九州鉄道

「開業から20年も経っている! あの頃の鉄道とは、まるで違うのだ!」


 鉄道建設に奔走し、鉄道の頂点に君臨し続けた井上勝も最早これまでか、皆がそう苦笑した。

 一目置いていた仙石を些細なことで叱りつけ、やり返されていた。

 それにしても、怒号が途切れない。井上は反論はおろか、なだめる気力も失っているのだ。

 

 鉄道国有化論争が巻き起こった折、井上は一部買収を唱えたが、閣僚に負けて全私鉄買収が法案として提出された。財政を考えれば無茶だと思うが、議会から井上を排除出来ればいいのだろう。

 議会では私鉄の株主でもある議員たちが激しく抵抗して否決、私鉄を促進するものに修正されて鉄道敷設ふせつ法が成立した。

 閣僚と議員の板挟みになって、井上は議会での力を失った。


 この直後、鉄道庁は内務省外局から逓信ていしん省外局に移管された。これは、井上の権限を弱めるためだと噂されている。

 まったく、陰湿な手を使うものだ。巻き込まれる我々の身にもなって欲しい。


 では我々が井上を守るかと言えば、議員たちとは別の角度から恨んでいた。井上の方針についていけないと、優れた技官が辞めてしまったのだ。

 この状況で虎の尾を踏んでしまった井上を、誰ひとり擁護するはずがなかった。


 明治26年、鉄道庁は逓信省鉄道局に成り下がり、井上は去った。これからは日本鉄道の小野、三菱の岩崎と立ち上げた小岩井農場の経営に没頭するのだろうか。

 これでいよいよ仙石も安泰かと思いきや、後任の松本荘一郎長官とも反りが合わず、明治29年に鉄道庁を去ってしまった。


「鉄道局を辞めて、どうするつもりだ?」

 私の心配などよそに、仙石は何故か余裕たっぷりに不敵な笑みを浮かべていた。

「筑豊鉄道の社長になる」

「そんな話があったのか、私のような小役人とは違うな。運炭うんたんならば手堅くて、いいじゃないか」

「井上から汽車を買うことが、あるかも知れぬ」


 時を同じくして、井上勝は汽車製造合資会社を立ち上げた。日本人技術者養成の次は、民間による蒸気機関車の国産化を目指したのだ。

「何だ、知っていたのか」

「しばしば会っていたぞ。荒地の農場など、早く手放せばいいものを」

「てっきり犬猿の仲かと思っていたよ」

「井上は猿だが、俺は犬ではない」

 確かにそうだと笑っていると、笑い過ぎだと雷が落ちた。


 仙石が社長就任した翌年に筑豊鉄道は、門司から熊本の八代やつしろや佐賀へと路線を伸ばす九州鉄道に吸収合併させられた。

 前途多難に聞こえるが鉄道局で運輸局長、鉄道技監を務めていた信頼か、それとも争いを避けて他の候補者が降りたのか。更に翌年、仙石は九州鉄道の社長に就任した。


 仙石の活躍は東京にまで轟いて、その度に局内は驚かされた。残念なのは、驚嘆ばかりではないことだ。

 この頃は鉄道作業局として独立し監督行政のみを担っていたが、そこへ議員たちが血相を変えて雪崩込んできた。

「先生方、どうされましたか!?」

「どうもこうもない! 仙石というのは、ここにおった男だろう!?」

「確かに3年前まで、ここにおりましたが、それが何か……?」

「どういう男だ! 利益がないから、株式配当はビタ一文払えないとのたまいおった!!」


 無配当ということは、急激な業績悪化ではないか。鉄道網の危機ならば、監督する立場としては看過出来ない。

「筑豊炭田がありながら無配当とは……一体何があったのでしょう」

「投資だ! 駅も線路も汽車も、既に揃っているにも関わらず、何故手をつける!? そんなことをせんでも、汽車は変わらず走るだろう!?」


 既設のものが、仙石には気に入らなかったのであろう。脆弱ぜいじゃくな設備や汽車を目にして、ワナワナと怒りに震える姿が目に浮かぶ。

「経費を掛け過ぎだと言ったら、鉄道営業上妥当なりと宣い一歩も譲らん。我々株主は仙石追放のため、結託するつもりだ!」


 これは世間を賑わす大騒動となったので、政財界の重鎮が仲介に立つことで何とか収まり、そのうち投資は実りとなった。

「長崎まで路線を伸ばしたぞ」

伊万里いまり鉄道を買収した、また運炭だ」

三角みすみまで開業した、天草あまくさを手中に収めたぞ」

「今度は豊州鉄道だ。田川にも炭鉱があるぞ」

唐津からつ鉄道も買ったそうだ。こっちは唐津炭田がある」

 矢継ぎ早に営業範囲を広げて路線網を活用し、収益を増やしていったのだ。


 また、技官出身らしく

「レールを交換して強化しているそうだ」

「若松の設備を改善しているらしい。運炭の要になる駅だ」

「他の停車場も大改良しているぞ」

「門司から長崎と八代へ、料金不要の最大急行を走らせるようだ。設備改良は、このためか」

と、線路強化や設備改良、列車改善に車両整備でも結果を出した。


 しっかりした鉄道を作り、経営を軌道に乗せるのは、時間が掛かるのだ。今回の件は投機目的の株主にとって、いい薬になったことだろう。


 仙石が九州に渡ってからの10年を怒涛の如く辿ってみたが、ついにそれも終わりを迎えようとしていた。

 明治39年に施行された鉄道国有法により、九州鉄道は国有化されることになった。

 ところが、だ。


「なぁ、君は仙石と同窓だろ?」

「そうだが、また何かあったのか?」

 自嘲しそうになるところを、同僚の深刻な顔に眉をひそめて必死にこらえた。

「九州鉄道国有化で、困ったことが起きたんだ。すまないが、一緒に門司へ行ってくれないか?」


 10年ぶりの再会よりも、彼が頭を抱える事象に私は不謹慎にも胸を踊らせた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る