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海牛トロロ(烏川さいか)
第1回 スクール水着・ロリ・カメラ
「私のスクール水着とあなたのそのカメラ、交換してくれませんか?」
「……は?」
俺は最初、その言葉の意味が理解できなかった。
河原で山に沈む夕日を写真に収めていたところ、不意に背中から声をかけられたせいもある。
しかし、後から考えて見れば、例えちゃんと顔を合わせて心の準備をした状態で言われたところで、理解できたとは思えない。
振り向くとそこには、赤いランドセルを背負った女子小学生がこちらを見上げて立ち、か細い腕を突き出してきていた。手には紺色の布の塊が握りしめられている。
そしてその目は、一直線に俺が持つ一眼レフカメラへと向けられていた。
身長は俺より40センチほど低く、130センチ前後だろうか。学校指定の黄色い帽子から覗く黒いボブカット。色白で、黒目が大きくてあどけないものの綺麗な顔立ちをしている。おそらくクラスではかなりモテることだろう。
「えーと、なんだって……? ていうか君は?」
困惑しながら俺が訊ねると、その小学生ははっとしたようにぺこりと一礼。
「失礼しました。自己紹介が先でしたね。スクール水着や制服はそういった情報があった方が萌えると聞いたことがありますし」
「ねえ何言ってるの君……?」
「私の名前は
「え、何が?」
「というわけで、このスクール水着とそのカメラを交換してください」
「いやいやいや!! 全く意味が分からないんだけど!?」
何だ? ドッキリか何か?
実は近くの茂みにカメラマンが隠れていて、俺の反応を見て楽しんでるとか……?
「どうしたのですか、キョロキョロとして……ああ、大丈夫ですよ、安心してください。この時間、この辺りはそんなに人通りはありませんから、私たちの取引が誰かに漏れることは恐らくありません」
「いや、そういうことじゃなくて……」
何この子、怖いんだけど。
見渡してもカメラマンが隠れられそうな場所なんてなかった。
隠しカメラが仕掛けられている様子もない。
一応は“プロ”の目で見てそう言うのだから確かだ。
つまりこの子は、自分の意思で自らのスクール水着と俺のカメラを交換したいと言っているのだ。
まだドッキリの方が数段マシだったな……。
妙なやつに絡まれてしまったものだ。
とりあえずだ。事情を聞こう。
罰ゲームか何かでやらされている可能性もあるしな。
表情を見る限りそんな感じもしないが……一応。
「なんでそこまでしてこのカメラが欲しいんだ?」
「決まってるじゃないですか。将来、写真家になりたいからです」
「ほう」
意外だった。
所詮は小学生だし、もっとどうしようもない理由なのだと思ってた。
ひとまず詳しく聞いてみるのもありかもしれない。
「写真家に憧れたのは、どうして?」
「……」
瑞希は質問に答えず、しばらくじっと俺の顔を見つめていた。
「どうした? 顔に何か付いてるか?」
顔を触ってみるが、何も付いてない。
「いえ、なんでもありません」
瑞希が何事もなかったかのように話し始めた。
「SNSである写真が流れてきたんです。何の変哲もない街の一角でした。築何十年かも分からない古い民家が並ぶただの通りの写真。ある家には子ども用自転車が立てかけてあったり、またある家の前には様々な植木鉢が並べられていたり。本当にごく普通の、ありふれた景色を写した一枚でした」
俺と対面しながらも、瑞希の目は遠いどこかを見ているようだった。
きっと今彼女の脳裏には、その写真の景色が浮かんでいるのだろう。
「でもなぜか、その景色がとても綺麗に見えて仕方なかったんです。それでその瞬間、気付きました。私たちが普段過ごしているこの場所すべてが、カメラのレンズでとらえることによって美しく変貌しうるんだって」
そう言って、星屑を散りばめたようなキラキラとした目で見上げてきた。
ああ、懐かしいな……。
ずっと前、俺にもそんな目をしていた時期があった。
目標に向かってただ突き進んで、挫折も停滞も知らない目だ。
「それで、写真家を目指したいと……?」
「そうです」
「はあ……写真家はやめておけ」
「どうしてですか?」
「どうしてもだ」
「それでは納得できません。ちゃんと理由を説明してください」
それは、俺が写真家だからだ。
子どもの頃から写真が大好きで、コンテストにもたくさん応募しては、賞を総なめにしていた。
そういった実績もあり、プロの写真家になった時もしばらくは調子がよかった。
しかし、運よくトントン拍子にやってこられたツケだろうか。
俺は挫折を味わった。
同じような写真しか撮れないだとか、いつまでも子どものような写真だとか、ただただつまらないだとか。
良い評判よりも、酷評の方が多くついて回るようになったのだ。
俺自身焦った。もがいた。
どうにか打開しようと努力した。
闇雲に、ただひたすらに。
だが、ダメだった。
どれだけ頑張ろうと、結果は出なかった。
いつの間にか仕事は減り、俺の写真は誰にも見向きもされなくなっていった。
「おじさんは、どうして写真を撮ってるんですか?」
「え」
「つい今さっきも、写真を撮っていましたよね?」
「俺は……」
どうして、だろう。
夢が破れ、大きな挫折を抱えてもなお、どうして俺は写真を撮るんだろうか。
今撮っているこの写真だって、金にはならない。
SNSに上げたところで見てくれる人も僅かだ。
それでも俺は、写真を撮っている。撮り続けている。
なぜ?
