3.憲法を無視するヤバさ。

日本国憲法が制定されて七十五年が経つ。


七十五年間、憲法が抱える矛盾を誰もが無視してきた。結果――憲法など口先でどうにでもなるという認識が国民に沁みついてしまう。


それは政治家も例外ではない。


二〇一二年に自民党が提出した憲法改正案は人々を呆れさせた。


つまり、「憲法は国家権力を拘束するもの」という認識が全くないものだったのだ。


改正案には、「日本国民は国旗および国歌を尊重しなければならない」だの「家族は協力しなければならない」だのという条文があった。末尾には、「全ての国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書かれていた始末だ。そのくせ、最高法規の人権条項は全て削除したのである。


憲法を学ぶ者は、芦部信喜の『憲法』を必ず読む。「憲法は国家権力を拘束するもの」という基本とその理由も『憲法』の冒頭で述べられている。だからこそ、自民党が憲法改正案を作ったとき、芦部信喜や『憲法』を知っているのかという非難が一斉に上がった。


二〇一三年――民主党の小西洋之議員が、参議院予算委員会で安倍元首相に尋ねる。


「総理、芦部信喜という憲法学者をご存じですか?」


「存じ上げておりません。」


私はガクッときた。


それは、自分の党が出した改正案がなぜ批判されているか知らないということではないか。


憲法は、理想の国家像について述べるものではない。「家族は協力しなければならない」など全くどうでもいい。自民党でさえこの有様ならば、憲法を改正することは難しいのかもしれない。


巨大な穴が憲法には空いている。その穴を、「既に空いているのだから」とさらに拡げたのが二〇一五年だ。同性婚を作るということは、別の部分にさらに穴を開けるということである。


もし、憲法を変えずに同性婚を作ったとしよう。同性間による婚姻の自由と平等を保証する条文はどこなのか。二十四条のはずだ。同性婚をしたカップルが、不本意な結婚や両者の平等を巡って訴訟したとき、「両性」「夫婦」という言葉は彼らの関係に適用されるだろう。


いつのことか――同性婚を求める在日ドイツ人と日本人カップルのインタビュー記事を読んだ。そのドイツ人は、「ドイツでできたことがなぜ日本でできないのか」と言っていた。


私はこう答える。「憲法が違うからだ。」


ドイツの基本法には、同性婚と矛盾する文がない。


【ドイツ連邦共和国基本法 第6条 婚姻】

① 婿姻および家族は、国家秩序の特別の保護を受ける。

②子の監護および教育は、両親の自然的権利であり、かつ何よりも先に両親に課せられた義務である。その実行については、国家共同社会がこれを監視する。

③子は、親権者に故障があるとき、またはその他の理由で放置されるおそれのあるとき、法律の根拠に基づいてのみ、親権者の意思に反して家族から分離することができる。

④すべての母は、共同社会の保護と扶助を求める権利を有する。

⑤非嫡出子に対しては、その肉体的および精神的発達ならびに社会におけるその地位について、立法により嫡出子と同じ条件が与えられる。


しかし、同性婚と矛盾する言葉が日本の憲法にはある。小さいが、無視はできない。しかも日本の憲法は既に壊れている。もし、「両性」「夫婦」という言葉が、「男と男」「女と女」という意味で解釈できるのならば、別の意味での解釈も可能だ。


――絵空事と思うだろうか?


二〇一二年・八月のこと――ブラジルのサンパウロ州で、女性二人と男性一人による結婚が正式に認められた。三人は、長年に亘って一緒に暮らし、家計も共有していたという。サンパウロ州は、「確かに新しい形式ではあるが、明確に禁止する法律はない」として届け出を認める。


翌年・十二月――ブラジルでは同性婚が認められた。


注意しなければならないことがある。


それは、同性婚を認める法律がブラジルの議会で通ったことはないところだ。それなのになぜ成立したかと言うと、「同性婚がないのは平等権に反する」と連邦最高裁判所が判決を下したからだ。これを受け、同性同士で婚姻届けを提出しても受理すると大統領が発表する。


しかしブラジルの憲法には、同性婚と矛盾する文がある。


第二百二十六条 五項「夫婦共同体に関連する権利および義務は、男および女により平等に行使される。」(『関係諸国法令集59 ブラジル編 その20』鈴木信男訳)


このエピソードを書くにあたって、私は原文を当たった。「男」と「女」は、"pelo homen" と "pela mulher" となっている。私もポルトガル語は詳しくない。調べると、"pelo" は男性定冠詞であり、"pela" は女性定冠詞だという。


普通に解釈すれば、男性と女性一人ずつだ。つまり、三人婚も同性婚も矛盾する。しかし認められたのは、憲法に対する意識が適当だったからだろう。


二〇一六年――コロンビアでも同性婚が認められた。


コロンビアもまた、法律によって同性婚が作られたのではない。同性同士で結婚できないのは平等権に反するという憲法裁判所の判決が出て、婚姻届が受理されるようになったのだ。


コロンビアで最初に認められた同性婚は、三人の男性によるものだった。


普通、「三人の男が結婚した」と言えば、三人の男が別々の女性と結婚したという意味だ。ところが、三人の男が同じ夫婦になってしまったのである。


そして、コロンビアの憲法にも、同性婚と矛盾する一文がある。


第四十二条「家族は社会の基幹である。それは、自然なつながりや、法的な関係、あるいは男女による自由な婚約、ないしそれを順守する責任ある決意を通じて形成される。」


この文は、以前、英語版より私が訳したものである。今回は原文を当たってみた。「男」は "un hombre" となっており、「女」は "una mujer" となっている。"un", "una" は不定冠詞であり、英語における "a/an" と同じ意味である。つまり、「一人の男」と「一人の女」だ。


言うまでもなく、重婚は社会の規範を乱す。結婚には、一対一で貞操観念を結ぶという目的もあるのだ。重婚を認めた場合、不倫や乱交を社会的に促進させる可能性がある。


左派・進歩派の中には、「同性婚とは違い、重婚は倫理的に認められるものではない」「同性婚と重婚を混同することはおかしい」と主張する者もいる。


しかし、様々な国家・民族・部族・宗教が世界にはある。中には、重婚が伝統的に認められている所や、家族での結婚が認められている所もある。


では、そのような人たちが我が国に帰化したとしよう。「同性婚が『多様性』として認められるのなら、我々の結婚も受け入れろ」と彼らが主張してきたら――どうなるのか。


左派・進歩派なら、手の平を返す可能性は高い。

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