ミス・ミステリア

@iamiam

ミス・ミステリア

「そうは仰いましてもね、ミス・ミステリア。この館。いえ、この孤島には、被害者を除けばアナタと私の二人だけしかいないのですよ」

「えぇ、充分にわかっておりますとも刑事さんのおっしゃりたいことは。しかしワタクシではございませんよ。ご覧の通り車椅子なのですから。主人の死体は二階で発見されたのでしょう?」

「えぇ、その通り。発見したのは私。部屋に鍵は掛かっておらず、俯せになって倒れてました。死因は絞殺。首には紐のようなもので締めた跡があり、爪で掻いた傷が残ってました」

「自殺ではございませんの?」

「ありえませんね。死体を多く見てきた私です。絞殺と、自殺の違いくらい、ひと目見ればわかりますとも。死体の状態から見て、死後二、三時間程度でしょう。私が館を訪れる前の事です」

「とはいえワタクシではございませんわ。主人を愛しておりましたもの」

「もちろん、充分良く知った上で言ったのです。良いでしょう、そこまで否定なさるなら私もとことんお付き合いしましょう。この大雪です。警察がこの島に来るのにニ、三日はかかるでしょうから」

「あら、やはりワタクシを疑っていらっしゃるようですね。何度でも申し上げますが、ワタクシではございませんよ」

 暖炉の炎が爆ぜる。窓の外では雪が降りしきり、闇夜の中に白銀の世界を作り出す。

「平行線ですね」

「平行線ですわ」

 窓辺に手を置く。冷たい石の冷気が指先の感覚を奪う。

「お座りくださいな。コーヒーでも入れましょう」

「私は結構。紅茶派ですので」

「あら、コーヒーも素晴らしいですわよ」

「あんな得体のしれない液体なんざ、摂取したいと思いませんね。わざわざ黒焦げにした豆を潰して出した苦い液体を体内に入れるなど、正気の沙汰ではない。嗜むべきは茶ですよ」

「仰る通りコーヒーは苦いです。ですが苦味の奥に秘めた香りは、茶とは違う素晴らしさがありますのよ。アメリカでは徐々に広まりつつあるのだとか」

「それしか飲むものが無いからでしょう。カネに目が眩んだ連中です。コーヒーなどで満たされるのでしょう」

「偏見が過ぎますわよ、ミスター。海外には海外の素晴らしい文化、文明、社会があります。互いに歩み寄り、学び合う。高め合うことで、より良い生活が得られるというものですわ。こちらをご覧になって? 美しいでしょう」

 そう言って、本から一枚の栞を取り出す。見れば栞には一輪の花が押されていた。

「これは」

「桜、と呼ばれる花だそうです。可愛らしいと思いませんか?」

「えぇ。こんな花、初めて見ました」

「遥か東方にあるという、日本と呼ばれる国からもたらされたものです。先日催された祝賀会で、日本よりお出でになられた使節の方から頂きました。食といい、建築といい、衣服といい。非常に興味深い話を伺いました。中でも桜という花は、日本人なら誰もが愛する、美しい花だそうですよ」

「しかし国外からの来客が、うんざりするほど沢山の事件を起こしている。刑事の私からすれば、奴らは犯罪者も同義ですよ」

「あら、やはりワタクシ達は合わないようですね」

「昔からだ。昔からアナタと私は相容れなかった」

「懐かしいですわね。初めて会った大学の頃からワタクシ達は言い合ってました。少々お待ちくださいな。飲み物を用意して参ります」

 自ら車いすを操って、暖炉に掛けてあったケトルを取る。コーヒー豆、ではなく茶葉を持ってテーブルに置く。茶葉をティーポットに入れて、ケトルから湯を注ぐ。

 そして空のカップを二つ取って来てテーブルに乗せると、こちらにもケトルから湯を注ぎ入れた。

「ひと目アナタを見た時から私達は合わないだろうと思ってました。方や私は心理学部、一方アナタは文学部。アナタは学年首席の成績を有し、対して私は留年間近の底辺でした」

「学業においては、の話でございましょう。成績こそは振るわなかったかもしれませんが、アナタ様は剣術、馬術、射撃術とスポーツの面では類まれなる才能を発揮したと聞いておりますわ。あらゆる武術に精通していたアナタ様は大勢の婦人から憧れの目を向けられていたのですよ?」

「存じております。幸いなことに私は比較的見てくれも良かったようで、多くのご婦人方から数多くのお誘いを頂きました。食事から観劇、夜のお誘いに至るまで、それはもう沢山」

