オダリスク

@8163

第1話

 街はJRの線路によって北と南に別れている。北口を出て左に曲がり、本屋と楽器店の間の細い道を入れば飲み屋街だ。キャバレー、バー、スナックが犇めいている。だが、キャバレーは未だ開店前なので、居酒屋で軽く飲んでから呼び込みを冷やかしながら目当ての店へ繰り出すのが常だ。もっとも、今度の支店長が赴任してきた日は、歓迎会で飲んでからだったので、勢いでキャバレーの朝礼に乱入、ホステスへの訓示は、酔っ払った我が社の支店長がした。のっけから磊落さを演出する男は、どこか油断がならないと、ばか騒ぎの最中も考えたのを覚えている。

 その支店長、どうやら会社の金を横領しているみたいだが、先輩の千堂さんは何も言わない。それどころか、ほぼ毎日支店長とキャバレー通いだ。まあ、私も三回に一回はお裾分けに預かるわけだが……。

 無料(ただ)の酒は心の箍が外れる。リミッターを外された車でどこまで暴走するのか分からない。キャバレーのハシゴが始まり、遂にはソープにも通い出した。

 街に一軒だけのソープは飲み屋街にはない。線路の南にあり、街をぐるりと回り、高架橋を歩いて渡り、また少し戻らなければならない。酔っ払いがそんな面倒なルートを通るものか、ガードレールを跨ぎ、錆色の敷石に躓きながら、高架下の線路を渡り平行して走る道に出れば、目の前に店はある。夜中に二人・三人と線路を渡る人影を見つけたら、先ずソープの客と思って間違いはない。だが、気遣う必要はない。人通りなどないのだ。夜だから、ではなく、昼間でも数える程しかない。店の前は一方通行、四・五メートル道を挟んで対面には高架橋の基礎のコンクリート壁が灰色の塊となって続いている。こちらには店、陸橋を渡る車から眺めれば鉄筋の2階建てなんだが、実は木造のトタン吹き、正面がモルタルで仕上げてあるだけだ。昔の美容院とか床屋に良く見られた造りになっている。なぜ判るって?店の横は車20台程の広さの砂利引きの駐車場で、一方通行の逆、線路の方から見れば一目瞭然、木造のアパートのような構造なのだ。

 入り口はオレンジ色の分厚いアクリル扉で、中の照明が透けて外へ漏れ、暗い道路に誘蛾灯のような光を投げかける。その光に誘われた訳ではないが、千堂さんに言われるがまま、後について線路を渡り、ガードレールを跨いだ時にズボンの裾に付いた埃を払ってオレンジの重い扉を押した。

 カウンターが右手にあり、黒縁メガネの、まるで信金の行員のような男が、薬指でメガネのツルを押し上げながら「いらっしゃいませ」と、事務的な声を出した。チラッとしか見られなかったが、値踏みされたのは間違いない。しがないサラリーマンなのは仕方ないが、ソープの受付に馬鹿にされたくはない。睨み返したが目線を外されてしまった。そんなことには馴れているのだろう、相手にはしてもらえない。そのまま戻って反対側の待合室へ案内された。

 部屋に扉はなく、ドア一枚ぶんの入り口は上にアーチが付いており、少し屈んで入るようになっている。中は、四角い部屋だが丸くソファーが並べられ、背を低くして入ったせいか、洞窟のような雰囲気だ。先に待っているのは二人、離れて座っているので知り合いではないだろう。我々は奥に並んで座り、入り口の方を向いていた。先の二人はどちらも雑誌を開いて膝に置き、目を落としている。

 「カレンさん、どうぞ」受付の男が案内をした。傍らにはミニドレスの女がセカンドバックを片手に控えている。呼ばれた男はいそいそと落ち着かない様子のまま、女に導かれて2階へ上がった。そして、もう一人も同じようにして上がった。初めての事で勝手が解らず、キョロキョロと落ち着かない私を尻目に、千堂さんも「お先に」と、悪びれもせず、馴染みらしい小柄な女の肩を抱き、笑いながら消えた。途端に部屋は広くて空虚な空間になった。酔いも手伝って付いては来たが、実は未だ童貞だった。21にもなって経験がないとは誰にも言えないが、キャバレーやスナックなら付き合いでこなせてるし、際どいサービスも経験済みだ。何とかなるだろうと腹は括れているのだが、女に童貞を見破られて笑われるのだけは避けたい。水商売の女の、あのウブな男への遠慮のなさは脅威だ。ここでも、そんな扱いを受ける可能性は高い。思いやりのある優しい女なんて映画や物語の中にしか居ない。男の幻想だとは解っているのだが、性欲だけは始末に負えず、こんな塩梅になっている。でも、心理の奥底では期待する気持ちもある。そう、思いは揺れ動いて、入り口を何度も確かめ、雑誌や週刊誌を開いたり閉じたり、遂には足元のガラステーブルの上にある飴玉に手を伸ばし、両端を捻って包んである透明な紙を開いて丸いビー玉程の飴を取り出し、口に放り込もうとした時、「アケミさんどうぞ」と、呼ぶ声がした。受付の男は言うと同時に踵を返し、顔を上げたら、もう居なくなっていて、女だけが残っていた。

