第7話 復活
「えっ、フローラ寝袋持ってきてたの?」
ごそごそといつもの寝袋を広げだしたフローラを見て、僕は流石に驚いた。いや、僕が
「うん」
「いいよ、ベッドを使ってよ。僕はソファで寝るから」
「あなたの家でしょ。あなたがベッド使えばいいじゃない」
「だって……」
「……な、なに」
「女の子をソファになんて寝させられないよ。いいからいいから」
「あっ、ちょっ、いいってば!」
フローラは頑固だ。自分の家にいるときは僕に寝心地がよさそうな場所を譲るくせに、自分がベッドを勧められると断る。
しまいには何故か押し合いになってしまった。フローラの足が僕の足に引っかかり、バランスを崩す。
「あっ」「ちょっ」
近かった。鼻先がくっつくくらい。フローラの目が、あんなに近くに見えた。綺麗な青色の瞳。酒臭くなかっただろうか。いやそのまえに、僕はなんてことを。
そう思いつつ、僕とフローラは向かい合ったまま、一〇秒くらい硬直していた。チョットでも動けば、つまり、顔の位置が、ずれたら。
「ご、ごめん!!」
僕は背筋を引きつらせるようにして仰け反って彼女から離れた。まだ心臓がバクバクと動いている。防衛隊にいた頃だってこんなにドキドキしたことはなかった。というよりも、あそこで感じたのは心臓をわしづかみにされるような感触であって、こんな、こんな……なんなのだろう。これは。
「……シャ、シャワー借りる! いい!?」
「えっ!? いいよ!?」
うわずった声でフローラがいう。返事をした僕の声も、多分うわずっていた。
住み慣れていたはずの家なのに、つい最近出会った女の子がいるだけで、なんだか別の場所に感じる。
母さんは片付けの手配をしたとき、少しやり過ぎだった。どうせなら、家具を全て残しておいてくれれば、フローラも僕も、何の気遣いもなくベッドで寝ていただろうに。
リビングの写真立てを見に行くと、フローラ曰く優しそうに見えた母さんが、僕には少しいたずらっぽい顔をしているように見えた。
ひょっとしたら、僕はフローラに一目惚れしていたのかも……と考えている間に、バスルームからフローラが出てきて、なんだかギクシャクとこちらを見たかと思うと、おやすみ、とベッドの上で寝袋に入っていった。
『ユリウス……ここでお別れね』
『うん、母さん……ありがとう』
もう、何年前だろう。宇宙港で母さんに見送られて、出征するときのことだ。
もう父さんも兄さんも前線に行ってしまったから、見送りは母さんだけだった。
『……あなたには、生きて、ハイマトスタットに戻ってほしいけれど……母さんもどうなるか分からないわ。だから最期に……あなたの母親として、私は幸せだったわ』
母さんに抱きしめられる。階級章やら勲章が付いた軍服が食い込んで痛いけれど、それよりもなによりも、母さんの香りが、温もりが恋しかった。僕も抱きしめ返す。
『ハイマトの山々よ、どうかユリウスをお守りください。せせらぎよ、ユリウスの行く先を示してください。ドリス・シュナイデルが願うのは、ハイマトの精霊達がユリウスへ幸運を分け与えたることのみ……どうか、良き出会いと、ユリウスの未来に幸せがもたらされることを祈る……』
母さんの祈りの言葉が僕の耳を打つ。
『さあ、もう船が出るわ。いきなさい、ユリウス……』
『うん……母さん、お元気で』
『立派に勤めを果たしなさい……』
軍人らしい顔を取り戻していた母さんだったけど、語尾が滲んでいたのを、僕はそのときは気付かなかった。
もう一度、もう一度だけ母さんの顔が見たい……振り向こうとしたときには、僕の周りが真っ暗になっていた。どこからか、爆発音が聞こえる。兵士のうめき声が、船体が軋む音が、命令を下す士官の怒鳴り声が、プロパガンダ音楽が重なり合って響いて、僕を圧し潰そうとしてくる。
真っ暗闇を走っても、走っても、その音は付いてくる。どこまでもどこまでも。
足が何かに引っかかって、僕はその場にべしゃりと転ぶ。足下に転がっていたのは、半身が吹き飛ばされた兵士の死体だ。手を付いた先がべちゃりと音を立てる。腐り落ちた兵隊のなれの果てだ。
僕を取り囲む音はどんどん大きくなる。助けて……助けて――
「母さん!!!!」
自分の大声で、僕は飛び起きた。心臓がバクバクと、飛び出しそうなほど脈打ってる。汗でグッショリと濡れたソファを、カーテンの隙間から薄ぼんやりとして月明かりが照らしている。
「ユリウス、どうかしたの?」
寝室から、フローラが出てきてしまった。
起こしちゃったね、ごめん。なんでもないよ。
その言葉が、頭では浮かんだのに、口から出なかった。
「ユリウス……泣いてるの?」
フローラがこちらへ駆け寄ってくる。
「……母さんも、父さんも、兄さんもいないって、なんだか実感が湧いてなかったんだ。どこもそうだし……でも……でもっ……!」
涙が止まらない。
「ごめん、ごめんよフローラ……なさけないよね、こんな」
「馬鹿!」
フローラが、大きな声を出して、僕の肩を掴んだ。
「悲しくって当たり前じゃない! 大切な家族を亡くしたのに、死んじゃったのに悲しくないなんてことないじゃない! ユリウスは何にも悪くない!」
