第2話

 カンナの歯が陰茎に当たり、思わぬタイミングで痒いような柔らかい痛みがある。それはそれで刺激なのだが、頭に浮かんでいるのは歯鯨だ。イルカや鯱の並んだ白い歯を連想した。それに噛みつかれるのを想像する。その快感は意識して、客へのテクニックとしての技ではない。慣れていないのだ。カンナは素人。ひょっとしたら初めての客かもしれなかった。まあ、そんなことはないと思うが、律儀に教えられた通りにコンドームを被せているだけなのたが、未だ遠慮があり、上手く出来ない。

 触り方にも躊躇いがあり、ぎこちない。行為に迷いがあり、方法に確信が持てないのだろう、その逡巡がトンチンカンな行動になる。例えば、ここでは客を風呂に入れ体を洗う。だが、最初からホステスが裸になることはない。自分が湯に浸かる訳ではないからだ。でもカンナは、ブラもショーツも脱いでしまって、その勢いで洗おうとするものだから、ジロジロと見られる羽目になり、恥ずかしくなり、膝を閉じ、胸を隠すように斜めになり、結果、尻すぼみに勢いはなくなり大人しくなる。今さら下着を着ける訳にも行かず、そのまま、ぎこちなく体を洗う事になるが、それでは上手く洗えない。要するに、ドジなのだ。ああ、実社会でのカンナの生活が見えるようだ。それがまた、背も高く、大柄な体つきは目立つ存在なので、チグハグさも増幅される。それはまた、まわりの同情を削ぐ要素になるのか、体の反応の鈍さに繋がり、女としての魅力は期待できない。

 「結婚してくれる?」

 信じられない言葉を聞いた。結婚願望がよほど強いのか、それとも気に入られたのか、判断出来ない。驚いて見つめると、横を向いたまま見返しては来ない。口癖の、愚痴のようなものか、実社会で求婚されたことが無く、この世界に男を求めて来たのかも知れない。ホステス達の身の上はそれぞれ違う。カヲルの話では、医者に振られた看護婦、婚約破棄されたOL、ヤクザのヒモに覚醒剤を打たれ、中毒になった女。その生活は凄まじい。心配になったカヲルが訪ねると、鶏を丸のまま、羽根がついたまま茹でていて、もうじき出来るから待っていてと言われたらしい。体を売る事が精神の破壊にまで繋がっているのだ。愛ゆえか、愛なきゆえか、どうなんだろう。カンナも、そんな男に「結婚」などと口走ったのなら、何処まで堕ちるのか分からない。けれども同情し、本当に結婚する訳には行かない。カヲルでも迷っているのだ。カヲルも男がどこまでの愛があるのかを試しているのだ。それは判っている。解ってはいるが承服は出来ない。逆ではないのか?量られるのはカヲルの愛情ではないのか。

 身体を入れ替えカンナがベッドに横たわった。緊張し、力が抜けず少し固い。太股の外側を上から撫で下ろし、膝の下から内側を撫で上げ、股を開いて挿入する。カンナは目を開け、天井を見ている。何も感じないのか、無視する雰囲気だ。そうだ、いちいち気を入れて仕事をしていたのでは身が持たない。演技でするのなら、大いにするがいい。客も喜ぶ。だが、カンナには無理だろう。それに声にも艶がなく、女性の色気を醸し出す術もない。多分、指名してもう一度抱こうとは考えないだろう。ところが、少し変だ。

 「何か入れてる?」カンナに訊いてみる。膣に海綿か何か入れているのかと疑った。

 首を横に向けていたカンナが正面に向き直り「いいえ」と、首を振る。

 ぺニスの先、亀頭に触る物がある。しかも、ザラザラしている。膣も狭い。

 カンナの顔を改めて見直した。数の子天井、そう言われる名器に違いない。本人は何も気付いてはいないようだ。「妙な事を言う奴だ」そんな顔をしている。

 ザラザラの天井を突いてみる。ゆっくりと動くのだが、その度に膣が狭くなるようだ。快感が増して終わり、少し萎える。サツキのように動く訳ではないので固さの維持は出来ない。すると、コンドームを残し、ぺニスはツルリと吐き出されてしまった。コンドームは残ったままだ。口の部分だけ見えている。カンナが引っ張り出そうと摘まんで引くが、膣が締まって出て来ない。自分の体の事なのに、カンナの自由にはならないようだ。意を決し、思いっきり引っ張るとゴムが伸び、パチンと音がして抜けた。精子が溜まって水風船のように膨らみ、突っかえたのだ。しかし、そこまでの締め付けは経験したことがないのだろう、カンナも驚いて目を丸くしている。抜いたコンドームを目の前にぶら下げて眺めて見ても何ら異常はなく、薄いピンクのゴムは皺が寄って照明に透けているだけだ。