「羨ましい限りですわ。それほど女性人気のある貴方様が今なお独り身だなんて正直信じられません」

「私なりに事情があったものでしてね。学生時代の後悔を今も引きずっているだけです」

「あら、アナタ様にも後悔の念があるのですね。驚きましたわ」

「これでも人間ですからね。後悔の一つや二つ、あって当然でしょう」

「なるほど、アナタにも後悔があると見ました」

「ありませんわ。これまでも、これからも」

 カップに注いだ湯を捨てる。温めたカップにストレーナ―を乗せて、ティーポットから紅茶を注ぐ。細かな茶葉がストレーナ―の上に残る。カップを取って差し出せば、湯気が立ち、紅茶の香りが部屋に広がった。

「お砂糖は?」

「不要です」

「ではワタクシは二つ」

 砂糖入れから角砂糖をそっと落とす。波紋がカップの中に広がり、雫が浮かんで水面に消える。寄せては返す波の環が、中央に戻って失せる。もう一つ。砂糖を落とせば、同じく波が広がった。

「どうぞ」

「いただきます」

 一口、そっと含む。

 茶葉の香りが広がり鼻から抜ける。甘味の無い、仄かな苦味を舌で転がす。火傷する程ではないが、熱が喉を伝って腹へと伝う。やがて熱さは腹からゆっくりと広がって、手先、足先にまで届く。

「温かいものを飲むと落ち着きますね。穏やかな気分になれる」

「紅茶には血圧を下げる力があります。死亡リスクも幾らか下がるらしいですわ」

「どうりで。やはり紅茶は素晴らしい」

「そうですわ。昨日焼いたクッキーがございますの。ご一緒にいかが?」

「いただきましょう」

 棚から円柱状の容器を取る。純白の、汚れ一つない陶器で、テーブルの上にそっと置く。蓋を取って差し出して、どうぞ、と微笑んで言った。

「これは。チョコレートですか」

「えぇ。チョコレートチップを練り込んだものですわ」

「初めて見ました」

「市場にはまだ出回っておりませんもの。遥か遠方の知り合いからレシピだけ頂いたのです。きっと気に入ってくださると思いますわ」

「お知り合いが多いですね」

「文筆家としての関わりですよ。知見を広げる為にも多くの大学とやり取りしていますもの。もちろん主人の地位もありましょう」

「騎士の称号を持つ、大臣閣下でしたね。惜しい人を亡くしました」

「素敵な方でしたわ。聡明で、優しい紳士で。人望にも恵まれ、毎日のように社交会のお誘いがありました

「確か、ご主人と知り合ったのも社交界の場でしたね」

「あら、よくご存知だこと」

「当時のアナタは既に名売れの美しきミステリー作家。一方でご主人は国家一の美男子とも言われた程の御人です。その二人が結婚すると、毎日のように新聞は騒ぎ立てておりましたから、知らぬ者など居りませんよ」

「恥ずかしいですね。新聞はワタクシ達の事を何だと思っているのでしょう」

「新聞なんてそういうものです。いいえ、新聞に限らず全ての人間は自らの利益のみを追及する。長らく刑事をやって来た、私が見いだした真理です」

「どうなのでしょう。人は人に優しく、街中で困ってる人が居れば必ず手を差し伸べてくれるでしょう。無償の愛、という言葉もありましてよ?」

「偽善です。自己の良心を慰める為に手を差し伸べてるに過ぎません。もしくは神の目が、あるいは、他者の視線が、そこにあるから手を差し出すのです。見返りを無くして人は人に優しくできない。これに例外はありません」

「それは。アナタ様も、と?」

「えぇ。漏れなく」

 カップを取る。そして一口含む。カップを置けば湯気が立ち上り、不定形な白の塊は宙にゆっくり広がり消えていく。

「生きにくい世の中ですわ」

「えぇ、自己責任の世ですから。自らの事で精一杯の世の中なんです。自己を救うため他者を殺す。そんな事例を見てきました。悲しい事だと思います。あってはならない事だと思います。しかし私はこれが悪い事とは思いません」

「と、仰るのは?」

「他者を殺さねば生きられなくなる。そこまで追い詰められてしまった。追い詰めてしまった状況こそが悪なのです」

 暖炉の炎が爆ぜる。薪が崩れ落ち、火の粉が舞う。火の粉は直ちに灰となり、重力に従い降り積もる。雪とは異なる灰の雪は、厚く積もって重なっていた。

「時折感じることがあります。いっそ死んでしまえたら、と」

「生とは希望では無く、義務である。生存とは、神が、政府が、社会が求める義務なのですよ。生きて自らに尽せ。それこそが幸福であると。人は擦り込まれて成長します。ご存知ですか、死とは生物が進化の過程で獲得した能力だということを」

「初めて耳にしましたわ」

「大昔。それこそ我々が単細胞生物だったころ。死というものは存在せず。いつまでも生き続けていた。しかし細胞が集い、一つの生物となる頃。死というものを獲得していったそうです。生物にとって死とは、必要な事だったのでしょうね」

