愛別離苦、怨憎会苦《ドグラマグラ・アブラカタブラ》

感 嘆詩

御前、何も女だけが、般若真蛇に成るわけでございませぬ。

 子供の頃に東京に越してきて驚いたものである。長命寺、というらしい。これはもはや桜餅ではないだろうと。あまりにも違いすぎる。桜色で、桜の葉の塩漬けを巻いているくらいで、肝心要の生地が違いすぎる。


 いや、違うのか?餡という中身が詰まっていて、同じ色で同じ桜が巻かれていれば、その所属さえ明確であるならば、それは桜餅なのだろうか?


 そんなことを弟に話して、またおかしなこと言ってる、と笑われたのも懐かしい。


 弟と下男の稚児宮と三人、東京郊外の屋敷に移ってしばらくした頃だった。その頃はまだダイオキシンの問題が騒がれておらず、屋敷に備え付けの焼却炉でなんでもかんでも焼いていたのだが、いつのまにか下男と僕とで愛用していたリボンタイをうっかり放り込んでしまったようで、楽しんで使っていただけに酷く落ち込んだものだった。


 また新しいのを買いましょう。なぁに私は商才だけはあるんです。坊っちゃんに相応しいものをうんと買えるだけ稼ぎますよ。ただ、家柄がよろしくないので、名義貸しは頼みますよ。と、稚児宮。たくましい男だった。


 その後も、二人の共用の品は度々行方不明になった。


 稚児宮は座敷童の悪戯でしょうと笑った。


 思えば最初から、あの怪異は屋敷に潜んでいたのだろう。もっと早く、気づけていれば。



 あの凄惨な出来事から度々、(もしかしたら気づかなかっただけで屋敷に来た最初から)封鎖した焼却炉からあれの唸り声が聞こえていたが、それでも僕は屋敷から出ることはなかった。


 臥薪嘗胆ですよ坊っちゃん。稚児宮がいつも僕に言い聞かせていた言葉を反芻しながら、焼却炉から漏れるあれの声を聞き、その度に薄れぬようにと憎しみを刻みつけてきた。流石に不便だったので、稚児宮が遺した大切な資産をすら処分して、別に大型の焼却炉を建てたが。あいつ、僕が大人になった時のためにとたいそうな規模で貯め込んでいたらしい。



 何度か、件の焼却炉に人を招いたことがあった。大層な高僧であったり、天性の霊媒であったり様々だったが、どれも本物、であった。あれに遭ってからその類いの目利きが出来るようになっていたのだ。


 そして彼らは皆似たような言葉を残していった。


 捨身、または焼身と言いう言葉がありまして。高僧の場合はそう朗々と始まった。

 我が身を擲って虎の親子を救ったり、衆生を救う有難い言葉を得るために羅刹に身を食わせたり、そういった説話がたくさんあるのです。

 この豪奢な袈裟をご覧なさい。これを作るお金があれば、一時とはいえひもじい思いをする子供を救えるでしょう。でもね、誰も粗末な服を着た坊主を有り難がらんのです。いかにもご利益がありそうな、福福とした装いをして初めて、ああよかったこれは安心だ。極楽極楽往生できる。と、そうなるわけです。だから私は生臭と呼ばれようが金を必死に集めました。心安らかに衆生が浄土に往くならば、大焦熱の、地獄におちても構わぬと。

 ただ、老いて愚かにも欲がでてしまいまして、あわよくば、捨身成道でもできゃせんかな、と。

 詰まるところ、あなたにお呼ばれしてノコノコとここまで来たのはそういった理由なのですよ。

 生きとし生けるものが幸せでありますように。南無…

 と、最後まで祈り続けていた。ああいうのを、徳の高い人というのだろう。

 僕は彼らの犠牲に報いることが出来るのだろうか。



 あの凄惨な出来事の少し前、弟はビーダ爆男、という玩具にハマっていた。謂わば強力なおはじきのような代物で、子供受けするカッコ良さなのだろう。派手なキャラクターの腹部にビー玉を嵌め込み飛ばす装置が付いている。将来はビーダ爆男になるとはしゃいでいた。お兄ちゃんも一緒に目指そう。と、弟とは何とも可愛らしい生き物である。で、あった。