 不思議そうに見ていたカンナだが、焦点は指先を通り越して中空にあるようだ。自分の体の反応に納得出来ず、探っているのだ。幼児のように突っ立って呆然としている。何も言うまいと思う。名器だとも、数の子天井だとも。教えて言い触らし、客が増えて天狗になるくらいなら良いが、ズル賢い男にでも付きまとわれたら目も当てられない。搾り取られる金は名器が生み出す物だ。わざわざ教えて混乱と自惚れを生み出す愚かさを犯させる事はない。関わりを持ちたくないのだ。誰か名器を尊重する男に見出だされ、惚れられる幸運を願うばかりだ。

 同じ名器のサツキとは違う。水商売の経験のあるサツキは、多分、自分が名器であるのを実は知っていて、それが傲慢さに現れていたのかも知れない。O脚を隠すことなく披露したのも、それだろう。自らの欠点を晒すのは、それに対応する何かが有ればこそだ。補償して余りある物が用意されている、それが名器ならば誰も文句は言わない。欠点のO脚も美点に変わる。魔術のようなどんでん返しだ。

 

 深紅のブラとショーツ、インジゴブルーのセットもある。レースのように透けていて、どちらも肌の白いカヲルに映える。禿げ頭の客が置いていったらしい。多分、次の逢瀬には身に付けて欲しいとの意思表示なんだが、わざわざ袋から出し、尚且つ、白い肌に当ててまで見せるのは、嫉妬させ、早くモノにしないと誰かに取られてしまうよ、との意味かも知れない。なぜかと言えば、自分はベージュの、まるで目立たない下着姿だからだ。でも安物ではない。ブラにはレースの飾りが付き、トランクスタイプのショーツにも裾にフリルが付いている。いつもの、所謂ステージ衣装ではない。私物、普段着の下に着ける物だ。しかし値段は高そうだし、絹のような光沢がある。深紅も濃い青も邪魔しない色だし、艶々した、練り絹のような風合いも、カヲルの肌触りを貶めるどころか扇情する作用をする。深く計算されたコーディネートだ。あーでもない、こーでもないと、一晩中悩んでいるカヲルの姿を連想するが、思い過ごしだろうか。心は乱れ、怒りのような物が湧いて来て、有無を言わせず乱暴に押し倒し、ブラを捲り上げて両手で乳房を鷲掴みにし、乳首を口に含んで噛んだ。

 「痛い」と、言ったが、語尾が消えて「イタッ……」と、声が小さくなった。噛むのを止め、尖った乳首の下から顔色を窺うと、口元が弛んで喜びの表情を浮かべた。だから、事はカヲルの計算通りに進んでいるのは判ったが、興奮で我を忘れ、噛むだけでなく、乳房を挟むように潰して乳首を突きださせ、吸った。赤ん坊が乳を吸うように、しごくように吸った。今はカヲルを苛める事が問に対する答えだ。

 「止めて、乳首が大きくなってしまう」カヲルが乳首から口を引き剥がそうと両腕で頭を押し退けたが、吸い込んでいるため、乳房が伸びるばかりで離れない。口の中で乳首は膨らみ舌に触れ、左右に動かして転がすと、カヲルの腕の力が抜け、「ああ」と言ったまま抵抗が無くなった。そうするともう、苛める必要はなくなり、静かに抱きしめると、カヲルも四肢が脱力し、全身が柔らかくなった。

 「先週はどうしたの?」カヲルが耳元で囁く。いつものように抱き合って脚を絡めている。

 「事故を起こしたんだ」嘘だ。起こしたのは先週ではない。去年だ。先週はカンナと会っていた。

 「事故?」カヲルがビクッと体を震わせ、問い返した。

 「自転車を跳ねた」渋滞の車の間から飛び出して来て避けられなかったのだ。

 「怪我?」カヲルの心臓の鼓動が大きく速くなる。

 自転車は派手にぶっ飛んで、男が両手両足を広げて後ろに倒れた。右にハンドルを切り、中央分離帯の切れ目から反対車線に逃げようとしたのだが、対向車の運転手と目が合い、戻ったのだ。