……ああ、いや待て。至極単純なことじゃないか。
自問自答の末、行きついた答えは一つだった。
「好き……だからかな」
「ふーん、好きだから、ですか」
そうだ、好きなんだ。
どうしようもなくこき下ろされても、否定されようとも、俺は写真を撮るのが好きで仕方ないんだ。
何も、誰かに評価されたくて写真を撮っていたわけじゃない。
こんな簡単なことを忘れていたなんて。
ああ、何年ぶりだろう。こんな感覚久しぶりだ。
子どもの頃、まだ誰も俺の写真なんて見てもくれなかった時。
それでもがむしゃらに写真を撮りまくっていた時の感覚だ。
俺は瑞希を見た。
きっとこの子ならできる。やり遂げられる。
この目をした瑞希なら、どこまでも突き進んでいけるはずだ。
挫折をしたって、転んだって、そのたびに立ち上がればいいだけなんだ。
瑞希なら何度だって立ち上がることができると思う。
俺は無言で瑞希に背を向け、持ってきたバッグを漁った。
そしてあるものを取り出し、瑞希に差し出す。
「もう使ってないカメラだ。これをやる」
「え、いいんですか……?」
俺は頷いた。
それは古いデジタルカメラ。
俺が初めて小遣いを貯めて買ったカメラだ。
とっくに使ってないが、お守り代わりに持ち歩いていたのである。
きっとカメラにしたって、ただ持ち歩かれるだけより使ってもらった方が嬉しいに決まっている。
瑞希はカメラを受け取ると、たっぷり10秒ほどかけ、うっとりとした顔でそれを見つめ、次に俺を見て頭を下げた。
「ありがとうございますっ!!」
ここまで喜んでもらえるなら、あげて本当に良かったな。
しかし瑞希はすぐに、何かに気が付いたかのように、
「ではこれを」
と言ってスク水を差し出してきた。
「いやいや、いらないから。てかそもそもまだ授業で使うだろ?」
「今日が小学校での水泳は最終日でしたので問題ありません」
「それを抜きにしても俺なんかにスク水をあげるのは問題がありすぎだろ」
「どうしてですか? 何かを得るためには、同等の対価が必要なんですよ? それが世界の真理なんですよ?」
「どこの錬金術師の影響を受けたんだよ……」
俺は適当に口実を考える。
「あーほら、先輩って後輩に色々奢ってあげるもんだろ。そういうもんだと思ってもらってくれ」
「嫌です。ちゃんと対価を支払わせてください」
なかなかに頑固な子だ。
たぶん俺並みに。
きっと何を言っても、一方的に享受することに納得してくれないだろう。
だとすれば……。
「ならわかった。降参だ」
その言葉を聞くなり、にこぉと笑みを浮かべてスク水を寄せてくる瑞希。
俺はそれを手のひらで押し返した。
「いや、スク水は受け取らない。その代わり――」
「っ!?」
今度は若干頬を赤らめ、自らを抱き締めるような仕草をする瑞希。
この一瞬で一体何を想像したんだよ。
瑞希の将来が本気で心配になってきたぞ……。
俺は咳払いをして仕切り直してから言う。
「その代わり――俺の助手になってくれ」
「助手……ですか?」
「荷物運びだったり、各所との連絡窓口だったりをやってほしいって言ってるんだ」
ついでに写真の撮り方だとか簡単な加工の仕方を教えられたらと思っている。
「ただ、さすがに小学生にそんなことやらせるわけにはいかないから、せめてまずは義務教育を終えろ。その時になってまだ対価を払いたければ、俺のところまで来い」
「つまり、高校に上がったら助手にしてくれるってことですか?」
「それでも徐々にだがな。学生の内は、勉強を最優先にするべきだし。それまではこのカメラで自主練してろ」
「私のカメラ……高校生になったら助手に……」
瑞希は視線を手の中のスク水……じゃなくて、その隣のカメラへと落とした。
そして少しの間黙っていたかと思うと、急にぱぁと顔を輝かせて飛び跳ねだした。
「んやったぁ!」
そのままスキップをしてうさぎのようにその場を跳び回る。
「私写真撮れるんだ! 助手にしてもらえるんだっ! 夢に一歩近づいたんだ!」
喜ぶ彼女を見ていると、つられてこちらまで嬉しい気持ちになった。
だがもうすぐ暗くなる。
早いところ必要なことを済ませなければ。
「じゃあ、連絡の取れる手段として、一応俺のSNS教えておくな。ID言うぞ」
「あ、その必要はありません」
飛び跳ねていた瑞希が立ち止まった。
「なんでだ?」
「もうTwitterフォローしてますので」
「は? いつの間に」
「ずっと前からです」
「ずっと前からってどういう――あっおい!」
俺の疑問を聞こうともせず、軽い足取りでその場を後にしようとする瑞希。
河原の土出を一気に登りきり、くるりとこちらを向いて満面の笑みで叫ぶ。
「助手にしてくれるお話忘れないでくださいよー! ありがとうございましたー!!
そして今度こそ、背中を向けて去っていってしまった。
最初こそ訳のわからないやつかと思ったが、芯のしっかりしたいい子だったな。
ん……?
というか俺、あいつに名乗ったっけ?
まあ、いいか。
今までは、挫折して地を這ったまま、起き上がることを忘れていた。
いや、その自信を無くしていた。
だが、今日瑞希を見て初心を思い出し、またスタートをやり直せる気持ちが湧いてきた。
今は小学校6年生って言ってたな。
瑞希が俺の助手になるとすれば、およそ3年半後か。
それまでに俺も、今よりもっと自信の持てる自分にならなくては。
立ち止まっている暇なんてない。
手にしたカメラにそっと力を込めると、唐突に背中から風が吹く。
もうすぐ秋を迎えるその風は、例年より少しだけ温かく感じた。
―了―
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