Rainy Days<後編>


 次の日、僕らはいつも通りミズ・シンディの店でゆで卵とトーストの朝食を取り、赤い路面電車に乗って出かけた。町はくすんだ灰色、海に続く坂道はなだらかで、下りきったところがモノレール駅。海の上を渡る橋で内海を突き抜けたら、向かい側のシティ中央にあるのが目的地だ。

政府の機関はいつも厳重警戒、入り口からしてしかつめらしい。ここまで来ると、町はようやく雨の支配から開放される。何ヶ月ぶりかの「晴れ」た空に、僕らは思わず目を(トムに言わせれば、瞳孔を)細めた。

 「さて。156階フォレスト氏のオフィスまで、乗り込んでく決心はついたかい? マイ・フレンド」

 「どのみち、持ってるのは片道切符だ。入るのはいいとして、出る時は誰か職員に頼むしかない」

黒猫を肩に乗せてロビーに入っていく僕を、警備員が胡散臭そうに眺めている。ここはペットの持ち込み禁止ですよ、なんてありきたりのことは言わないで欲しいものだ。トムときたら、ペットという言葉には非常に敏感なのだから。

 足早に受付に立つと、チケットを取り出して女性職員に渡した。「フォレスト氏に取り次いでもらいたい」

 「かしこまりました、ミスター。お名前は?」

黒猫が、ぴょん、と受付カウンターに飛び乗った。

 「こいつは名無しだ、オイラはトム」

女性職員は悲鳴も上げず、目をぱちくりさせたあと、速やかに平常心を取り戻した。

 「ああ、承っております。黒猫のトム様とお連れ様。フォレスト氏はオフィスでお待ちですわ。そちらの高速エレベーター2番からどうぞ」

 「ありがと」

僕たちは、2と書かれたドアの前に立つ。ここのエレベーターは特殊な作りになっていて、下り方向には動かせない。中にボタンは無く、受付嬢の指定した階にしか止まれない。客は、用のある階以外には、立ち入れないというわけだ。しかも100階まで30秒で到達する超高速エレベーターだから、途中下車の方法を考えている暇は無い。

 「いつも思うんだけどな、マイ・フレンド。あんた、いい加減、自分に名前をつけたほうがいいと思うぜ」

 「そうかな」

黒猫は僕の肩から飛び降り、動く床の上で落ち着かなさげに歩き回っている。

 「特に不自由はしていない。名前なんかあったとしても、呼ぶのは君とシンディくらいだ」

 「フォレストと善良なる部下の諸兄はどうする。可愛そうに、彼らときたら、君のことを話題にするたび、<多次元接続事象により当次元に転移した被害者>だの、<TK-0011にて発見された唯一の生存者>だの、長ったらしい名称を繰り返さなきゃならないんだぜ」

 「ああそう、名前があれば、確かにそれは1回で済むかもしれないな。けど、きっと彼らはこうしてる。多次元接続事象により当次元に転移した被害者、以下、被害者とする。または乙。契約書のノリでね」

チーン。音が鳴って、ドアが両サイドに開いた。僕らが降りると、ドアは素早く閉ざされた。目の前には、海に向かって明るく開けた大きな窓。渋く葉巻をくわえた男が、窓辺に佇んでいる。

 「ようこそ、君たち。元気そうで何よりだ」

フォレスト氏は両手を広げ、鷹揚に僕らを出迎えた。

 「ランチはもう済んだかな?」

 「いえ、まだ。さっき着いたばかりですから」

 「そうか。ちょうど私もこれからでね。最上階のラウンジはどうかな。それとも、ここがいい?」

 「ここでいいですよ。あまり腹は減っていないんです」

すぐさま会議室にデリバリー・メニューが用意され、僕らは政府御用達のマクドナルドから、ビッグマックセットを二つ、フィレオフィッシュを一つ、注文した。届くまでの間、フォレストは実に機嫌よく、当り障りの無い世間話などをしていた。トムは始終、ひげをピクピクさせ、隣のオフィスから漂う独特の匂いに神経を尖らせていた。


 「で、本題に入ると。」

30分後、スーツを来たボディーガード風のハンバーガー屋が配達に来たあと、フォレストはようやく、切り出した。

 「君たちの知恵を借りたいわけだ。あるいは、その能力か。同封のビデオテープは見てもらえただろう。何が映っていた?」

 「大した力になれるとは思いませんが。ついてた資料には、既にアトランティック条約のことが書かれていたじゃないですか。放映局はYBCテレビ。それに、何の心配があるんです?」