 「イヤ、自転車の前輪は歪んだが、警察が来て現場検証をしている間、男は喫茶店でモーニングを食べていた」

 「何だ、大したことは無かったのね」安心したようにカヲルが言う。

 事故は片側三車線の道路で、朝の通勤時間帯、左二車線は渋滞し、右の右折車線を進んでいたら渋滞の車の間から自転車が飛び出して来たもので、避けようがなかった。それに検証では、正面のバンパーにあると思われた傷は左側面のタイヤの上にあり、物理的には自転車が車にぶつかった事になる。簡易裁判所にも呼び出されたが、賞罰は無し、減点もされなかった。ところが、自転車の男はその後入院し、慰謝料を要求して来た。

 カヲルの顔が曇って下を向いた。もうベッドに座っている。

 「わたし、お金は無いのよ」暗い顔でカヲルが言う。声が低くなっている。

 金を出せとは、ひとことも言ってない。そんな、ヒモのような所業は考えていない。嘘に現実味を持たせようとしたまでだ。カヲルが先回りして金の心配をしたのは、過去にそんな経験をしたのだろう。そう思わざるを得ない。また、結婚詐欺のような振る舞いをしたのだろうかと考えたのだが、そんなことはない。一途にカヲルを求めただけだ。素直に己の愛情は認めたのに、男への不信感は払拭出来てないようだ。何度も体を重ね、確かめ合った筈なのに、疑念を追い払う事は出来ないのか。人を信じる最後の砦は男と女が抱き合う事では無いのか?これを言ったらお仕舞いなのかも知れないが、所詮ソープ孃、娼婦なんだ。過去の男遍歴を消すことは出来ない。その男達への嫉妬は、カヲル以外の女を幾ら抱いても無くなる事は無いし、女のヒモの記憶も消えないだろう。小説にあるような恋物語は、やはり作り物で、現実には無理なのかも知れない。

 次の女はミナコ。スタイルの良い、キャバレーから流れて来た女だ。カヲルの部屋に上がろうとしたのだが、どうしても指名出来なかった。「カヲルさん」と、言えなかったのだ。

 事故の顛末はカヲルには話してない。自転車の男の義理の兄と言う人物が現れ、二十万程むしり取られたが、保険金が降り、実害はなかった。交通事故にヤクザが絡んでくるのは、噂には聞いていたが、本当だと呆れる思いだ。カヲルの過去にも惚れた男がヒモになった苦い思い出があるのだろう。それは解るが、胸に支える思いがある。もう以前のようには抱けないかも知れない。その時はどう対処したら良いのだろう。思い浮かばない。

 ミナコが腕を上に伸ばし、頭上で交差させ、モデル歩きをしてみせた。脚が長くウエストも括れ、くねくねとモンローウォークをすれば、男共の目を引くのは間違いない。しかし本人は浮かない顔だ。年齢の為か、胸が少し垂れぎみなのが気に入らないようだ。数年前なら腕など上げなくても胸は盛り上がっていたらしい。どう言ったら良いのだろう。スポーツの後のような爽快感が性交の後にあった。なぜかミナコの都合など考えなく、自分勝手に触り撫で動き、果てても構わず気の済むまで出し入れする。相手がどう感じるのかとか相手の嫌なことは止めようとか、一切考えなかった。どうしてそんな、相手の人格を無視するような真似が出来たのか不思議だつたが、二度目に指名した時に謎は解けた。ミナコは不感症だったのだ。

 カヲルを未だ指名は出来ない。けれども毎週火曜日に店には通っている。

 不感症のミナコの元へはもう一人、通って来る者がいる。それが老人らしく、笑って、行為の最中に死にはしないかと心配になると言う。そして行為が済むと両手を合わせて拝まれるらしい。話では、米の磨ぎ汁のようなシャビシャビの薄い液が出るらしく、性交は可能で、スタイルが良くて面長なミナコを観音様の化身と見なしているのかも知れない。他人に拝まれた経験はないが、ミナコは恥ずかしそうに、肩を搾めるようにして語る。ジジ専の化があるのかどうかは分からないが、皺々の老人を受け入れる心理は、それこそ観音様なのかも知れないが、或は、不感症が関係しているのかもと、考える。それが性交だろうが慈善事業だろうが同じになるからだ。