 二階への階段は木造で狭かった。並んでは上れないのでアケミが後ろから押すような動作で登った。上は、本当にアパートのように部屋が並んでいる。いかにも安普請な建物、部屋も簡素なものだ。シングルベッドが入り口の壁際にひとつ、奥には青いバスタブが一段低くなったタイル張りの床にネコ足で置かれていた。

 「早く脱いで」

 アケミが突っ慳貪に言う。

 「こちらへどうぞ」

 覚悟を決めて裸になり、バスタブの前に座る。

 「飲んでるの?」

 「少し」答えた。

 アケミが渋面を作り、不機嫌さを隠さなくなった。ぞんざいに身体を洗われ、性器は念入りに、調べるような顔付きで洗う。性病の心配をしているのか、それとも他の何かがあるのか、かいもく見当が付かず、不安なままベッドに移動した。何をされるのか分からないが、素っ裸ではどうしようもない。ベッドに仰向けになり、天井を仰いだ。

 「飲んでると出ないのよ」アケミが上に跨がったまま上下に動き、もう嫌だと言わんばかりに呟く。ベロベロに、正体不明になるまで飲んでいる訳じゃない。それに、酔客なぞ珍しくもないだろう。みんな飲み屋街で遊んでから来るのじゃないのか?それとも、過去に余程の辛いことでもあったのか?何がどう感情を害したのかは解らないが、アケミの意思は変わらない。そのまま、さっさと離れて風呂に行き、事は終わってしまった。

 何が何だか分からない。快感もないし射精もしてない。これで童貞を卒業したと言えるのか?まるで実感がない。コンドームも気付かぬ間に装着され、確かに挿入したんだが、全く抵抗がなかった。入れてる感覚がなかったのだ。こんなものか?こんなものなのか?どうも想像を逞しくし過ぎて、現実を受け入れられないらしい。だがもう、これで良いのかも知れない。もう夢を見ることもないし期待する事もない。二度とソープへ行くこともない。

 ところが、夜中に突然目覚め、何故だろうと訝しく思い、探ってみると、どうやら、体の奥に昼間の性交の快感が疼いているようなのだ。思い返せば、最初からアケミに不審な眼差しを向けていたのだろう。童貞を見破られないよう用心していて、その蟠りにアケミが反応してあのような態度になったのではないのか。そうではないのかも知れないが、そうなのかどうか確かめる必要があると思い、もう一度、今度は指名しようと考えた。

 裏を返すと言う言葉を知っている。多分、江戸吉原由来の言葉だろうが、どれくらいの間隔を空けるものなのだろう。翌日では野暮だろうし、1週間も経ってからでは忘れられているかも知れない。迷ったが、三日後、今度は夜、早い時間、車で向かった。

 駐車場に車を止め、扉を押す。

 「アケミさんは、お休みです」受付の男は手元の勤務表を見たのか、抑揚のない声で言う。馴染みの客ならホステスの休日くらいは知っている。それすら知らないお前は何だ、何をか言わんやとばかりに、受付の男は顔も上げずに、「どうしますか?」と、ここで初めてこちらを向いた。

 三日前に千堂さんと来たのだが、男は覚えているのだろうか。目を合わせても瞳孔に変化はない。どうやら大勢の客の一人、記憶の襞に留まっては居ないようで、気にしなくても良いようだが、ホステスと客、どこまで把握しているのだろうか。客とホステス、関係は、かなりの所まで推測出来るだろう。この前のアケミの扱いにも見当はついているが、顔に出さないだけかも知れない。

