第1話 あるいは天使のように
寂れた副都心の星無き夜天の中、高い屋上に白い女が立っていた。縁の上に乗る足。簡素な服。襟口から見える鎖骨から喉。そして美しい表情までの全てが消え入りそうな白さだった。
ただ、風が梳って棚引く髪だけが夜空よりも暗く黒い。
女は遠い都心の光に染められる薄色の夜を仰ぎ、やわかかな微笑みを浮かべ
「――――」
堕ちた。
∵
珍妙奇態な物々が溢れる渾然とした部屋。ここが僕の事務所兼応接間だ。自分は気に入っているが訪問者には不評である事がほとんどだった。
「
嫌気を含む声を投げた相手は自分から見て右、割合に秩序然とした書類棚のある壁際で、寄り掛かりもせず竹のように真っ直としている。
彼は墜落死の映像を消すと厳しいスーツに良く似合う鋭い相貌をこちらに向けた。
「綺麗すぎる」
風貌通りのお堅い声が返って来る。
吐息一つ。緩んでいた目元にわずか力を込めて言う。
「タケチーってこういう娘が好みだっけ?」
「……それで呼ぶな
「いきなり押しかけて有無も言わさずこんなの見せてくる奴は、タケチーでしょ」
「性急だったのは謝罪する。だから普通に呼んでくれ」
端正な眉が心底の嫌気で撓むのを見て、留飲を下げる。
放言は止めにして、話を聞くことにしよう。
高市もこちらの雰囲気を察し、ようやく話を進められることに安堵したようだ。彼は再び映像の話に戻る。
「綺麗と言ったのはこちらだ」
写真を机の上に留める。それは先ほどの映像のその後。つまり白い女性の遺体を写した物だった。
「ふぅん。なるほど」
白い遺体が横たわり、そこから周囲の路地に赤黒い染みが広がっている様子。一体それの何が異常かといえば。
「損傷が無いに等しいね。25階だったっけ。落ちた高さ」
で、あるなら。
「脳漿やら眼球が飛び散っていないどころか、関節の向きも正常範囲。横向きの立体を保っているということは胴体の骨折すら微々たる程度かな」
写真を高市に返しながら言う。
「なるほど。たしかに綺麗過ぎる、ね」
高市が頷き話し始める。
「発見者の通報時は墜落死と想定されていたが、いざ臨場してみればとてもそうとは思えん状態だった。確かに死因は頭部の強打による脳挫滅で出血もそこからの物だ」
しかし。
「他部位の損傷が余りにも無かった」
高市が書類を渡してきた。鑑識と検死等に関する文書だ。
「微々たる物どころでは無い。致命傷以外は骨にヒビ一本見られなかった。他の外傷は擦り傷すら無し」
聞きながら紙面を捲っていく。
「故に、捜査当初は鈍器による撲殺で、墜落死については偶々その様に見えただけ、という認識だった……が」
「この映像が出てきたって訳ね。墜落する瞬間を正にとらえたこれが」
返答の変わりは深い頷き。それは考え込みの始めを示す動作でもある。
自分が座る机とは対面の壁にある大型テレビモニター。今はパソコンの画面を写すそこに表示される再生ボタンを押す。
「この映像は何が撮ったの?」
「事件当時、無人機を使って空撮をしている人物がいた。違法改造された機体でそれ自体が犯罪なのだが、さらに、こいつは」
眉間の力を抜いて平常ぶった顔を作り話を続ける。強い怒りを隠す時の顔だ。
「女性が飛び降りる瞬間を撮影し、金の為に自身の作品と称して動画サイトにアップロードした。我々はこいつを違法改造で引っ張り、知る限りの情報を吐かせた」
立て続けに言葉を流す。
「結論から言えば、映像はこの事件の瞬間を写した本物で間違いない。しかし遺体は墜落死の物とは言えない。科捜研から『こうはならん』との墨付きだ」
タケチー、頭に血が上ってきたかな。こっそり深呼吸したって僕にはばれるよ。
「我々は行き詰っている。墜落を撮影した動画。損傷のない遺体。通り魔であったならばホシを上げるだけだが、墜落死の自殺となると、いや、映像の始まりは縁に立っている時点だ脅迫されたかあるいはその場で犯人に直に命令されていたならば――」
「高市」
「撲殺、墜死、自殺、他殺、それに、そうだ、仮にどちらとしても動機が――」
「タケチー」
「それで呼ぶなとっ!……これは」
「コーヒーだよ。カフェイン臭いでしょ。僕、好きじゃないんだよねえ」
「いつのまに……。いや、すまない。いいや、違う」
湯気立つ黒を大きくあおり飲んで
「ありがとう。もう落ち着いた」
「それは良かった」
目の前の黒い水面を吹きながら礼を受け取る。
視線を下げれば書類があり、前方に向ければ、そこではちょうど白色が遠く地面へ去ってゆく場面が映っていた。
「雪のように舞い降りた墜落死体、ね」
舞い降りる死体 底道つかさ @jack1415
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