 「心配も何もだ。君は、おそらく資料をきちんと読んでいないに違いない。長い付き合いからの推測だがね。」

トムがくすくす笑っている。猫は気楽なものだ。資料を読め、なんて仕事を押し付けられることもない。

 「問題は、君が認識している以上に深刻だ。そのビデオ、…つい先週復元されたばかりのビデオだが、それと全く同じ番組というのを我々は突き止めたわけだ」

 「そうなんですか」

ポテトを頬張っていたお陰で、少々声がくぐもってしまった。フォレストは、辛抱強く繰り返した。

 「ビデオ内容と全く同じ番組というのを我々は突き止めた。しかしその番組は、まだ、この世のどこにも出回っていないはずのものだ。何故なら」

 「何故なら?」

 「その討論会は、今週木曜に放送される予定だからだ。2時間ものの特番でね。君のことだ、新聞はテレビ欄だけ読むどころか、そもそも新聞自体、見ていないんだろう?」

思わず、ポテトを喉に詰まらせそうになった。何だって? 今週木曜?

 フォレスト氏は、テーブルの向こうから新聞を投げてよこした。恐る恐る、ひっくり返して裏のテレビ欄を確認する。7時半から9時半まで。尚、野球中継の延長による遅延の可能性あり。…本当だ。

 「さて、今日は水曜だ、諸君。明日、どこかの誰かがビデオ録画をすると、15年前のビデオと同じ映像が映ると思うかね?」

 「今時は、テレビチューナーつきのパソコンでハードディスクに記録するほうがありそうだと思うんですがね。問題は、明日以降の”いつ”、”どこで”、僕らが巻き込まれたのと同じような現象が起きるのか、ということだと思うんですけど。」

トムはフィレオフィッシュをもぐもぐやっている。まったく、こういう時だけ、ただの猫のフリをするんだから。しょうがない。僕は用心深く、こう切り出した。

 「つまるところ、僕らに、何をさせたいんです? その現象が起きるかどうかの予測なんてつかないし、起きるとしても、明日以降のいつなのかが特定できるとは思えませんが。」

 「まあ待て、何もそこまで求めているわけではない。ようやく、我々の知る<時間>と、君たちのいた<時間>を繋ぐ点が見つかったのだ。今度は慎重に分析しなくてはならん。我々とともに来て欲しいんだ。あのビデオが発見された場所に。証拠品を山から下ろすより、それらを検証できる人間を送ったほうが手っ取り早い」

そうら、来た。トムのヒゲが右側だけピクピクしているのが分かる。

 「標高6000メートルの吹雪の中へ、ですか。それは魅力的なツアーだと思いますが、そこに何があるのかはお聞きしておかないと」

 「なあに、大したものじゃない。民家がまるまる10軒とオフィスビル、それに高速道路の一部と旅客機1機くらいのものだ。どれも凍り付いてはいるがね」

トムはヒーッと声を上げ、目をまんまるに見開いた。

 「そんなもの、まともに調査してたら、オイラ、ジジイになっちまうよ!」

 「その前に氷付けの像だな。悪いけど、フォレスト。そういうのは、そっちでやって――」

椅子から立ち上がろうとした途端、マクドナルド配達人が、僕を両脇からがっちり捕まえた。逃げようとしたトムも文字通り首根っこを捕まれて、脚をじたばたさせるばかり。

 「おい、やめろ! 何するっ、離せよ、おい!」

 「観念しとけ、トム。だいたいこうなることは予想してたじゃないか。しかし出来ることなら、南の孤島に連れて行かれるほうが良かったな…」

 「あんたは諦めが良すぎるんだ! オイラごめんだぜ。やいフォレスト! 死んだら七代祟ってやるからな、覚えとけ!」

 「そいつは残念だ。私は結婚しない主義なんだ。たぶん、私一代で我慢してもらうしかない」

クールなボスは、部下たちに速やかな指示を下した。かくて僕らは高層ビルの真中テラスに作られた広いヘリポートから、ジェット機を乗り継ぐ空の旅へと出発したのだった。


 飛行時間にして8時間ほどで、僕らを乗せた飛行機は、雪の降りしきる山の麓に到着した。そこからチューブの中をリフトにて運ばれること半日。高山病になりかけながら、ようやくにして辿り付いたその場所は、とてつもなく天国に近い場所だった。

