものではない。

 


 イザベル夫人は微笑みながら「ありがとうございます。娘がどうも眠いようで、泣きださないかと思っておりました。アニータさん。ご配慮いただきありがとう」と言い、足にまとわりついている、娘を抱き上げながら言った。

「横になれる大きなソファを用意しております」とアニータはこともなげに答え、先導して隣部屋に移って言った。


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