アサルト・オーダー

真希波 隆

アサルト・オーダー

 1


 アサルト・オーダーは無法者の集まりに矯正を加えた騎士団であるという定評がある。あながち間違いではない。

 ただ、真面目な人間だっているし、貴族出身の者もいれば、田舎育ちの朴訥とした者もいる。そういう千差万別の実力主義集団、それこそがアサルト・オーダーの本質だ。ローワンは孤児で、叔父に育てられた。叔父が死ぬ間際に、全財産をローワンに相続させた。ローワンは金持ちになり、近親の者に反感を買い、家を焼かれた。金は銀行にあったため、そこからアパートに住み、王都で学生生活を過ごした。

 なぜ騎士団などという目立つ職業を選んだのか。きっかけは、友人だ。男である。気が付いたら、友人はポルノ・スターになっていた。そのことを知り、すべてをさらけ出し、知名度を高めていく友人に欲情さえ抱いた。どこかで応援していたかもしれない。が、それから間もなくその名声ゆえに友人は射殺されたことをインターネットの記事で読んで知った。

 どうして、そんなことがきっかけになったのかと言うと、友人に「アサルト・オーダー向いてそうだな」とぬるいウイスキーを飲みながら、話した記憶があったからだった。そうだ。全部、ぬるいウイスキーのせいだ。

 遺志を継ぐ気持ちか、それともオフィスで働きたくなかったのか、とにかくローワンはアサルト・オーダーに入団した。学舎に入り、五年間訓練を行った。つらい五年間だった。肉体的には成長したが、精神はひどくがさつになったように思えた。しかし、年上の偉い人に「どういう人間なのか」と聞かれた際に「こういう訓練をしました」と言うだけで、「たくましいね」とか適当な誉め言葉をもらえる。「いい体つきをしている」とか。

 ローワンは「人間なんて、そんなものだ」と思う。いっそ王都も徴兵制を導入すればいい。画一的な筋肉、統率の取れた志向。

 世の中を憂い、達観するローワン。

「ああ、くそったれ」

 天空旅団から落伍者ができたことは一時期、ニュースになった。その落伍者はフロンティアで人間を飼うといった計画を一部の天空旅団の人間に話していたらしい。

 天空旅団。空に島を建造し、一つの都市として成立させている異質な存在だ。彼らが何をしたいのかは知らないが、王都とは、深くかかわることはない。少なくとも、なかった。

 昨今の政治情勢を見ていると、遺跡都市ジェネラル・スターは黒魔術に手を出しかねないし、問題は山積みだ。

 天空旅団は外交的で、物事を円滑に運ぶが、たいていは裏で非道徳的なことをたくさんしている、という都市伝説が有力だ。

 例えば、人体実験から始まりクローン技術の促進、天空の領域を全面的に支配しようとしているだとか、枚挙にいとまがない。

 戦争好きであることは、誰もが認めていることではある。もちろん、天空旅団には被害の及ばないところで。

 会議場に向けて歩いていると、「おい」と言われた。

「クロノさん」「なんだ、その顔」「え?」「嫌そうな顔してるぞ」「全然」「そうか」「ええ」「やっぱり嫌そうな顔してるぞ」「全然」「そうか」「ええ」

「話をするために呼んだんだ。任務のこと。その突き当りの会議場が空いてる」

 クロノは、指をさして、せかすようにローワンの背中を強く叩いた。

「王都が危機的なのはわかるか?」

「王にやる気がないんです。王子は人間を駒にしてガチなチェスしてる。王はそれを見て爆笑。一回、警護に立ち会った時がそれでした。最悪でした」

「正直、あれら王族は飾りでいい。アサルト・オーダーは決して、ここ王都に偏る必要はない。ただ、我々は“第七次世界大戦”が起きたとき、確実に負ける。我々が、アサルト・オーダーが守るのは、均衡だ。平和ではない。戦わない道もあるということだ。そのためにお前にしかできないことがある」

「意味が分かりません。負けていい大戦なんて起こればいい。僕は生き残れます。強いですから。適当に戦火の及んでいない農家のお手伝いなんかして、暮らしていきます。僕はそこを守ればいいんですから、話は簡単でしょ」

「それは平和だな」「そのとおり」「大事なのは、均衡だと言っている」「僕にだって均衡くらいわかります」「お前は学舎で何を学んだ?」「生きてもいいやつと死んだほうがいいやつの選別です」「ほう、そうか。私はどっちだろうな」「後者」

「やめてください」

 ローワンは息ができなくなっていた。クロノの特殊な力のせいだ。首に圧迫感があり、呼吸を乱されている。クロノは年の割に怒りっぽい。

「で?」とクロノ。

「で」とローワン。

「お前はアサルト・オーダーだ。均衡のために生きるんだ。どこかで使命を忘れてないか?」

 ゼイゼイ言うローワンを無視して話を進めるクロノ。

「天空旅団で、『あるじ』を名乗る男の正体を探りに行ってほしい。今回の事件は表沙汰にはなっていないが、もしかしたらひとつの世界が生まれてしまう可能性だってある。私は世界とあえて言うが、学者に言わせれば、『プラント』だという。『コロニー』とか言っている連中もいたな。どうでもいい話を聞いていても、ヒトの目を見て、相槌くらいは打つべきだな。ローワン・アトキンソン見習い候補生!」