 まあ、そこまで客に興味はないだろう。杞憂に過ぎない。

 「指名なしで……」

 帰る訳にも行かず、渋々、そう告げた。もう誰でもいい、手順も内容も解っている。期待する事もない。

 ところが、待合室でマリコと名乗った女は、千堂さんの馴染みの、あの小柄な女だった。でも近づいて横に並ぶと、その身体は弾力がありそうで、体の熱が感じられ、小ささは感じない。むしろ圧倒されそうな雰囲気がある。それと言うのも、千堂さんの話では、あそこの締め具合が凄いらしいのだ。酔っ払った千堂さんによると、マリコはその強さを自由にコントロール出来ると言うのだ。本当かどうかはわからないが、そんな色眼鏡でみるからか、尋常ではない雰囲気がある。

 マリコは饒舌だった。映画で観た泡だらけのネコ足の風呂に憧れ、ようやっとスターのように泡を浮かべて入れるようになり、片足を上げて優雅にポーズを決めた途端に滑り、湯船の中に頭まで浸かり、溺れそうになつたと笑った。そんなものよと、卑下し、自嘲する様子は、初対面の印象とは噛み合わない。こんな風に他人に自分の弱みを話すのは、相手を下に見ているからで、へつらいは、年下の若い男へのサービス、つまり子供扱いに他ならない。しかし、そんな扱いも嫌いではない。全幅の信頼があれば甘えられるかも知れない。でも、慌てて甘える素振りを見せたら、途端にピシャリと拒否されかねない。キャバレーでも、そんな経験があった。彼女らも商売なんだ。テクニックのひとつに過ぎない。

 マリコの身体の洗い方は丁寧で優しい。それに背中は、自分の胸に石鹸をつけ、乳房を押し付けながら洗ってくれる。その上、股間は両の掌で包むように、所謂スケベ椅子の隙間から肛門を洗われた時には、ヒャッと声が出そうになった。他人に肛門を触られた事などない。そこまで洗われるなんて想定してない。思わずマリコの顔を見直したが、ごく当たり前の事のような表情だ。そして、その顔のままくるりと後ろを向くと、しゃがむ動作をして挿入した。まさかここで入れるとは思っていなかったので虚を突かれたが、別に締め付けられる感じはない。それより、それは一瞬で終わり、前戯なのかなと思う。初めての経験が次々に現れ、おかげでアケミとの確執も、はや忘れ、マリコが千堂さんの馴染みなのも忘れ、今度こそ童貞を卒業出来そうだ。

 マリコは振る舞いを隠さない。今から何々をするよ、と、一度顔を見てから行動する。コンドームの装着も口で含むやり方を隠さず、アケミのように分からない等と言うことはない。興醒めだと言われれば、そうかも知れないが、見ることで安心感は拡がり、焦燥感は無くなる。そこから親密さが生まれれば、その先が期待出来る。そんな下心が芽生えたのだが、まだ抱いてもいないのに、童貞も同然なのに、可笑しい限りだ。

 恋愛経験がない訳じゃない。しかし直ぐに駆け引きに持ち込まれて嫌になってしまう。気が短いのかも知れない。好きになって頭に血が昇り、一途に思い詰め、周りが目に入らなくなり、失恋する。そんな時は相手に全く相手にされてないのだ。早々に振ってくれれば良いのだが、気のある素振りで駆け引きを楽しむのか、ふたまた掛けようがみまたになろうが悪いなんて思っちゃいない。それが楽しいのだ。それが女なんだ。そうゆう生物なんだからしかたがない。ただ、ここは違う。駆け引きは関係ない。肉体関係は保証されている。騙されはしない。そんな心配は必要ないのだ。

 マリコが仰向けになり、受け入れる体勢を整えた。首を折り、視線を下腹部に向け、右手を添えてマリコが挿入する。途端に強烈な締め付けを感じた。驚いて、思わず腰を引いて外に出し、マリコに訊ねるような視線を向けると、一心に何かをしているのか、瞳は動かず、目を下腹部に向けたまま脚を開いている。ようやくマリコの瞳が動いた。少し冷たい眼差しで、出した事を咎める雰囲気だ。直ぐに、もう一度、今度はゆっくりと挿入して果てた。千堂さんの話は本当だった。