 「アッハ、見ろよ太陽が下にあるぜ、相棒。こいつは愉快だ。ここは何処だ? 天国かい?」

 「よしてくれ、トム。頭が痛くなる。空気が薄くてハイになってるのは分からないでもないが、声が響いてキンキンする」

雪の中にドーム状の天井が作られ、調査員たちの住まう小屋が建てられている。ホットコーヒーに真空パックのサンドウィッチ、どれも懐かしのミズ・シンディの手によるものとは比べるべくも無いが、今の僕らにとっては100ドル払っても欲しいくらいのものだった。

 さしあたっての必要品は、南極探検にでも行くような厚手のコートと滑り止めつき雪山ブーツ。猫用のものは無いから、トムにはコートの内ポケットに入ってもらうしかない。

 「不公平だよ」

トムは早くもブーイングの嵐だ。

 「あんたのポケットにちんまり納まって出歩けって言うのかい。これじゃ、オイラあんたのオマケじゃないか」

 「風速40mの吹雪の中を、君一人で出歩くつもりかい。5秒で行方不明確定だね。賭けてもいい」

 「そんな賭けはやらない」

フンと鼻を鳴らし、彼は前足で僕の頬を突っついた。

 「さっさと終わらせて帰ろうぜ。雪より雨のほうが、なんぼかマシだ」

それには僕も同感だった。今回の話には、珍しくフォレスト氏も同行している。それと、彼の部下、ジェネリーズ女史も。

 「良かったな。主治医が来てくれてるぜ。君が山の上で倒れても大丈夫なようにな」

 「冗談じゃ無いや。オイラが倒れたら、あんたも倒れるんだぜ。分かってんだろうな」

 「もちろんさ。ほら、連中がやって来る」

 「準備はいいかね、諸君」

体格のいいフォレストは、何を着てもバッチリ決まる。どこから見ても、これから雪山遭難の迫真の演技に挑む映画俳優。本当に、この吹雪がセットの一部だったら良かったのだが。

 「で、どうすりゃいい?」

 「まずは、君たちに見てもらいたい」

ドーム状の屋根に、一斉に明かりが灯る。体育館なみの照明だ。その下には、永久凍土にめり込んだ数々の品。たった15年前にこの地上に出現したわりには、ずいぶん古びて朽ちかけている。オフィスビル群と民家とがごっちゃになり、町の一部がそっくり切り取られて、瞬間移動させられていた。高速道路には見慣れた道路標識。その上に、でんと乗っかるオリエンタル航空のジャンボジェット機。

 「おいおい、ちょっと聞いてもいいかな、ミスター・フォレスト」

 「何だね」

 「あれはどう見たって、飛んでたものが落ちてきたようにしか見えないんですがね。でなきゃ、道路の上に飛行機が乗っかるわけがない」

 「もちろんだ」

 「中は、確かめたんでしょうね?」

何事にも動じないボス氏はにっこりと笑い、平然と、こう答えた。

 「君の言いたいことはよく分かる。つまり、中に死体が無かったかということだろう? もちろん調べた。不思議なことに、人っこひとり、人がいた痕跡すら、見つかっていない」

 「つまりここは、山上のバミューダ・トライアングルってわけだ。」

早くも頭が痛くなってきた。人が操縦していない飛行機が、空を飛ぶだろうか? 落ちてきた飛行機には人が乗っていないだって。たまたま飛行場で整備待ちになっていた飛行機が、オフィスビル群に紛れ込んだってワケか?

 「不可解な点は、これだけじゃない。」

 「そりゃあそうでしょうとも、

 「まあ、そう慌てずに聞いて欲しい。我々の調査の結果によると、……つまり、政府の調査機関による公式の見解なのだが、ここにあるこれらの事物について放棄されてからの時間を検証してみたところ、少なく見積もっても、100年は経っているという」

 「はあ?」

思わず声を上げずにはいられなかった。

 「どういうことです。僕らがこっちの世界に放り出されたのは、15年前だ。100年も昔じゃない。あなたたちだって知ってるはずだ」

 「ところがモノに蓄積された時間は、100年なのだ。本、写真、建物に到るまで。回収されたビデオテーブは何本もあったが、あまりに劣化が激しく、辛うじてデータが読み取れるまでに復元出来たのは、君たちに送った、たった一本だけだ」