そう言うと、フローラは僕の手を握りしめた。
「私こそ、ごめんね……私の都合ばっかり、ユリウスに」
「……いいんだ。それに、ゲオルク艦長が死んだようには思えない。本当だよ? だから……もう寝よう。明日は早いんでしょ?」
フローラのまっすぐな言葉に、僕は心が温かくなった。
それはそれとして……フローラに抱きしめられた感触を思い出すと、なんだか落ち着かないまま、僕はシャワーを手早く浴びて、ソファに横になった。
思えば、センターポリスの安宿に泊まったとき以外、結局ベッドで寝られていないことを思い出すのは、それから五時間後、まだ夜も明けきらない早朝に、フローラから叩き起こされたときだった。
ハイマトスタットからグスタフホフの家に帰ってきた僕とフローラは、いよいよアルタイルの駆動テストを始めることにした。
「じゃあ、スイッチ入れるよ」
『オッケー、景気よく行きましょう!』
アルタイルからは何本もケーブルが伸びていて、それらは僕の目の前の即席制御コンソールと始動用の電源車につながれている。コクピットにいるはずのフローラに声を掛けると、ヘッドセットから彼女の返事が聞こえた。
「補助動力接続、フライホイール始動」
格納庫の隅に転がっていた電源車から、アルタイルに電源供給が開始される。
対消滅反応自体は、燃料がカートリッジから放出されれば即座に開始される。でもそれだけだと、炉の構成物質と瞬く間に反応して、爆発を起こす。
だから、対消滅炉は磁場、重力、超光速技術の転用により産まれた斥力場シールドを用いて、反物質を通常物質と分離保持する必要がある。
そのための電源は、このくらいのサイズの爆撃機だと外部電源から供給する方が都合がよかったらしい。
「スターター、起動電圧確保!」
『反応炉、
僕の報告と共に、フローラがコクピットでカウントダウンして、対消滅炉の始動スイッチを入れた。低いうなり声のような音が格納庫に響く。
「……ホントに動いた」
『だから動くっていったじゃない』
コンソール上の対消滅炉運転状況はオールグリーン。全て問題なしと表示されていた。僕の呆けたような声に、フローラが自信満々といった感じで答えた。
「よしよし、ヘンなとこからリークもないみたいだ……」
もっとも、リークなどあった日には今頃僕らは跡形なく吹き飛んでいるのだけれども。
「メインエンジンの点火テストに入ろう。推力アイドリングからの三分の一でいい?」
『うん!』
「はいはい……噴射方向に障害物、通行人なし、扉開放済み、いつでもいいよ」
格納庫の反対側の大扉は開け放って、エンジン噴射をしても大丈夫なようにしてある。それにしても、僕が初めにこの屋敷に来たときには気づかなかったことだけれど、ケルマディクス家には滑走路まで備えられているようだ。
『よし! それじゃあ……推進器、点火!』
この爆撃機が建造された当時、対消滅炉から放出されるエネルギーは超光速航行と、機体制御の電力供給を行うための動力源で、通常航行にはまだ燃焼式エンジンが使用されていた。燃料自体は今でも使われているグロースゴリーク液体燃料だったから、このテストはそこまでの危険は無い……とフローラがいっていた。
「出力正常、ノズル温度、異常なし!」
僕の報告に、フローラはよしっ! と叫んだ。コクピットの中は見えないが、ガッツポーズでもしてるんじゃないだろうか。
『出力上昇、出力三分の一へ』
吸気タービンが唸りを上げて空気を吸い込み、燃焼室で燃料と攪拌、燃焼して膨張した排気が凄まじい速度で噴射される。
「問題なし!」
『出力二分の一!』
エンジンが徐々に出力を上げる度に、嵐のど真ん中のような暴風が格納庫内を通り過ぎていく。僕はコンソールにしがみつくようにして叫んだ。
「問題なし! 行けるよフローラ!」
『……じゃあ、行くわよ……! 最大出力!』
十数秒間の全開噴射。結構距離はとっているのに、エンジン方向からは凄い熱を感じる。噴射音が収まり、エンジンをカットオフ、反物質燃料供給を停止させる駐機手順を終えたフローラがコクピットから飛び出てきた。
僕は慌てて、フローラを抱き留めようと走り出すが、フローラは見事に着地して、僕はべしゃりと格納庫の床に転んだだけだった。
「やったあ! ユリウス! やったわ! 完璧ね!」
転んでいた僕を引き起こしたフローラが、僕のことを抱きしめる。
「おめでとう、フローラ!」
僕もフローラの肩を叩いた。
「あなたのおかげよ、ユリウス」
「……僕は、本当にここまで出来るとは正直思ってなかった」
「まだまだよ。言ったでしょ、私は親父の顔面に一発入れるまで気が済まないって……明日には出るわ。さっさと食事済ませて寝ましょう」
気の早いことで、多分骨董機の復元飛行というのはもっと段階を踏むものと思っていた僕は、しかしフローラが日程を延ばすとは思えず、そのまま寝ることにした。
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