 けれども、マリコを指名しようとは思わない。一度で十分だと思った。感情が伴わない性行為は、やはり寂しい。この感情こそは恋愛感情ではないかと、予感している。


 名刺を初めて使ったのは営業に配属されてからだ。上司からは、とにかく配れと言われた。そのうちに思わぬ所から電話が入るぞ、とも言われ、待っていたのだが、期待した半分の驚きもないまま時間は過ぎ、新しく買った名刺入れ中で四角い紙は眠っていたのだが、ある日、小さな、四隅が丸くなった女名刺を四角い名刺の中に見つけた。それは営業の、ゴタゴタと長ったらしい役職やカタカナ英語、顔写真とかロゴで飾られた名刺と違い、カヲル、と、源氏名だけの印刷が異質で、少し厚い紙も角の丸みも手に馴染み、仕事の落ち着きを無くさせた。それは昨夜の帰り際に渡された物で、通り一遍の営業活動と理解していたのだが、俄に存在感を増し、女の振る舞いを思い出させる。嫌われたと思ったのだが、待てよと、思い直した。嫌いな男に名刺を渡すだろうか。四隅の丸い名刺がそう言っている。

 女は腰を引き、恥骨を突き出し、密着を避けていた。嫌なんだろう、顔も背けて素っ気ない。なのに帰りしなに名刺を差し出した。もう一度来てくれ、とのメッセージなんだと確信したのは名刺の存在があったからだ。子供のように、好きな相手に嫌いな態度をしてしまい、心と体が乖離しているのだが、その矛盾を紙の名刺が繋いでいる。それが愛しい。夜を待ちきれず夕方には店を訪れた。

 カヲルさん、と告げると、受付の男は顔を上げ、眼鏡の奥の目を見開き、ひと呼吸置いてから受話器を取り、「カヲルさん、指名です」と、呼び出した。待合室には案内されず、二階から階段を降りてくるカヲルを待ち、一緒に部屋に向かう。俯いたまま、カヲルは終始無言だった。目も合わせない。怒っている雰囲気がある。期待した状態とは違い、好かれてはいなかったのかと、己の勘違いだったのかと落胆して、思わず「来て悪かったのかな……」と、呟いた。

 どだい翌日に指名するなんて野暮も良いところで、ガツガツと愛情に飢えたモテない男まる出しだ。名刺は単なる営業手段に過ぎず、深読みしたバカ野郎だ。自己嫌悪に陥り、カヲルに背を向け佇んだ。

 「ごめん、わたし素直じゃないの」背中に抱きついて小さな声でカヲルが言う。

 首を捻り、顔だけ振り向いてカヲルを見ると、神妙な面持ちで上目遣いに見返して来た。さっき迄の膨れっ面が嘘のように消え、拗ねて甘える少女のようだ。"素直じゃないの"と認める素直な女が、どれだけ居るだろうか。やはり、あの、恥骨を突き出し密着を避けていたのは、深入りするのが怖かったのだ。その相手が翌日、直ぐに現れたので驚いて、咄嗟に怒った態度で誤魔化したのだろう。強いのか弱いのか、それだけ期待する物が大きくて、想像を逞しくしていたのだろうか。詫びの積りか、カヲルは上になり下になり、最後は後ろ向きに尻を突き出して自ら動いた。顔の表情は見えなかったが、肛門がヒクヒクと動いて興奮が判り、果てた。


 女性との会話なんて、特に恋人同士の睦言など、するとは思わなかったが、抱き合ったままカヲルは頭の上にあるインターフォンで受付に延長の電話をし、その声は耳だけでなく体を通じて伝わり、その微妙な振動が、まるで肉体と会話をしているように思われ、睦言の本質を知った気になった。もう、少しの力みも無いカヲルの肉体は柔らかく、体重がのし掛からないように両肘を立て、脇の下から腕を廻して肩を抱いていた。それでもお腹はピタッと合わさっており、少しでも動けば細かな震えすら感知出来る。左の脇腹が痙攣するように震え、笑ったのが解る。耳朶を噛んだから、その反応で、咎めてはいない。それどころか、脚を背中に絡ませて足首を組んだ。それで胴を締め、腕を首に廻して力を入れて抱きついた。そのまま動かずに居たのだが、直ぐにインターホンが鳴り、時間が来たのが知れた。二人とも慌てて起き、そそくさと仕度を整えて部屋を出た。ただ、次は来週の火曜日に会う事だけは決めた。

