中山道幹線

 欧州から帰ってすぐに仙石は、井上まさる鉄道局長の元へ飛び込んで調査結果を報告すると、何やら憤って外へと出ていってしまった。

 その剣幕に誰もが怯み、声を掛けられずにいたが、私だけは気になって仕方なく後を追った。

「どうした、提案が却下されたのか」

 仙石はむっつりとした顔のまま、しばらくしてから「却下などされておらぬ」それだけポツリと呟いた。


 東京〜京都間を鉄道で結ぼうと計画したとき、建築師長リチャード・ボイルは中山道なかせんどう経由を提案した。

 比較的平坦な東海道経由は海沿いなので、船運と競合する。

 沿岸部は船、内陸部は鉄道と役目を分担すると同時に、東京・京都と日本海側を結ぶ交通を求めるならば、鉄道が中山道経由を選ぶのは必然だ。

 国防のことを考えれば鉄道は内陸に作るべき、という声も上がっているようである。

 だが、中山道には碓氷峠がある。


 山越えは日本の鉄道にとって、はじめてのことではない。

 我々が東京大学を卒業した明治11年、東山・逢坂山おうさかやまがそびえ立つ京都〜大津駅間が井上局長の指揮のもと着工し、明治13年に開通した。

 このときは東山を迂回するため、京都から伏見稲荷付近まで南下。登坂しつつ北上し、古来から歌われた逢坂の関に近い大谷へ至り、約665mの逢坂山トンネルを抜けて更にスイッチバックして琵琶湖岸の大津港、という経路で建設された。

 これだけ遠回りしても1km進むたび25m登坂する、鉄道にとっては険しい線路となったのだ。


 湖水を京都に届けるため、琵琶湖疏水建設工事が今年はじまった。

 鉄道も長いトンネルを掘って一直線に結びたいところだが、機関士も旅客も汽車の煙で苦しんでしまう。


 さて、碓氷峠越え。

 まもなく東京と結ばれる群馬・横川と、碓氷峠を越えた先の長野・軽井沢までは約10kmの間に500m以上の高低差があり、鉄道はおろか人馬にとっても険しすぎる道のりだ。

 まともに登れば京都東山並か、それ以上の急勾配なのだ。


 世界の斜面や山岳で多用される鋼索鉄道ケーブルカーが提案された。

 が、客車や貨車ごと引き上げるのか、横川駅や軽井沢駅で人や荷物を載せ替えるのか、馬車並の搬器で輸送力は足りるのか、そもそも10kmもの長距離を定置式蒸気機関で引き上げられるのか。

 と、課題が山積みであった。


 鉄道局の経験を考えれば、勾配を緩和するためループ線やスイッチバックを多用して、碓氷峠南の東山道・入山峠、更に南の姫街道・和美わみ峠まで迂回する経路が有力だと目されていた。

 が、長距離の勾配が続くので工期も予算も所要時間が掛かりすぎる。


 発足時から財政難にあえいでいる明治政府は各地で起きた士族反乱、そして西南戦争鎮圧で更に困窮していた。政府も碓氷峠越えの重要性には理解を示しているが、鉄道に予算を割く余裕がない。

 仙石が洋行している間、井上局長自ら実地調査を行って、あまりの険しさに愕然とした。政府が断念したときに備え、東海道経由の調査を密かに命じている。

 鉄道局では、碓氷峠越えを諦めるような空気が漂っていた。


 しかし欧州帰りの仙石が非現実的な提案をしたり、まどろっこしい経路を推したり、断念するとは思えない。

「局長に何を提案した?」

 すると仙石は、忍ばせていた懐刀を見せるようにニヤリと笑ってみせた。


「ラック・アンド・ピニオン、アプト式鉄道だ」


 聞いたことのない言葉だった。

 キョトンとしていると、仙石の講釈が意気揚々とはじまった。


「軌道中央に設けた梯子はしごに、汽車につけた歯車を噛ませる方式が、ラック・アンド・ピニオンだ。急勾配も登れる技術で、迂回などせずに済む」

 鋼索鉄道とは違い、通常の鉄道と同様に汽車の動力で登坂するのだ。客車も貨車もそのままで、専用の汽車に付け替えるだけで済む。

 それに距離が短ければ、工期も費用も所要時間も掛からない。


「それで、そのアプト式というのは?」

「梯子ではなく歯を刻んだ板を敷く、それも2列も3列もだ。歯車同士が常に噛み合うので駆動力が円滑に伝わり、歯が長持ちし、輸送力も安全性も高い」

 聞いた限りでは、いいことばかりではないか。これに井上局長はどんな反応を見せ、仙石を憤らせたというのか。


 私の疑問を察したのか、仙石は眉毛を釣り上げ目を血走らせ歯を剥いて、襟首に掴みかかった。

「それを局長は難色を示したのだ!」

「落ち着け! 私は井上局長ではない!」

 そんな言葉は、仙石の耳に届かない。私には首が締まってしまわぬよう、手首を抑えることしか出来なかった。


「仙石、局長は何と言った!?」

「実績がないから認められぬと言いおった!」

「……実績がない……だって……?」

「いかにも! ドイツのハルツ山で今年に実用化された、最先端の技術だ。アプト式は、ラック・アンド・ピニオン方式の完成形だ。これから世界中が採用するのは間違いない!」


 気が済んだのか、ようやく仙石が手を離した。苛立った顔で腕を組み、ふつふつと沸く怒りの泡から思考を取り出し整理した。

「計画時から関わり続けた鉄道が、局長にとって我が子のように大事なのはわかる。しかしだな! 過去に固執し、すべてを自身で決めなければ気が済まぬのだ!」


 高額なお雇い外国人に頼らぬよう日本人技術者を育成し、厳しい財政から予算を獲得するなど、鉄道建設にかける井上局長の情熱は凄まじい。

 ただ、その裏返しである独善的な体制に不満を覚える者は、少なからずいた。


 仙石の腹で沸いた怒りが、ポコンと弾けて口をついた。

「覚えておれ、井上め……」

 その風貌から揶揄されている名を言ったので、私は思わず吹き出してしまった。

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