第24話 美徳
「殺した方が良かったと思うわ―――」と、アニータが小首を傾げながら言った。
ブガーロ親方は太い腕で腕組みをして首を横に振った。
「それは難しかっただろうね。なんと言ってもロッセリーニ伯自身のお子なのだし」
「私はどちらでも良いわよ。あんたもわざわざ来てくれたことだし」
そう言いながら、ブガーロ親方の妻で、アニータの母、レナは花のように微笑んで、特製の甘い菓子を持ってきてくれた。木の実がたっぷりと使われている手の込んだ作品だった。口に入れるとほろほろを崩れて甘みのみが残る。それでいてあっさりとしているので、後に残らない。宿の女将としての看板料理とのことだった。
ジーノは、アニータはレナによく似ていると思った。
髪の色もそうだが、笑うと花の様に美しい。瞳が瞬くと長い睫毛が震えるように動くのを見て、親子なのだなと思った。
レナをピッポの手から助け出して、一週間ほど経っていた。
用心のためジーノもなるべく城に詰めて目立たぬようにしていたが、漸く今日城を抜け出して、ブガーロ親方の宿を訪ねることが出来た。
「未だに信じられませんな。どこでこんな事を思いついたのやら。墓地では化け物が沸いたと評判になってますよ」とブガーロ親方はワインに手を伸ばして言った。
ジーノ・ロッセリーニは、出された菓子を齧りながら苦笑いを浮かべる。
「あのご老人には悪い事をしましたね」
「死体を一つ
「とにかく、レナさんがどこにいるのか分からないのが問題でしたね」とジーノは、冷や汗をかきながら言った。良くもまぁ上手く行ったものだと思う。
勿論、図書館で読んだ書物に、そのまま利用できそうなものはなかった。
なかったが、読書は佐藤素一としてのジーノに“死体の入れ替え”を
ピッポがレナをどこかに隠しているのだったら、それが目の前に出てきたらどうするのか。直ぐではなくとも確認しに行くのではないかと思った。
そのアイデアをもとに、宿にいた二人に相談をすると、二人は目を丸くして聞き入った物だった。
「アニータが、私のふりをして姿を見せるだけではダメだったのね?」
「なんと言うかインパクトが足りないと思ったんです。見間違いで済まされたくなかったし、取り返しがつかないと思ってほしかった。その意味ではあの死体には可哀そうなことをしました」
「本当にね。死体の顔を潰すなんて事を良くされたものです。今更言いたくないですが、死の病が怖くなかったのですか?」
ジーノは、ブガーロ親方の言葉に曖昧に頷いた。
実際、佐藤素一としてイタリアで蔓延した黒死病については調べている。ノミなどを媒介として伝染する病気で、事故死した死体からうつる様な病気ではない。
そしてこの時代の人間は、皆どこかで神の存在を強く意識して生きているので、死体の損壊に手を付けられるとも思っていなかった。
神に馴染みを持たない佐藤素一と混じったジーノ・ロッセリーニだからこそ出来たことなのかもしれない。
後は城の周辺にブガーロ親方の手下を張らせて置き、ピッポが出てきたら、どこに向かうかを知らせさせる。馬で出るだろうが、市街では速足で駆ける事も難しい。走らせなければ、馬も歩いている人も変わらない。
そこで手下にひとっ走りしてもらうことで、時間を稼ぐ。
幾つか想定した建物の一つである穀倉にジーノとレナの振りをしたアニータが待機し、姿を見せて誘うことで仕掛けは始まった。
「ピッポ様が部屋に上がって来たときは何処にいたの?」とレナが興味津々と言った様子で聞く。
「出窓から出て屋根の上にいたのよ。あたしがこのぼんくらを引き上げてあげたと言う訳」とレナが答えた。
「まぁ体の軽い事軽い事。それでも男かしら」と余計な事を付け加えた。
死体を確認したピッポは狙い通りどこかに向けて走りだした。周囲に馬に騎乗して控えていたブガーロ親方が、その後ろにぴったりと付いて行き、ピッポはレナの隠し場所にその夫を案内したという事になった。
「上手く、向かってくれてよかったですわ」と親方が言う。
「……まぁ直ぐではなくても、一両日中には確かめに行くとは思ってましたけどね」とジーノは答えた。
ピッポは自分の知恵に寄りかかって生きていたように思う。
そんな男だったら、自分の企みが破られたら、すぐにどこが上手く行かなかったか探すだろうと思っていた。
普通ならばそれは間違いなく美徳なのだが、今回はそれが仇となった。
暫く黙って、ワインを飲んでいた。
レナは久しぶりの馴染み客をあしらっており、アニータは眠いから寝ると言って席を立った。
「ピッポ様はどうなりましたか」とブガーロ親方は言った。
「今は
なんと言っても公式の仕事を放り出して、届け出もしていない娼館で昏倒していたのだ。家族であると言っても温情の掛けられる余地は無さそうだった。
それを聞いた親方は両手を寒そうにこすり合わせて、「もうすぐ新しい年だと言うのにね」と、場を持たすように言った。
「まぁおとなしく暮らせればいいんですが」とジーノは答える。
そう言えば、使者の話を覚えておられますかと親方が続ける。
「例の“公の使者”の話ですか」
「えぇ。城の方には伝えておいたのですが、私共はジーノ様を代理人として指名させていただく事としました」
つまり、ロッセリーニ伯領の盗賊ギルドは、ジーノ・ロッセリーニを窓口にしないと話を通さないという事だった。逆に支配者の家族の一員であるジーノ・ロッセリーニと盗賊ギルドが非公式とはいえ、その関係を明示して結ぶという事は、盗賊ギルドはジーノの影響下に入ると公言している事と一緒だった。
「―――いい話なんでしょうね」
「いいかどうかは。ただ、あなた様は妻の為にできるだけをして下さいました」
「結局自分自身の為です。違いますか」
ジーノは恥じ入る様な気持ちで言う。結局の所、自分の命大事さにこの家族を利用したと言えなくもない。
「無論そうでしょう。でも誰もが機会を利用するのです。それで掴んで得た成果を恥じる人間はいないでしょう」
ふと窓の外をみると、雪が降りだしていた。どうやら寒さは苦手なようで、レナがやって来て窓を閉めた。収穫祭が過ぎればそろそろ本格的な冬が来る。
厳しい冬が過ぎた先に何が待つのか。
今のジーノ・ロッセリーニには想像もつかなかった。
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