 時間はなかなか進まない。けれども、待つのが苦痛ではない。生活の全ての底にカヲルとの約束があり、その基礎があるので他が安定する。そんな1週間が過ぎ、有給を取り、午後2時の開店直後に店を訪れた。受付の男が珍しく「ご指名は?」と、先に声を出した。昼の時間は指名客が多いのかと思ったが、二階からカヲルが降りてくるのを見たら、そんな些末な事はどうでも良くなり、階段を上る時に背中に触れたカヲルの掌が熱いので、部屋に入ると同時に引き寄せ立ったまま抱き合った。好きな女を、好きだと思う瞬間に抱く、大概は好きだと考えても、その瞬間には抱けないものだ。それが出来ている。頭の中が空っぽになり、そこに密着して触り象ったカヲルの躯が滑り込んで膨らんだ。徐々に肉が詰まって動く。カヲルが笑ったのだ。性器が硬くなり、性交の準備が整ったのだ。服も脱いでないのに勃起したのが嬉しいのかも知れない。

 上の方に一つ空いている小さな窓から太陽の光が射し込んで、ベッドの上に眩しい帯を作る。カヲルがカーテンを引っ張って明かりを遮ろうとするが、カーテンが小さいのか、どうしても両端が空いて光が漏れ、カヲルの身体の隅々まで照らし、夜の照明と違い細部まで映し出す。それを恥じてカヲルは両手で前を覆い、顔を背けた。光は腕や指に影を作り、その黒が深くなれば反対に肌はより白くなる。影は乳房や太股の内側にも出来、山は大きくなり谷は深くなる。そこに顔を埋めて脚を開き、腕を退けようとすると、「グロテスク」と、首を振ってカヲルが呻いた。多くの男たちを受け入れた己の性器を醜い物だと恥じているのだ。そんな事はない。カヲルの性器は小さくて可愛い。それを証明する為にも口を付け舐め吸った。

 とっくに果てたのに、萎えてはいない。カヲルが吸い込むように動いているからだ。入れたまま抱き合って躯で会話をしている。動いても良いが、動かなくても良いのだ。静かにしているだけでも満足だ。


 それからは毎週火曜日が二人の日になった。なるべく昼の一番で指名したかったので、日曜日に販売応援と言って小売店に出掛けて直に客の相手をして売り付け、営業成績を上げ、そうして代替として火曜日に休みを貰ってカヲルに逢った。毎週ひとつは新しい発見があった。キスもそうだし、生での挿入もそうだ。そうやって一つ、また一つと、カヲルの性感帯を見つけ、開発したのだが、体位は正常位のままだ。最後にカヲルの腕は首に、脚は胴に巻き付け、凝っと抱きあったまま過ごすからだ。ところが、ある日、受付の男が「カヲルさん、お休みです」と、言ったのだ。

 約束の火曜日だ、間違いない。「えっ……」と言ったまま絶句した。何か事故にでも遭ったのか、受付の男の顔を窺ったが、知る筈もなく、横を向かれた。

 宛がわれた女は大人しく、目立たなく控え目だった。まるで昭和初期の小説にでも出てきそうな雰囲気だ。丁度いい、喋る気にもなれず、黙って体を洗われ、風呂に入り、ベッドに導かれた。それでも性交は可能で、やけっぱちでも本気でも、違いは無いのだろうか。面白い事に、女は脚を真っ直ぐに伸ばし、足裏を天井に向けてV字に開いた。それが女のスタイルなのか、少しでも快感を得ようとしているのか、必死な情念を感じた。カヲルがいなければもう一度指名したのかも知れないが、次の火曜日にはカヲルに会わずにはいられなかった。来るのか来ないのか、どうして休んだのか、問い詰めるのももどかしく、腰を強く抱き締めたら、カヲルは仰け反り「痛い」と、耳元で囁いてベッドに横たわった。もう躯は熱っぽく、口は喘いで鼻声を出した。どうやら意識的に休んだのは明白で、すっぽかして何を目論んだのか不明だが、自分も焦れて不安に蝕まれたのだろう、脚も腕も身体に巻き付いて離れない。誰が相手をしたのか知りたいのか、「キョウコ」と、答えると、安心したようで、胸から息を吐いた。容姿ではなく性格で安心しているのか、仲の良い同僚だと言って目の奥を探るように見る。嫉妬しているのだろうか。そんなことなら休まなければと、思うのだが、そうゆう事では無いのだろう。経験の少ない男に女の経験を積ませ、アンバランスを無くして引け目を相殺しようと言うのだろうか。そんな馬鹿な思考があるのだろうか?だが、あの"グロテスク"と、呟いた時には自己嫌悪が滲み出ていたのは間違いない。それとも、その自己を卑下した状態を解消する為に休んでキョウコを宛がったのか?


