甲武鉄道
土佐国高知生まれの仙石貢は、東京大学の同窓生だ。
ともに土木について学び、ともに日本の近代化には必要不可欠だと、鉄道建設の道に進んだ。
とにかく、学生時代から苛烈な男だった。
冴えたるものは卒業式、明治11年のことだ。
一角に人だかりが出来ており、仙石の姿が見つからない。
仙石め、こんな大事な日に何をやらかした? 予想だったが不幸なことに当たってしまった。
輪の中央で、洗いざらしの浴衣一枚だけを着た仙石が、教員や同窓生から
「何だその格好は!」
「ここは風呂屋ではない!」
「卒業式に正装しない者があるか!」
しかし仙石は、まったく
「天にも地にも、これ一枚しかない!」
そう言って、浴衣のまま卒業式に出てしまったのだ。
仙石は東京府土木掛、東北鉄道への設立参画を経て明治17年、工部省鉄道局に加わって我々は再会したが、それを祝う暇も、学生時代を懐かしむ暇もなく、各地で行われる鉄道建設に関わっていった。
新米技師ながら我々は、甲武鉄道の線路計画に携わることになった。
社名の通り武蔵から甲斐、つまり東京から山梨を結ぶ路線だが、武蔵野のどこを走るかが一番の問題だ。
収益を得るなら街道沿いが理想だが、青梅街道と甲州街道のどちらにするか、鉄道局内で意見が分かれている。
その上、用地買収や汽車の煤煙などを理由に、鉄道建設に激しく反対する宿場町もある。
今日も地図を前にして
そう思った矢先、定規を取った仙石が中野から立川までを一直線に結んでしまった。
両派とも「あっ!」と声を上げ、それから絶句して固まった。土木の担当が地形を無視して路線を選定したのだから、無理もない。
地形を読み取る私のことなど一切構わず、仙石は持論を展開しはじめた。
「これなら両街道の真ん中だ、汽車に乗りたきゃ駅まで来ればいい。武蔵野台地の起伏など、甲斐に至ることを考えれば大したことはない。赤子の手をひねるようなものだ」
これには両派とも黙っているわけにはいかず、狼狽えながら声を上げた。
しかしこれで黙っている仙石ではない。まるで答えを用意していたかのように、すぐさま言葉を返してきた。
「駅まで来いなど、そんなことで集客が出来るのか!?」
「これだけの直線だ! 街道に沿いのろのろ走るより、駅まで歩き速い汽車に乗った方がよい!」
「畑や林の真ん中だ! 人家のないところを走らせてどうする!?」
「畑や林ならば用地買収も容易だ! 駅に人が集えば、原野であろうと町となる!」
「通りを斜めに横切っている、こんなもの反対は必至だ!」
「通りを斜めに横切れば4方向と交わる! 馬鹿正直に通りに沿うより人が集う! そしてこの経路ならば、いくつもの用水路と交差する。汽車の給水も容易だ!」
押し黙って
仙石のことだ。議論を聞いて、以前から考えていたのだろう。
こうして中野〜立川駅間は27.4kmに及ぶ直線で結ばれることになったのだ。
日本鉄道の工事では測量の邪魔だと言って壁に穴を空けるなど、無茶苦茶なことをやって度肝を抜かれたが、仙石自身は徹底した合理主義者で、単なる思いつきや
それが証拠に、仙石は会議が好きだ。
とことん議論をし尽くして、誰ひとり反論しなくなってからでなければ、一切手をつけようとしない。
とりあえず線路を繋いで用地が取得できたら、汽車の性能が向上したら線路を付け替えよう、といったことはしない。
そんな中途半端な線路なら、作らない方がマシというのが、仙石貢の持論であった。
そうして決定した鉄道路線は非常に合理的だ。
日本鉄道の栗橋〜宇都宮駅間も、甲武鉄道の中野〜立川駅間も、汽車の性能が向上しても輸送力増強が必要とされても、この先100年、いや未来永劫に渡り通用することは間違いない。
過言だと言うならば、乗ってみればいい。今も経路は変わっていないのではないか?
無茶は困るが仙石にはこの勢いのまま、日本中の鉄道建設に携わってもらいたい。
いや、仙石は地道で地味な仕事はしない。会議が好きで、議論を尽くし、誰からも意見が出なくなってから行動し、完璧な結果をもたらすのだ。
卑下しているわけではないが、私のように名を残すことのない、一介の鉄道技師に収まるような人物ではない。
そう思っていたところ仙石は、本当に日本を飛び出してしまった。
と言っても、欧州の鉄道を調査するための海外留学だ。
今までは比較的平坦な場所ばかり担当していたが、険しい碓氷峠に鉄道を建設するための調査、はじめてにして未曾有の急勾配区間に挑むのだ。
いい調査結果を持ち帰ってくれと、鉄道局全体が祈るような気持ちで仙石の帰りを待っていた。
さあ仙石貢よ、お前は欧州から何を持ち帰る。周りの心配などよそに、私は心を踊らせていた。
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