 「それが、ここんとこ、来ないのよ、死んでないよねぇ?」首を傾げながらミナコが言う。

 聞かれても答えようがない。最後に観音様のようなミナコを抱き、昇天するなら文句はない。天国へ行けるだろうと、無責任な皮肉を言いそうになったが、「頑張り過ぎて入院中じゃないのか?元気になればまた来るよ」と、誤魔化した。

 二度でミナコに飽きた。やはり反応がないのは面白くない。一番の違いは、ミナコがこちらを探っている気配のない事だ。何をしたら嫌がるのか、どうしたら気に入られるのか、窺いながら、様子を見ながら、言わば会話をしつつ進める事が出来ない。いや、だから一方的にこちらの思いだけでして、スポーツのような爽快さを得られるのだが、肌を合わせて温もりを感じないのは、嫌だ。ダッチワイフなら想像力を働かせ、感情の起伏などを想定できるのだが、現実にミナコは存在し、無反応なのだ。そこに想像の余地はない。

 それに比べカヲルの反応の素晴らしさはどうだ。肌や声、目や口の表情だけでなく、膣の内奥までもが反応した。肌が合うとはこうゆうことかと思い至るのだが、会えなくなり、ミナコのような女を知る事でその真価を知る羽目になる。だが、ここに至ってもカヲルを指名出来ない。金をせびるヒモでは、断じてない。そんな目で見られていたとは、情けなくて怒りすら覚える。二週経ったが、カヲルからの反応はない。今日で三周目、カヲルが恋しくて堪らないが、臍を噛んで我慢するしかなかった。

 マイコは深紅のロングドレスで現れた。クラブ時代の衣装なのは直ぐに解ったが、左手で裾をたくしあげた時に見えた赤いピンヒールは、動きを緩慢にし、優雅なしぐさを演出した。カヲルより痩せてはいたが、どことなく似ていて、最初から好感を持った。ベッドに並んで座り、顔を合わせたが、背中が大きく空き、腰まで割れたドレスは、胸元に同じ深紅の薔薇が飾られていて、立体的に首を浮かび上がらせ、ドレスの襞は縦に伸び、体を細くしなやかに見せていた。

 マイコが身体を寄せて来て、腰と太股が触れると、体温が感じられ、右手を伸ばして乳房をまさぐると、「パットよ」と、悪びれもせず、真っ先に自白した。それを証明するかのように立ち上がり、肩紐を外すとドレスは足下に落ち、殆んど乳首だけの上半身が露になった。まるで少女のように小さな乳房の胸は、ピンクの乳首を尖らせ、男を扇情し悩殺する。それだけではない。言われるが儘、ベッドにうつ伏せになると、用意していた小振りの魔法瓶から熱い湯を口に含むと、少しずつ背中に垂らし始めた。口中で適温にされた湯が背中を刺激し、熱を全身に伝える。首を曲げてマイコを見ると、右手にステンレスの魔法瓶、左手にはタオルを用意して垂らした湯を拭きつつ、こちらを向いた。口元が緩んで笑うのが判ったが、口を開けると湯が零れて仕舞うので、目で笑った。その目は細くなり、悪戯っ子のように輝いている。

 湯の効果は如何ほどと言われそうだが、そんなことされなくても差し支えない事は言うまでもない。が、遊びとしては面白くて洒落ている。受動的な女が、能動的に振る舞う姿を観察するのも楽しみの一つだ。

 マイコはコンドームをしなかった。いいの?と、目で訊くと、首を縦に振り、腕を背中に回し、体を引き寄せた。生でするのは二度目だ。一度目は勿論カヲル。生で入れ、口も吸い、乳房も乳首も弄り放題だったが、中で射精はしていない。途中でカヲルはゴムを被せ、安心したように身を委せた。

 マイコは本当にいいのかと一瞬、躊躇ったが、息を止めて挿入すると、中が熱かった。じんわりとした熱を感じ、体が熱くなるほど興奮しているのかと、呼吸を忘れてマイコの顔を凝視していたが、息は吐かなければならず、口は閉じ、鼻から吐いたのだが、興奮に比例して鬢の毛が揺れるほどの勢いになった。その風が耳朶を震わせ、マイコの全身を震わせ、鳥肌を立てさせた。震えは細かい振動で、まるで釣り上げた小魚が掌の中で震えているような有り様で、マイコの体の中まで達したのか、口を空ける程の喘ぎが始まった。