 サツキが脚を揃えて湯船で立った。成る程、言う通りのO脚で、膝の部分が離れ、五センチくらい空いて浴室の壁のタイルが透けて見える。その隙間が自慢なのではない。その上、細い身体に不釣り合いの乳房が、下から見上げると、突き出るような迫力だ。だが、それが何だと言うのか。カヲルを指名せずに上がって気分が苛々し、女を優しい目で見られない。カヲルを裏切っているのだ。好きで裏切るのではない、それを期待され、何なら強要されているような気分がする。そうやって、他の女を抱いた後、カヲルを抱き、お前の方が良い女だと言わされるのだろうか。

 今度はこちらの番だつた。火曜日の昼間、カヲルは遅番で出勤前の筈だ。受付で「ご指名は?」と訊かれ、ありませんと、答えた時の男の顔!混乱しているのだ。火曜日に休んだカヲル。今度は男の方がカヲル以外と。受付の男はカヲルを気にしていたのではないかと思う。少なくともカヲルがこの商売から身を引き、普通の生活をする事を望んでいたのだと思う。だから二人の行き違いを心配し、気を揉んだのだと思う。そして、どうなんだろう、抱きたかったのかなァ……違うな、だとしたら嫉妬して、もっと辛く当たったのじゃないかな。二人の仲が旨く行くように応援していたと仮定した方が良いだろう。それが怪しくなって来た。破綻を見るのが辛いのかも知れない。こんなに気にするのは、男がカヲルの素直さに気付いて惚れ、そこから色々と想像を巡らし、日々の慰めとしていると確信しているからだ。それがどうだ、男はカヲルから離れ他の女としようとしている。どうなっているのだ、との疑問を拭い切れない。そんな目をしている。こちらも、出来ることなら説明したいくらいなのだが、そんなことを忘れる程の快感が襲って来た。サツキの躯は名器だったのだ。あのO脚が曲者だった。

 風邪で休んだ中学生の冬、蒲団に腹這いになり、読み耽った大衆小説の「眠狂四郎」その某巻に記述された跛行の女、将軍に献上する為に苦労して造り上げたビッコの女、そのビッコが名器と関係している。非対称の脚が膣を変形させ、名器に成るとあり、そんなバカなと一笑に伏したのだが、どうも本当だったらしい。サツキの膣が動くのは、所謂ミミズ千匹。それがO脚に関係していると気付き、長年の疑問に答えが見つかり、胸の支えが取れたような気分になった。

 まるでミミズが千匹蠢くように膣壁が蠕動し、ぺニスを刺激する。とても我慢出来るものではない。早々に射精し、果てたのだが、直ぐには抜かない。ある男の言葉を思い出したからだ。遊び人のその男は、名器の女との経験も豊富らしく、そうゆう女とは、抜かずに二回以上するものだ、と、諭された。その時は、まだ童貞の身の上だったので、まるで実感はなく、知識としての必要も感じておらず、聞き流しても良かったのだが、男の話が面白く、結婚して子供まで居るのに、つい最近まで、女のアパートから通勤していたと聞いて、その色狂いは本物だと確信した。ただ、真似は出来ない。もう50歳位だと思うが、腰は低いのにガッシリとした体格で背も80近くあり、逞しいのだ。かと言って男前ではなく、レンズの分厚いメガネを掛け、厚い唇の大きな口から少しハスキーな声を出す。妙に憎めないオヤジなのだ。話では、最近家に戻り、女子大生のソープ嬢のアパートから出社はしてないらしい。

 でも結局は直ぐに抜いてしまい、助言通りにはならなかった。あまりの快感に驚いて五月の目を見詰めたが、五月の瞳には疑問符しかなく、自分の名器には気づいてはおらず、なかなか終らない行為に苛立つ雰囲気だ。つまり、そこまで親しい間柄ではなかった。初めてでは無理な話だ。通いつめ、口説き落として一緒に暮らし、名器に包まれて一生を終えられるなら幸せだとも考えたが、そうは問屋が卸すまい。今現在、素直に認めたカヲルとも拗れているのだ。とうてい巧く行くとは思えない。それとも、肉体関係だけの夫婦が成立するのだろうか……。

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