第23話 柘榴

 翌日の夕暮れ。夜も近い逢魔が時。

 ピッポ・ロッセリーニは数人の供連れを連れて馬に乗り、建物に挟まれた石畳みの道を、蹄の音を響かせながら進んでいた。

 市の中心部を抜けて下町に近づくにつれて、立ち並ぶ居酒屋にぼんやりとした灯りがともり、鮮やかな緋や黄の衣装に身を包んだ酌婦や、それに連なる酔客どもが溢れてきていた。

 

 父アルフレッド伯より小用事を申し付けられたピッポは染織ギルドに向かうところだった。

 染織はどちらかと言えば、輸出の為の港を抱えたベネツィアで盛んで、内陸にあるこの市街ではまだ始まったばかりの産業ではあるが、父、ロッセリーニ伯は、山々にある木々や木の実を利用した染織に期待をしているようで、軌道に乗れば他国に売ることもできると踏んでいるようだった。

 

 実に胡乱うろんな話だ。とピッポは思う。

 ミラノ公国とベネツィアに挟まれた小さな所領であるロッセリーニ市が、そんな産業振興の実利が実るまで、生き残っているかは神のみぞ知るだと思った。


 とにかく早くこの用事を終え、どこかにしけ込んで酒でも呷るかと、ピッポは思った。貴公子然としていたアルベルトは、このところすっかり様相が変わり荒れ果てている。父ロッセリーニにもなるべく姿を見せないようにしており、騎士団の駐屯地に籠りっぱなしだった。

 それをピッポは歓迎している。

 ジーノは死んだも同然。父との距離を詰めるには最適な状況だった。このまま兄が失脚すればもう一つ自分の目標を達することが出来る。


 ―――なんだ。


 元々は僧院に使われていた三層建ての穀倉に差し掛かったところで、それは起きた。

 パラパラと手のひらほどの紙が、散らされて落ちる枯れ葉のように大量に舞い落ちて来る。紙片は仄暗いほのぐらい誰そ彼時の夕日に照らされ、まるで燃える炎が舞い落ちてくるようだった。


 ピッポは目を細めて何が起きたかを見定めようとする。

 それを手に取ろうとする酔客どもの姿が、炎に吸い寄せられ焼けただれる蟲を思い起こさせ、不吉を感じさせた。

 

「ピッポ様、これはいったい」

 従者が馬上で拾った紙を見る。そこには首を縄で吊り下げられ、舌をだらりと吐き出した死んだ黒い獅子が描かれていた。


 ―――無礼な。


 周囲の酔客が集まりだして思うように馬が進められない。どこから落としているのかと見上げてみると、穀倉の上階の出窓に女の姿が見えた。

 

 鳶色の髪。白い顔の女が、凍り付く様な目でこちらを見降ろしていた。

「あれは、あの盗賊の妻では」と供連れが言った。

 馬鹿な。昨晩見たばかりだ。逃げ出せるわけもない。

「退け、退くのだ」と、大騒ぎする酔客を押しのける。埒が明かないので馬を降りて、穀倉に向かう。

 

 古ぼけた穀倉の扉には、小さな鍵が掛っていたが剣の柄で叩き落す。

 中は埃っぽく暗く見通しが付かない。

 踏み込んで奥にあった階段を駆け上がる。

 途中で、野次馬共の「落ちた、落ちたぞ」という声が聞えた。


 構わずに上がり切り、女が顔を覗かせた窓から外を見ると、路上に女が倒れているのが見えた。長い髪の毛が広がりうつぶせに倒れているのを、周囲の野次馬共が囲うようにしてみている。

 

 クソ。何てことだ。あの女が居なくては盗賊共の抑えが効かない。

 折り返して下り、路上の死体に歩み寄った。供連れに連れていた男が野次馬を押しのけている。

 「ピッポ様、ダメです。死んでます」と一人が言う。

 死体を見ると顔から落ちたのか頭が割れて柘榴のようになり、血が流れだしていた。言われなくても死んでいるとしか思えない。

 

 ―――馬鹿な。

 

 ピッポは騎乗し鞭を当てて馬を走らせる。

 何かの間違いではないのか。

 後ろから数頭同様に追いかけて来るのが解ったが、振り返りもせず、まっすぐ娼館に向かった。

 

 浴場の前で馬を飛び降り、入場を守る門番共には一瞥もくれずに中に押し入った。

 まだ宵の口だと言うのに、女に吸い付いている好色な男どもの姿が眼に入る。地下に向かい、昨晩見たばかりの扉に向かう。同じ大男が番をしていたので、開けるように怒鳴りつけて、扉を開かせた。

 手をかけて開く。

 そこには、今さっき死んだはずの女が、

「あんたッ」と声を上げた。


「いやぁ、おまえ。待たせて済まなかった。酷い事、されなかっただろうね」

 妙に間延びのした声が背後で響き、にゅうと太い腕が差し込まれて喉元を締め上げられた。

 女の顔に微笑みが浮かぶのが見える。

 こんなに美しい女だったかと思った瞬間、ピッポ・ロッセリーニは気を失った。


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