 その様をみて稚児宮は次のお楽しみはこれにしますか、と言い、大層困ったのを覚えている。ガラス工芸の仕入れを商いに加え、ついでで買った様々なビー玉を詰め込んできた。腕のある趣味人というのは厄介なものだ。恥ずかしくも度々、私は私で射的を楽しんだ。


 ビー玉を握りしめる。稚児宮と、そして弟が後押しをしてくれた気がした。



 あの凄惨な出来事の数日前、東京に来たばかりの長命寺道明寺の会話を憶えていた稚児宮が、相変わらずの洒落ッ気で柏餅を桃色に塗り、柏葉を剥がして代わりに塩漬けの桜の葉を巻いて寄越してきた。これはさすがに柏餅ではないのかと言ったが、

 中身が何だろうと、まわりに何を言われようと、朱に交わって、桜の葉を巻いてしまえば、桜餅の大義名分が立つ。だから坊っちゃん、俺らは家族ですよと稚児宮は言った。

 好き勝手やる男だったが、そういった真面目な話は照れ隠しに迂遠な例えを入れないと進められないらしかった。

 身分よろしくないと就けない仕事や忌避される役職というのは未だあるもので、僕が成人して彼が養子として戸籍に入ることで、やっとお家の盛り返せる目処が立つつという話だった。

 まだ遠い未来であったが、僕らの聖なる約束がそこで結ばれた。



 そして、凄惨な出来事。焼却炉の前、稚児宮の腹には臓物の代わりに種々様々のガラス玉が詰め込まれていた。全て僕と稚児宮の集めていた、そして紛失したものだった。

 本物のビーダ爆男をつくりたかったんだ。と弟は、弟だったものは取って付けたように言った。あれは、稚児宮を毒虫を処理したように、憎悪と達成感とで見下ろしていた。

 僕は、その時にやっとこれが、弟の皮を被った、塩漬けの桜の葉を巻いた偽物だと気づいた。それまであったあらゆる失せ物はこの怪異によってもたらされたのだ。そしてどんな因果か弟の体を乗っ取り僕と稚児宮の絆を死によって決定的に引き裂いた。気づいたときには最愛の家族を二人も失ってしまっていた。


 だから、閉じ込めて、焼いたのだ。



 終に時が来た。封じていた焼却炉を開く。人が三人も寝そべるといっぱいになる空間のはずだった。何か、怪異のおぞましい企みなのか、扉の向こうは、今は追われた生家の、思い出の兄弟部屋が広がっていた。その備え付けの可愛らしい暖炉から奇声を上げて這い出てくる


【ぼくがけがらわしいあくまからおにいちゃんをまもるんだ】


 やめろ!弟の声でおかしなことを叫ぶな!化け物め!!


 炭化した弟の体に、この怪異は残酷無惨にも取り憑き、今もなお辱しめている。


 なんと醜い存在なのか。善性という桜の葉も、肉体という肌色の生地も剥がれて本質である餡が露出した。この邪悪な本質が弟を内側から食い荒らしこうして何年も焼却炉に潜んでいた。


 弟が大好きだったビーダ爆男で、稚児宮との絆になったビー玉をぶつけて、怪異の体を削っていく。三人で力を合わせこの化け物を倒すのだ!


 新設した焼却炉で、霊力のある人間を焼いて出来た灰や骨をガラスと混ぜて作った特製のビー玉だ。怪異はどんどんと肉体を失いながら尚おぞましく叫んだ。


【まもるんだぼくがかならずぼくだけのおにいちゃん】


 まもってくれ稚児宮。弟の大切な形見を握りしめ祈る。


 ビー玉を撃ちながら、かつて天性の霊媒が放った、その怪異の名は『愛と憎しみ』と申します。という託宣が、いやに耳にこびりついていた。


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愛別離苦、怨憎会苦《ドグラマグラ・アブラカタブラ》 感 嘆詩 @kantananaomoshiro

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