 その喘ぎ声が少し怪しい。腰の動きとズレるのだ。突いた時には出ず、引いた時に出たり、二回突いた時に出たり、不規則でこちらの意のままにはならない。しかし、己の体の下の女が、首を仰け反らせて顎を上げ、口を空け、喉を鳴らし、頭を振ってイヤイヤをする。こんな快感があろうか。その快感の頂点で射精し、コンドームをしないままマイコの中に精子をぶちまけた。

 「このまま眠れたらいいのに……」マイコが目を瞑ったまま呟く。けれども、時間が迫っているので仕方なく目を開き、風呂へ向かい、石鹸を泡立て、身体を洗う用意をする。力が入らず、肩が下がり、腕はダラリと垂れ下がったまま佇んでいる。快感を反芻しているのだろうか、呆然と立ち、目の焦点は合っていない。マイコの前に座り、下から上に順に見上げたら、ようやっと気付き、動き出した。手に石鹸を持ち、泡立て、股間を洗う。マイコの足の爪の赤いマニキュアが、白い泡の中で濡れて光る。小指の爪など、小さいのに、綺麗に塗られている。肌はカヲルほど白くはないが、太股の内側には青い静脈が透けて浮かび、細い陰毛が縮れている。そこから下に、白濁した精子が内腿を伝い、流れているのを見つけ、言うと、覗き込んで確認し、シャワーで洗い流した。

 「ここの人は中まで洗うらしいけど、私はまだ出来ないわ」と、言う。マイコは未だ日が浅い。以前はクラブのホステスだ。

 「お店を持ちたいの」と、マイコは言った。ソープで稼いで資金を貯め、開店する腹積りらしい。湯を垂らすのも、生でするのも、その為の営業活動の一環なのか?他人と違うサービスは強力な武器にはなるが、人間の根元に関わる性を、商売でおまけの賞品を付けるような真似をして良いのだろうか。それは背中に湯を垂らす行為までで、ひとつ間違えば妊娠し、一つの生命の命運を握る行為をサービスにして許されるものなのか。それとも、取り扱い次第なのだろうか。結婚して子供を作る行為と、ソープで遊び、サービスされる行為は、取説に書かれた1と2、AとBの違いなのか?

 夜、深夜、マイコに電話する。番号を交換し合ったのだ。もう帰っている筈で、一晩中抱いてみたいと言ってある。そう簡単には行かないのは承知しているが、電話番号を教えてくれたんだ、掛けてアプローチし、白黒をハッキリさせても良いだろう。店で会うだけなら電話は必要ない。

 市外局番は県庁所在地の市でマイコは謂わば都落ちしてた事になる。番号は十桁にもなる。静かな夜、ピッポッパッポとプッシュホンを押す。間の抜けた音が緊張を解きほぐす。

 「もしもし」直ぐに声がした。低音の男の声だ。全く予想していなかったので、反応出来ず、受話器を耳から離し、目の前までぐるりと持ってきて眺めた。間違えたのか?とにかく、「すみません、間違えました」と、謝った。深夜だ、間違い電話は迷惑だ。だが、呼び出しのコールを2回もしない内に出たのに引っ掛かった。マイコの男かも知れなかった。が、まだ望みはあった。

 もう一度、今度はゆっくりと押す。ピ・ポ・パ・・・。

 「もしもし」やはり男の声で、呼び出しは1回だ。

 「伊東さんではないですか?」マイコに教えられた名前を言う。

 「違います」相手ももう、疑るような気配だ。マイコのヒモだとしても雰囲気からしてチンピラではない。引き下がった方がいい。店を開くパートナーかも知れない。付け入る隙はない。考えてみれば、これほどの女だ、男の居ない方がおかしい。そうなると、ソープの女全てがそうだ。男が居てもおかしくはないのだ。カヲルも例外ではない。男が居て、他はサービスなのだ。取説その2、間違えたのなら返却は不可。買い換えるしかない。そんなことを考えていたら電話が鳴った。マイコかも知れない。どんな言い訳をするのだろう。可愛い嘘なら信じる振りをして、もう一度抱いて別れよう。あの、小魚が震えるような姿を確め目に焼き付け、快感の絶頂で射精し果てて眠ろう、一緒に……。

 「もしもし」出たが返事はない。ただ、プッシュフォンを押すピッポッパッの音が聴こえる。受話器を電話機の傍に置いたまま番号を押し続けているようだ。マイコではない、カヲルだ。だがもう良い。十分だ。ソープ通いは卒業だった。

          完

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