 「100年も吹雪に埋もれていたビデオテープとしちゃ、奇跡的だな」

トムが、僕のコートの内側で呟いた。

 「どういうことなんだろう?」

 「それが知りたくて君たちを呼んだわけだ。説1として、多次元接続事象による<穴>は、同時に開きはしたが、個々の接続先が異なる。…つまり、君たちの出てきた穴と、この山の上に空いた穴とは、異なる場所・時代に繋がっていたという説だね」

 「それじゃ説明がつきませんね、フォレスト。だって、100年前の”遺跡”から出てきたビデオに、明日…いや、もう今日かな、今日放送される番組の内容が映っていた。100年前に、YBCテレビは存在しなかったんでしょ?」

 「そのようだ」

 「じゃあ僕は説2を取るな。ここにあるものは、今より”未来の”ものなんだ。」

 「魅力的な説だが、説明がついているようでついていないな。15年がどうやったら100年になるものか。それに、モノが未来から過去へ移動することが可能かね? 通常は考えられない」

 「僕らがここにいること自体、もうとっくに、通常は考えられないことだと思うけどね。」

またもトムが呟く。コートを着ていても息が白い。じっとしていると、だんだん意識が遠のいてしまいそうだ。それはもちろん、フォレスト氏も同じこと。

 「この廃墟、自由に見せてもらっていいんでしょうね。」

 「無論、そのために君たちをここへ呼んだのだ。あらかたの調査は終わっている。何か視えたら、知らせてくれ。」

フォレスト氏は白い息を吐きながら去っていった。さあて、仕事だ。今回はクレバスに落ちなくて済みそうだぞ。

 黒猫が、ふさふさした毛の襟飾りの間から顔を出した。

 「どうすんの、コレ。片っ端から調べてちゃぁ、それこそ、あと100年あっても足りないぜ」

 「アテはある。」

僕は、両手を擦り合わせて暖めながら、言った。「覚えてるか? 僕らが、こっちに飛ばされた時のこと」

 「さあ? オイラは、その辺りのことは分からないな」

 「空に穴があいたとき、僕らの元いた世界では、町が一つまるまる消えたんだよ。その場所は海の側だった。その町が、多分こいつだ。こっちの世界で、ほかに町が降って来た場所は無いようだし、消えた以上、その町はどこかに降らなきゃならない。つまりそれが、此処だった」

 「他に消えた町が無けりゃね」

調査員たちが歩きやすいよう、雪は取り除かれていた。そこかしこで、まだショベルカーやクレーンが動き回っている。自然破壊どころではない。

 ひしゃげたジャンボジェット機は、だらりと滑車を下げ、高速道路の端っこに引っかかっていた。

 「何で町が消えるところが見られたのか、ずっと不思議に思っていた。幻を見たにしちゃハッキリしてたからね。謎がようやく解けた。僕は多分、あの飛行機に乗っていたんだと思う。そして窓際の席から見てたんだ、どうだい?」

 「なるほどね。あんたは長年追い求めて来た記憶の一部を、どうやら見つけたってわけだ。で? 続きはどうなるんだい、相棒。」

 「この飛行機は、僕らのいた世界の時間で2035年の”今日”より”未来”の空を飛んでた。けどそれは、この世界から見て85年は”昔”のことだった、って話」

 「はあ。100引く15ね。つまり…」

黒猫は耳をぴくぴくさせた。

 「つまり、今いる地球と、ここにあるモノが来た地球は、時間の流れの違う地球ってコトかい?」

 「ま、ありきたりに言うと、そうなる。時間と空間とが、並行して同時に存在することを許されているのならね」

僕らは、壊れたジャンボジェット機の中に入ってみた。シートは凍りつき、床の絨毯は毛羽立ってトゲトゲした氷の塊になっている。乗客も荷物も、全て無くなっていた。天井が半分無くなっているから、そこから外に散乱したのかもしれない。

 「オイラは何処にいたんだろうな。飛行機ってのは人間が乗るもんで、猫が乗ってるとは思えないけど」

 「乗ってたんだな、それが。旅行先で拾って、捨てるのが可愛そうで、親に黙って機内に持ち込んだんだよ。手荷物検査で見つかるとマズいから、ずっとコートのポケットに入れてた。猫は金属探知機に引っかからない」