「アナタ様にとって死とは?」

「救いです」

 手にしたカップを静かに置く。カップの内の水面には、暖炉の炎に照らされた影が揺れる。それを眺める姿を見ながら、そっと頬を緩めた。

「無論。死など求めず、幸福に生きるべきであるのは確かです。しかし幸福になりきれないならばいっそ、と思うのですよ。殺人は樽に水を注ぎ過ぎたのと同じで、心と呼ばれる不可視の容器に感情の水が溢れて起こる。己の心を守るために起こしてしまうものです。それで魂が救われるなら死を望んでも良い。と、私は思います」

「刑事さんらしくありませんわね」

「えぇ、刑事として失格でしょう。しかし犯罪を防ぐ以上に、人々が幸福に生きる。それこそが我々人類が求めるべき世であるはずです」

「仰る通りでございましょう。昔、ある人が言ってましたわ。魂とは、意志と記憶と感情である、と。経済的な豊かさより、追及すべきは魂の安らぎなのではと、つくづく思うのです」

「同感です。この刑事という仕事をしていると、様々な人に会います。ミステリー小説のように、初めから人を殺そうとして用意周到に計画を練る。そんな事態はまずありません。カッとなった拍子に思わずプスリ。アナタの言う、感情が爆発して衝動的に、行為に及んでしまうのです。虫も殺せぬような美しき作家でさえも、激情には逆らえません」

「ならばアナタ様も」

「人間である以上、同様です。例外はありません。他者の死を求めるのは仕方のない事なのです。人間である以上は、他者との間に問題を抱える。悩んで悩んで悩み抜いた、その結果。逃げ場を失くして殺めてしまう。こうした人間らしさが事件を引き起こしているのです。故に私は人間らしさの欠片も無い、ミステリー小説が嫌いなんですがね」

「あら、目の前にミステリー作家が居ましてよ?」

「アナタの作品は他と違い、人間模様に重きを置いている。トリックや、犯人探しばかりする量産型ミステリーよりよっぽど良い。鼻持ちならない探偵が活躍するのは、いただけませんが」

「なんだか。救われた気になりますわ。どうぞ、お召し上がりになりまして」

「いただきます」

 クッキーの容器から一枚だけ摘む。一口齧ると口の中にチョコの香りが広がっていく。噛むほどにチョコは砕けて溶けだして、口いっぱいに甘さをもたらす。残りも全て放り込めば、口いっぱいに頬張った。

「これは、中々に美味ですな」

「そうでしょう。主人は苦手でしたけど、多くの方に喜んで頂けましたわ」

「もう一枚だけ頂いても?」

「えぇ、もちろん」

 もう一枚、クッキーを齧る。穏やかな甘さを紅茶で流す。大きくひと息ついた時、電話のベルが鳴った。

 車椅子を動かして受話器を取る。振り向き目配せをした後、黙って受話器を差し出す。カップを置いて受話器を受け取る。用件を聞くと、わかった、と一言呟き受話器を置いた。

「ミス・ミステリア。お喋りは終わりにしましょう」

「改まって刑事さん。いったいどうされたのです?」

「どうもこうもありません、ミス・ミステリア。事件の解決こそが私の仕事です」

「わかりましたわ刑事さん。楽しい時間は終わり、という事ですね」

「今だけの辛抱です。念のため確認させていただきます」

「えぇ。構いません」


「この島には私達二人と被害者である、ご主人だけが居た。ご主人は何者かの手により絞殺され、二階の部屋で倒れていた。発見者は私。発見当時には息が無く、死後二、三時間程度は過ぎているでしょう。私が館を訪れる前の事です」

「しかしワタクシは足が悪く、二階に上がることはできません」

「その通りです。ならばいったい、どのようにして殺されたのか。世界的なミステリー作家であるミス・ミステリア。アナタには思いつきますか」

「いいえ。見当もつきませんわ。しかし、この島にはワタクシとアナタ様、そして命を落とした主人の三人しか居りません。刑事さんこそ、場数を踏んだ優秀な刑事さんなのでしょう。思い当たることがあるのでなくて?」

「それが全くわかりません」

「しかし、この島で二階に自由に行き来できるのは刑事さんだけにございます」

「そうは仰いましてもね。私にはご主人を殺害する義理も、道理もありません。ましてや刑事たる私が人を殺すなど、絶対にあり得ません」

「でしたら全くわかりません」

「世界最高のミステリー作家と、場数だけは踏んだ刑事である私が分からないのです。幸か不幸か、この事件は迷宮入りになるでしょう」

「ご協力感謝致しますわ。アナタ様のお陰で救われました」

「お構いなく。アナタの為、ですから」

 ティーカップに手をつける。そして一気に飲み干す。冷めてしまった紅茶は甘く、豊かな香りと共に広がる。テーブルにそっと戻すと、ミス・ミステリアは微笑み言った。

「おかわりは?」

「いただきます」

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