第13話 焚火
―――全く好色にもほどがある。
ピッポは妄想を抱くアルベルトの顔を見て、口元をゆがめて笑う。この兄は物心ついた時から市中で評判の娘や妻に難癖をつけて自分の寝所に引きずり込み、その都度それが父に露悪しないようにピッポに差配をさせたものだった。
金、人質、恫喝。ありとあらゆる手管で口を封じてきた。
「兄上、お先にどうぞ」
そう言うとアルベルトは外面だけでも重々しく頷いて、細い獣道に馬を走らせた。
さて。とピッポは思う。
今夜はどんな楽しみを見つけるか。ジーノを虐めたててやってもいいが、それだけでは面白くない。近隣の村から娘でも攫ってきてもいいかもしれない。
アルベルトは大抵そんな事を持ち掛ければ、拒否したことはない。そしてピッポも相伴に預かることがほとんどだった。
黄色の旗が見え、ぽっかりと開いた空き地に出ることができた。テントが4,5張りはってあり、その真ん中で義弟ジーノが焚火をぼんやりと眺めていた。
「……なんだ。鍋を焚いていたのか。殊勝なことだ」と、ピッポは言った。少し驚いてもいる。逃げ出した可能性もあると気付いていたからだ。
鍋の中を見ると、山で積んだと思われる山菜と、持ってきた野菜を入れてあり、後は獲物の肉でも入れれば立派な一品になりそうだった。
「で、何か獲物とれたんですか? 後は肉を入れるばかりだ」とジーノが、火を囲いこむようにしながら言った。
「喧しい。そこをどいて早く干し肉を取って来て入れろ」
アルベルトがジーノの頭を殴りつけて、座っていた居心地のよさそうな切り株を奪い取る。体の軽いジーノはよろけながら倒れた。
そして舌打ちしながら天幕の中に入っていって、肉を持ってきて刻んでいれた。
「お前のような。下賤に人間はそうやって下働きしていればいいんだ。全く似合いだ」
アルベルトが、皮袋に入ったワインを呷りながら言った。アルベルトはジーノが実際は血のつながりがない事を盾に、よくこういう物言いをする。
「早くしろ。この愚図が。自分が貴族になったなどと思いあがっているんじゃないだろうな。お前の淫売の母親が我らの父を惑わさなければ、貴様などこの場にすらいることはできないのだぞ」
ジーノはそれを聞いても何も言わず、器に鍋の中身をよそって差し出した。
「やけに、従順じゃないか」
ピッポは不思議に思う。気の弱いところが目立つが、口が減らないのがジーノ・ロッセリーニだ。しかし、ジーノは黙って肩をすくめて天幕に汚れた皿を持って引っ込んでいった。
森に夜が訪れて、まったく木々の奥が見通せなくなった。
今日は月もなく、そして星も出ていない闇夜になった。
最初に違和感を覚えてたのは、アルベルトの呂律が回っていない事だった。酒は随分と呷っていたが、正体を失うほどではなかった。
そしてゲラゲラと笑いながら、露骨にジーノの母フランカを最初に犯す時は尻を高く掲げさせてやると言いながら笑い続けている。ピッポもお愛想で笑っていたが、ここまで露骨なことを言うのは珍しいと思った。
なんといっても、父ロッセリーニの現在の正妻なのだ。
あからさまに父の妻を犯したいという発言は、ややもすれば処罰を免れない。父の耳に入れば、ただでは済まないだろう。
「俺が伯を継いだら。直ぐにロンバルディアを攻め入って制圧してやる。そして、俺はこの一帯の公王となるのだ」
ピッポは同じように笑いながら、直ぐに無理だと思った。
ロッセリーニ市とロンバルディアのミラノ公国領では、大人と子供の違いがある。相手は大公国で、西の大国であるフランク王国とも友好的だ。だからこそ父アフルレッドは各地と友好を結び、周到に敵対を避けている。
さすがにおかしいと思ってアルベルトを見ると、大声で叫び酒を呷り、器の中の物を口に放り込みながら放言をくりかえす。
見れば目が虚ろだった。
「父は、もう早いところいなくなってもらわなければな。国も、女も譲ってもらわなければ」
アルベルトは暑くなってきたのか、次第にマントを脱ぎ、上着も、下履きも脱ぎ出した。ほぼ全裸になっている。勃起している陰茎が見えたので、ピッポは大声で笑った。
待った、待った。なぜ俺はこんなにゲラゲラと笑っているんだ。
ピッポは漸くおかしなことに気が付いた。大声で笑うなど、物心ついてからしたことがない。何時も冷笑を浮かべているのが自分なのに。
アルベルトが自身の一物を握りしめながらワインを呷ったところを見て、まずいと思った。隣の焚火にいる従者どもが明らかにおびえた顔でこちらを見ている。
もう貴族だなんだと言っている場合ですらない。これでは完全に狂人として教会に放り込まれかねない。口を封じなければならない。
ジーノが従者に交じって、こちらをどこか伺うように見ているのがわかった。
何かが変だ。
ピッポは大声で笑い過ぎて痛み始めた腹を抑えて思う。
変だ。余りに変だ。気が狂ったのか。
アルベルトが、奇声を上げて仰向けに倒れるのが見えた。木々が二重写しになって、眩暈がする。
「しまった」と言おうとして、舌を噛んでしまう。
強い痛みで一瞬意識がはっきりした。何かを盛られていないか? そう思いついた次の瞬間。ピッポの意識も途絶え、その後は真っ暗になってしまった。
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