 「本気か、おい!」

 「そのお陰で、フライト中は気が気じゃ無かったね。何度もトイレに立っては、君が死んじゃいないか確かめたもんさ。」

トムは、半信半疑の目で僕を見ている。

 「冗談とは思えないだろ? そう、多分、合ってると思う。自信は無いけど」

僕は冷たい飛行機のシート、H列の25番目に腰を降ろして目を閉じ、しばらく考えてみた。これ以上に、確かな記憶はなさそうだった。記憶が空っぽになったその瞬間、自分が何処にいたのか思い出した気がした。席の間を歩き回るスチュワーデスの姿が視える。窓の外の視界は良好、近づいてくる陸地。座席についたヘッドホンから流れる曲、「RainyDays」。アナウンスが流れる、間もなく本機は着陸体勢に入ります…

 「起きてるか、相棒。」

 「ああ、起きてる。」

 「こんなところで寝ると、死んじまうからな」

トムは落ち着かなさげに内ポケットの中で身じろぎする。暖かな感触。あの時も、コートの中に隠した子猫のトムの感触をずっと感じていた。飛行機は滑走路に向かって高度を下げる。飛行場のある町が眼下に迫る。海沿いの町、オフィスビルと民家の交じり合う都会。ど真ん中を高速道路が横切っている。僕は歌っている。「RainyDays」。外はとてつもなく良い天気なのに。視界良好、風速0m。本機はこれより、着陸体勢に入ります…


 人の気配を感じて、僕は顔を上げた。フォレストと部下たちが、飛行機の入り口に立っている。

 「なかなか戻らないものでね。心配した」

 「そんなに時間が経ってたかな」

立ち上がろうとして、脚が冷たくなっていることに気づいた。手も痺れている。それとも、頭がか。

 「何か視えたかい」

よたよたしている僕の姿を見て、フォレストは半笑いだ。

 「色々ね。どこかで暖かいコーヒーを貰えないかな。なんだか気分が悪い」

 「それはそうだろう。氷点下で居眠りなんてするもんじゃない」

情けないことに、両脇を抱えてもらわなくては歩けなかった。瓦礫の山から引っ張り出され、ストーブの前に座れた時、僕は心底ほっとしたものだ。

 「さて、報告を聞こう」

フォレスト自ら、湯気の立つマグカップを差し出した。

 「何があった?」

 「大したことじゃない。自分のいた場所を思い出したくらいだ。トムとの馴れ初めもね」

 「結構なことじゃないか。で、それは過去なのか、未来なのか?」

 「どっちでもない。」

 「どっちでも?」

 「今から100年前、僕らのいた世界は、この世界の”今”より未来だった。つまりこの世界の”今”、僕らのいた世界は、事件が起こってから100年経っている」

しばし、沈黙が在った。フォレストは、僕がコーヒーをすするのを、ただじっと眺めている。

 「…つまり?」

 「つまり、だ。喩えるなら、沢山のテレビが時間をずらしてビデオテープを再生してる。あるテレビではオープニングを再生してるのに、別のテレビは半ばも過ぎたシーンが映っている。今いる地球に映っているシーンは、僕らの居た地球では、100年前に再生が終わったシーンだってこと。あんたたちが最も知りたがっていることを、ズバリ言おう。”多次元接続事象”は、どの世界でも、どの時代でも、今後起こりうる。この地球でも、どこの地球でも。起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。」

これは政府機関の見解としては、あまりにアバウトすぎるかもしれない。まあいい。その辺りの言い回しは、フォレストと優秀な部下たちが上手くやってくれるだろう。報告書を書くのは、僕の仕事じゃない。

 とどのつまり、僕が持ち帰った答えは、いつ地球が終わるのか、いつ自分が死ぬのかは、分からないってことだ。――明日なのか、100年後なのか。今までと何も変わらない。”明日”というものに対する危機感、あるいは保険屋の新規加入料は、ほんの少し、上がるかもしれないが。

 「成る程。異なる世界、同時に存在する、異なる地球ね…」

フォレストはあごをしゃくり、部下たちに何ごとか指示を出した。彼は馬鹿な男じゃない。彼なりに、僕の言わんとしたことを理解したのだろう。

 「引き上げだ、行くぞ。報告をまとめねばならん。回収出来たデータを持って」

 「僕はもう一日か二日、ここに居てもいいですかね、ミスター・フォレスト。何しろ疲れたんで、いま往復させられると死にます」

 「好きにしたまえ。ジェネリーズはここに残るだろう。私は一足先にお邪魔させてもらうよ。」

 「お忙しいことで…」

僕はたちまち、あくびをした。眠くて体が泥のようだ。高度6000メートルまで一気に駆け上がって、すぐに駆け下り、また8時間も飛行機に詰め込まれるなんて、真っ平だ。平気でいられるフォレストは、人間じゃないに違いない。

