第10話

 三階に到着したエレベーターには既に乗客がいた。昨日出会った少女、真中夏未だった。なんとなく気まずくなって、つい目を伏せてしまう。


「おはよう、陽くん!」

「あ……おはようございます」


 後ろめたい気持ちの陽とは裏腹に、夏未は昨日のままだ。覚えていないのか、気持ちの切り替えが早いのか。なんにせよ余計な気を遣う必要はないのかもしれない。

 陽の様子を見て、夏未は不思議そうな顔を見せる。


「どうしたの、元気ない? 朝ご飯食べた?」

「……そういえば食べていませんでした」

「だからだ! じゃあこれあげる!」


 笑顔の夏未がポケットから差し出したのは個包のチョコレートだった。それも一つじゃない。両手を皿にしても零れそうなほどの量だ。

 制服のポケットにこれだけのお菓子を詰め込めるものなのか。困惑する陽を他所に、夏未は満面の笑みを浮かべている。


「お腹空いてたら気持ちも暗くなっちゃうからね! チョコレート甘いし、お裾分け!」

「あはは……ありがとうございます、いただきます」


 あまり親しくし過ぎるのは考えものだが、貰った厚意を無碍むげにするわけにもいかない。苦笑交じりの礼ではあったが、夏未は満足げに笑っていた。

 そうして一階に到着すると、篝の姿が目につく。陽に気付いた彼女は手を振るが、隣の夏未を見るや否や意味深な笑みを浮かべた。


「迎えに来たけど、お邪魔虫は退散した方がいいかな?」

「陽くん、このお姉さん知り合い?」


 目を丸くする夏未。篝のことをなんて説明すればいいものか。困り果て唸っていると、篝が愉快そうに笑った。


「初めまして、お嬢さん。陽くんの保護者みたいな人です。この子のこと、よろしくね」

「あ、保護者的な人なんですね! 初めまして、真中夏未です! 陽くんのこと任されました!」

「は、え? 任されてしまいました……というか、篝さんも一緒に来ればいいのでは……」

「いやいや、やっぱり高校生は高校生で歩いてなんぼだよ。じゃ、私は先に行ってるね」


 そそくさと去っていく篝。遠退く背中に呆気に取られる陽だが、夏未は一切動じていない。保護者のような人、と言われて素直に納得出来たのだろう。都合がいいことに変わりはない。


「篝さんって親戚?」

「え? まあ……そうですね。両親のいない僕を引き取って育ててくれた方なので、肉親も同然ではありますが」

「ご両親いないの?」

「ええ、まあ……物心ついた頃から親戚の家で暮らしていたので、きっといないんだろうと思います」

「……寂しくない?」


 そう問いかける夏未の声はどこか弱い。絞り出したような、掠れた声。陽の境遇に胸を痛めているのだろうか。心配させまいと笑う陽。


「寂しさは感じていませんよ。篝さんがいてくれたので」

「そっか、それならよかった。それじゃ、学校行こっか! 入学式に遅刻したら大変だもんね!」

「うわっ!? ま、真中さん! 引っ張らずともついていきますので……!」


 夏未は陽の腕を掴み、引き摺るように駆け出す。幸い足がもつれることはないものの、彼女の足取りは鹿が飛び跳ねるように力強く、軽い。

 なにかスポーツでもやっていなければ、こんな走り方は出来ないだろう。それに、陽がこの走りについていけているのも妙だった。

 陽は特段運動を経験していたわけではない。中学生時代も、体育の成績は可もなく不可もない。その程度だった。なぜこの走りについていけているのか、理由がわからなかった。


 そうして走り続けること十数分。校舎に到着する二人。途中、在校生か新入生かわからない生徒から高貴な視線を向けられたのが気がかりだ。悪い目立ち方はしたくないものである。

 ここに来てようやく腕を放した夏未だったが、彼女の目には爛々とした光が宿っている。


「陽くん、すごいね! まったく息切れしてない!」

「え? ああ、言われてみれば……」


 トレーニングなど積んでもいないのに、十分以上も走り続けた。駆け足以上の速さで走っていたにも関わらず、だ。

 いったいなにがこの変化をもたらした? なにかきっかけがあっただろうか? 思い返しても、特に目立った出来事は――


「……もしかして」


 八咫烏の力を身に宿したから?

 理由などそれ以外考えられない。初めて八咫烏の力を行使したとき、身体の中に“なにか”が流れ込んでくる感覚があった。それが陽を人間ではないなにかに作り替えた?

 であればヤタが言っていた「喧嘩はするな」という警告も頷ける。身体能力が向上しているのであれば、未完成な身体の高校生などどうにでも出来てしまう可能性がある。

 一般人に余計な怪我を負わせない、という点では確かに相手を気遣う必要もありそうだ。


 ――喧嘩なんてそうそう巻き込まれないと思うけど。


 小学校、中学校と目立たないように過ごしてきた。高校だってそれは変わらない。夏未との関わりも程々にしておけばつつがなく過ごせるだろう。


「クラス分け、どうなるかな。教室の入口にあるのかな? 行ってみよう!」

「わっ、わかりましたから引っ張らずに……!」


 期待に胸を膨らませているように見える。本来、高校生とはこういうものなのだろう。陽が普通ではないだけだ。

 一年生の教室は四階にある。一段飛ばしで駆けていく夏未の後を追うのは少々苦労した。なにせ人を避けるのが上手。新入生の合間を縫って走り、止まらない。かろうじてついていくのが精一杯だ。

 そうして一年F組の教室で夏未が止まった。名前を見つけたのか、爛々とした眼差しを向けてくる。


「真中さんはここなんですね。僕も自分のクラス探しに行かないと」

「大丈夫! 同じクラスだよ!」

「……え?」


 まさか、まさかだ。彼女に並び、F組所属の生徒名を一瞥する。その中には確かに七尾陽の名前があった。

 せめてクラスが違えば関わりも最低限で済んだだろうに。これでは彼女と接点を持たざるを得ない。

 とはいえ、高校では新たな出会いがある。彼女は彼女の交友関係を築き、後に陽の世界からは遠ざかっていくだろう。これまで通りいればいい。


「よろしくね、陽くん!」

「ええ、こちらこそ」


 適当に愛想笑いを返す。深く関われば陽が普通の人間ではないことが露呈するかもしれない。なにより、夏未を影の世の戦いに巻き込んでしまう可能性だってある。


 ――この人たちを守る意味でも、やっぱり二葉ちゃんと連絡を取ろう。いまのままじゃ……。


 八咫烏の力を持つ以上、魔童とは戦う義務がある。もう躊躇している場合ではないのだ。

 まずは高校生活を平穏無事に。これからのことを考えれば、悪目立ちしてはいけない。夏未との接触も徐々に減らしていかなければ。

 先行き不安な新生活だが、やるしかない。逃げるのはもうやめる。陽は一人、拳を握った。

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影陽―カゲヒナタ― 小日向佑介 @khntUsk0519

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