妻の味

蒼生

第1話

小学生の頃、人生で一度だけ金魚すくいをやったことがある。夏祭りのために貯めていたお小遣いから200円を出して、引き換えにポイを受け取った。水につけて金魚を追いかけ回しているうちに破れてしまったが、運良く1匹だけすくうことができた。赤い小さな金魚だった。金魚が入ったお椀をテキヤのおじさんに渡すと、おじさんが金魚を透明な袋に入れてくれた。その後に機械で空気を注入していたが、水に勢いよく入る泡で金魚がグルグル回転していたのを覚えている。袋のままではかわいそうだと思ったが、あいにくうちには金魚鉢がなかった。仕方がないので、ペットボトルを半分に切ってそこに入れてやった。生き物を飼育するのは初めてだったので、嬉しくて金魚に名前をつけた。なんとつけたかは覚えていないが。明日、金魚鉢と金魚の餌を買いに行こう。僕は、そう思って寝たのだった。

次の日僕が起きると、金魚がペットボトルの中で横向きに浮いていた。悲しいというより、残念な気持ちが大きかった気がする。僕はそいつを庭に埋めてやった。庭の端っこを掘り返して、ぐにゃぐにゃと力ない小さな金魚を穴に入れた。その上にスコップで土をかけた。天国で泳げないとかわいそうだと思い、ジョウロに水を汲んでかけてやった。すると、次の年に僕が金魚を埋めたところを中心に、アカツメクサがたくさん咲いた。たまたまどこかから飛んできた種が花を咲かせたのだろうが、幼かった僕は金魚が帰ってきたのだと感じた。僕はアカツメクサの小さな花を取って、蜜を吸った。僕の小学校では、そうやるのが流行っていたからだ。金魚の味がするかと思ったが、そもそも金魚の味など知らなかった。

昨年、妻が死んだ。癌だった。病気が見つかった時には、すでに身体中に転移していた。それからはあっという間で、それはもう、呆気なかった。四十九日に納骨をするとき、ふと思い出したのが、庭にアカツメクサを咲かせた金魚だった。もしかしたら、妻も花を咲かせるかもしれない。そんなことはありえないと頭ではわかっていながらも、試さずにはいられなかった。僕は妻の小さな骨壷から、骨をひとつ抜き取った。納骨の帰りに植木鉢を買って、そこに庭からかき集めた土を入れ、妻の骨を埋めた。そして今日、そこに一輪のタンポポが咲いたのだった。

なんという奇跡なのだろう。まるで妻が戻ってきたようだ。僕はもう幼くはないけれど、そう感じずにはいられない。これなら、妻も白い綿毛になって空に昇っていけるはずだ。妻の骨から咲いたタンポポが旅立つまで、僕はまた妻との生活を続けられるのだ。……しかし、そうなれば妻はまた僕の元から去ってしまうことになる。僕らは、また離れてしまうのである。僕はタンポポの花を見つめる。そしてふと思いついたのだ。

僕はタンポポを引き抜き、自分の口に入れた。そのまま、タンポポをむしゃむしゃと食べた。もしかしたら、これが妻の味なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妻の味 蒼生 @aoilist

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