其の伍

街灯の下まで僕たちが来ると、母親は橋の上から何かを投げ捨てようとしている所だった。

布に包まれたそれが何なのかは分からない。


「俺が捕縛する」

「解った、五錠、下がれ」


天海さんが鎖を引きずりながら橋の欄干を走って行く。

稲妻の様な光が数回橋の中央に向かって降りた。

鎖の引きずる音が次第に大きくなる。


四肢しし壊死えし


冷たい天海さんの声を合図に、一本だった鎖が何百という数に増え、蛇の様に相手の両腕と両脚に巻きついた。


母親は、この鎖は何、と叫んだので、身体に触れている鎖は見えている様だった。


助けて、誰か来て、鎖を巻かれて殺される、と叫んだ。

金切り声は橋の上だったからか、反響して辺一面に毒を撒き散らしている様だった。


助けてくれ、何をするんだ、殺される、私にこんなことをしてタダで済むと思ってるのか、気安く触るな、誰か警察を呼んで、弱い女に酷いことをしている奴がいる、私は何もしてないのに、痛い痛いやめろやめろ、腕と足の骨を折られた、こんな酷いことをする奴は死刑にしてもらう、人にこんな暴力を振るうなんて許されない、等々、自分が言われてもおかしくない台詞を次から次へと吐き出した。


僕はそれを橋の手前で見て、聞いていた。


「終いの門は俺が開ける。お前も来い」

祐天が差し出した手を僕は握った、祐天がゆっくりと走り出し、引かれて僕も追う。


「あの女の手に持っていたもの、何だか見たか?」

「そうだ、何か、持っていた、投げようとしてた…」

「赤ん坊の死体だ」


僕は愕然とした。まだ殺すのか。どうして。


母親には僕らは見えていない。目前まで来たが、蠢く鎖だけが見えているらしく、身体を捻り逃れようともがいていた。どうしてそんなに殺すんだ。この人の望みは何なのだ。本当に微かに残っていた、母親に対する哀れみの気持ちが弾けて無くなった。


祐天が僕の手を天海さんに預けてくれた。天海さんは母親を捕縛している鎖の端を祐天に渡した。


天海さんに手を引かれ、僕たちは祐天から距離を取った。


「これより十王じゅうおうの審判を述べる」

「貴殿の所業、同情の余地無し」

「判決は十三王へ委ねるものとする」

「これより十三王の判決を言い渡す」

「罪人、人としての名を剥奪し、無間地獄むけんじごくへ投獄とする」

「開門せよ、地獄門」


祐天の声がこだまする。


ギシギシと音が鳴り、同時に鎖を引き摺る音もする。前回は霧に隠れて視えなかったが、今回は、祐天の背後に上下左右の果てが見えないマグマの様相をした扉が現れた。祐天の背面から扉は軋みながら少しずつ開いていく。


中は真っ赤に見えた。そこかしこに炎が立ち、喉が潰れる様な叫び声が聞こえてくる。


煙と共に出てきた緩い風に母親が触れた、途端に全身の肌が火傷をしたように爛れ、血が滲み出した。ヒイヒイと喚く相手に祐天は無言で鎖を強く引き、扉の中へ入って行く。


やめてくれ、やめてくれ、私は何も悪いことなんてしていない、どうしてこんな目に遭わなければならないんだ、熱い熱い、やめろやめろ、叫び声をあげながら、僕の親だった人は祐天に引かれて扉に飲まれていった。


ごめんね、僕はもうあなたが母親だった事実も忘れてしまいそうなんだ。何とも思わないんだ。あなたがこれからどうなろうと。


ああそうか、

母は、


僕達をこんな風に思っていたんだね。

何の興味も湧かない、どうでもいい。ただそれだけの存在。


「閉門せよ地獄門」


扉の中から祐天の声がした。すると轟音と共に扉が閉まり始めた。


「っ…!だめだよ、祐天!出てきてよ!!死んじゃうよ!!」


僕は咄嗟に走り出そうとしたが、天海さんに手を引かれた。


「祐天は地獄の番人だから大丈夫、俺と君の方が危ないからそんなに近寄らないでよ!死人でもあの炎は相当痛いんだよ!」


「本当に?祐天は帰って来るんですか!?」


僕は母親のことよりも祐天が心配でたまらなかった。


「うん。帰って来るから、落ち着いて。もう来ると思うよ。引き渡して書類貰って来るだけだから。祐天が来てから、三人で帰ろうか」

「はい!」


空が明るくなり始めていた。

橋の向こう側から、黒髪が跳ねているのが見えた。僕は今度こそ走り出し、祐天を迎えた。



◇終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

十王の審判 九々理錬途 @lenz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