 「――ああ、そうだ。聞きそびれていたことがあったな」

出て行きかけたフォレストが、足を止めて振り返る。

 「分かったんだろう? 自分の名前も。<100年前の地球>で、君は何と呼ばれていた?」

 「レイン」

 「レイン?」

 「そう、雨のレイン。女みたいな名前だろ? 雨好きの祖母が、つけてくれた名前さ。」

見る見る、フォレストの顔に笑みが広がっていく。苦笑いか、それとも嘲笑か。どっちでもいい。この寡黙ぎみのナイス・ガイが満面の笑みを浮かべるところなんて、一生にそうお目にかかれるもんじゃない。

 「成る程、レイン、ね。そいつは、忘れられそうに無い名前だ。ではレイン君、今回は助かったよ。また連絡する」

言うが早いか彼は、部下たちを引き連れて、カツカツ足音を鳴らして消えていった。

 トムが、コートの合間から顔を出す。難しい話は僕に任せるつもりで、隠れていたんだな、こいつ。

 「何だろうね、あれは。”また連絡する”だって。オイラたちの役目は終わったはずだけどな。食事にでも誘うつもりかね?」

 「さーて。心霊調査にでも使われるんじゃないかな。ダウジングで死体を探し当てるとか、モノに触れて持ち主を探し当てるとか。」

 「冗談。そんな仕事、やってらんないね。第一、あんた、もともとこっちの世界に在ったモノのことが分かるのかい」

僕には答える気力も無かった。ただ眠りたかった、それだけ。…僕は泥のように、パイプ椅子に沈みこんでいった。



 金曜日、僕たちは懐かしの町に降り立った。町の中心に聳え立つ政府機関は今日も前面ガラスに眩しく光を反射させ、清清しいばかりに空は晴れ。入り組んだ湾の向こうの町が年中灰色に曇っているのとは、対照的に。

 一般旅客機に猫は乗れないから、フォレスト氏がチャーターした政府機密機関御用達、高速旅客機ビジネスシートにてゴージャスな空の旅だ。途中で乱気流に巻き込まれたりしなければ、もう少しマシな旅になっただろうが。

 「ああ。腰が砕けそうだ、もうよろよろだよ」

 「何言ってる、ずっと寝てたくせに」

明るい日差しに思わず目を細め、僕はふと、飛行場の向こうに見える景色に気が付いた。

 「…ここ、なんだか、見覚えがないか」

 「ああん? あるに決まってんじゃないか」

トムは、僕の肩から飛び降りた。

 フェンスの向こうに、都市から流れ出す汚水でどんより濁った内海が見える。魚はいるけど食えたものじゃない、誰かが言っていた。そう、父さんだ。週末に、あの道を家族で歩かなかったっけ。そう、たぶん、間違いない。曇った町に、もし光が差していたら。海沿いの道に並ぶ色とりどりのカフェのひさしがあったら。尖ったビルの壁一面にペンキを塗ったくった、「週末はレンタカーで!」と書かれている趣味の悪い広告が、もっとハッキリしていたら。

 「オイラたちの町だろ? もう忘れちまったのか。」

黒猫が呆れたように尻尾を振る。

 「しっかりしてくれよ、相棒? 今から、あそこへ帰るんだろ」

 「そうだったな。」

思わず、笑いがこみ上げてきた。そうだったのか。15年前、僕が帰ろうとしていたのは、”あの”町だったんだな。

 思い出したばかりの、あの歌を口ずさんでみた。低い男性ヴォーカルの、暗いんだか、明るいんだかよく分からない、100年ほど前の、今はたぶん、100年ほど未来になっているはずの、あの世界の曲。


 ♪Rain Rain RainyDays, RainyNight, RainyMorning

  A rainbow comes after rain, over the rainbow, There's a land that you know...



家を開けていたのは、――たった数日のこと。

ただいま、ミズ・シンディ。




僕は、今、ここに居る。

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Rainy Days ―レイニー・デイズー 獅子堂まあと @mnnfr

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