第4話 行者殺し

 三郎左衛門が若い衆を引き連れて、庄大夫の屋敷に着いたとき、ちょうど祈祷が終わったのか、例の行者が門を出てきたところであった。

 行者が三郎左衛門の顔を見た瞬間、脱兎のごとく逃げ出した。しかし、初老に近い行者が若い衆の追跡から逃げおおせるはずもない。半刻後には、きりきりと捕縛されて三郎左衛門の前に引っ立てられた。

 ただちに訊問じんもんがはじまる。

「行者どの。名はなんと申したかの。半年前に聞いたとは思うが、忘れたわ」

「ふんっ、言えぬわ。縄目の汚辱はずかしめを受けて、名を名乗れようか」

「まあ、そなたの名などどうでもよいが、この三郎左衛門にはどうでもよくないことがある。わが娘お里久のことよ。忘れたとは言わせぬぞ」

「ああっ、お里久どのなら剣山は不動の滝の岩屋いわやにて修行に励まれ、いまも息災にしておる。ただ、いまだ悪霊が五体内から完全に消え失せておらぬゆえ、里に戻さずにおったのよ」

「行者どの、それは真実まことか」

「馬鹿なっ。神仏に仕える身で、嘘偽りを申すはずはなかろう」

「ならば、そこに案内あないしてもらおうか」

「うむ、いとも容易たやすきことじゃ。案内仕ろう。では、この縄を解いてもらおうか」

「それはできぬ。そなたの話が真実だとわかった時点で自由にするゆえ、後はどこへなりと立ち去るがよい」

 かくて、後ろ手に縛られた行者を先頭に、三郎左衛門らは山深い剣山の奥へと分け入った。獣道のような険しい山道を汗みずくになって歩くこと数刻。ようやく一行は不動の滝の岩屋へとたどり着いた。

 だが、岩屋内に人気ひとけはなく、果たしていつ頃のものであろうか、護摩焚ごまだきの跡がかろうじて残るのみであった。

 三郎左衛門が険しい表情で訊ねる。

「さて、どこにお里久がおるというのか。噓つき行者どの」

 その途端、行者は後ろ手に縄をかけられたまま、身をよじるようにして滝の上へと駆け上がろうとした。それは火事場の馬鹿力を思わせる必死の逃亡劇であった。

 若い衆がこれを追う。

 行者は滝の上までかろうじて這いのぼったが、そこでへたり込み、若い衆に囲まれた。そこへ三郎左衛門がゆっくりと近づき、腰刀を抜いた。

「行者どの。真実を話せば、命だけは助けてつかわす。お里久をどこへやった」

「本当か。すべてのこと有りていに申せば、命を助けてくれるのか」

 三郎左衛門がうなずいた。

「ふふっ、では申す。お里久どのは土佐室津むろつの女郎屋におる。いまの名は玉久たまひさよ。安心せよ。男どもに毎夜抱かれて、極楽往生しておるわ」

 刹那、三郎左衛門の腰刀が閃き、行者の首を刎ねた。首は血飛沫ちしぶきとともに噴きあがり、赤いみおをひいて滝壺に落ちた。

「この一件、かまえて絶対に他言無用」

 三郎左衛門の言葉にだれもが無言で首を垂れた。

 その後、三郎左衛門は土佐室津に赴き、自分の娘を取り戻した。

 しかし、劣悪な環境がたたり、お里久はすでに労咳ろうがいかかっていた。咳込む口をおさえた白い掌に紅い血の花が咲いた。

 当時、労咳は死病であった。

 三郎左衛門は阿波へ戻る途中、娘のお里久とともに室戸岬の断崖から海へと身を投げた。

 ――留蔵の話はここで終わった。

 ここまで聞いて、三好郡みよしごおりの名主甚兵衛は大きく歎息し、「うーむ」と眉根を寄せて腕組みをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る