「怒らないでください。気が滅入ってきました」

「お前は感じやすいんだ。オーダーとしてはお前を重宝したい。使えるからな」

「僕はいつでもチェスで王子の操る駒にでもなりますよ」

「話は終わってない。あるじと名乗る男は、少年を収集し、コレクションしているらしい。お前くらいの年齢が平均だから、12歳から17歳くらいまで。そしてその人間を『絶対奴隷』にしている、と聞く。禁術だ。ふつうは考えもしない」

「絶対奴隷って何ですか?」

「哲学的技術で心臓を取り除いて、胸にペンタグラムを焼いて記す。絶対服従の証だ。心臓は、どこかに保管されるのだろうな。心臓に何かあれば、問題が起きる。わかるだろ?」

「いや、全然わからない」

 会議場は静かになった。いくつもある椅子の中から、座っていちばん沈む椅子を選んだローワンは、つまらなそうに服の裾のほつれを引っ張っていた。椅子に深々と沈む音の反響。クロノはどんどんとローワンに近づいていって、ローワンの首を右手でしっかりと絞めた。足音の反響。

「わかった。わかりました。ごめんなさい」

「じゃあ、やってくれるな?」

「は?」

「あるじのところで、ちょっと飼われてこい。潜入捜査ってやつだな。お前、好きだろ、そういうの」

「いやそりゃ、ヒトの体験談聞くのは好きですけど……。え、僕がやるんですか?」

 面倒くさそうにうなずくクロノ。

 そこには有無を言わせない響きがあった。

「評議会で決まったことだ。もうくつがえらない。私は主張の強い人間が嫌いだ。言いたいことはわかるな?」

「はい。まあ、そういう意味で僕は好ましいのでしょうね」

 僕は頑張らなければいけませんか? ――言えなかった。言えなかったのだ。



ジャック・セプテンバーは考える。考えることが好きだった。例えば、一人でいることについて考える。一人でいることは孤独とは違う。たとえどんなに一人でいたとしても、どこかに繋がりがあるものだ。親だったり、兄弟だったり、友人だったり、知人でもいい。孤独の場合、そういう繋がりがあったとしても、とてもじゃないが、それに気を配る心を持つゆとりがないのだと思う。

 つまりジャックは自分を孤独だと考え、繋がりがどこかしら何かしらあるにもかかわらず、寂しさや切なさ、虚しさや空っぽな感情を有していた。

 だから、ジャックは余計に人間について考える。一人でいたくないと思う。でもやっぱりどこにいても、どこまでいっても、どこに属そうが、笑いあっていようが、心の中は空っぽなのだ。

 入所して早々にジャスティンという同い年くらいの男の子に声をかけられた。肩をぽんぽんと叩かれるとジャックの中で火花が散るような透明なぬくもりを感じた。その意味が分からなくて、ジャスティンの顔をまじまじと見た。

「どうした?」

「いや、なんか熱い」

「今日は寒いよ」

「う、うん」

 ジャックが座っていた中庭のベンチの横、そこを見て「隣、いい?」と訊くジャスティン。「いいよ。別に」とぶっきらぼうに言ってしまうジャックは、自分が気持ちよくなっていることに気づく。どかっと座るジャスティン。「手、合わせよ」「どうして?」「ピアノの練習できるか、テスト。手が大きかったら、ピアノやっていい」「なにそれ」と言いながら、ジャスティンと手を合わせているジャック。

「僕の方が大きいね」とジャック。「ちっ」と言って、ジャスティンはどこかに行ってしまった。太陽で暖かいけれど、冬の気温に負けて、ジャックも暖炉のある室内に入った。

 それから一日に一回は必ず、ジャスティンは僕に話しかけてきた。少年たち全員にそうしているみたいで、とても明るいしばかばかしい冗談をたくさん言う。ジャスティンは仲の良い男子とキスをした。あいさつ代わりのようにジャックはそれを複雑な気持ちで見ていた。「僕もしたかったのかもしれない」と思うと同時に嫌悪感も抱いた。意味もなく、気持ちが悪かった。でもジャスティンと接していくうちに、彼はただひたすらに寂しがっているのがわかった。

 関係性を求めている。

 ジャスティンはキスや抱擁や性交、ひいては肉体的接触、一次的接触を強く望む傾向があるように感じた。悲しいのに、ジャックはそれをばかにした。ジャスティンはばかだ。うわべだけ取り繕っている。偽善的なぬくもりに過ぎない。

 そのはずだった。

 しかし、ジャックはジャスティンに触られるたびに喜んでいた。身体がわきたつようなざわめくような心地よさを感じ、同時にそれがひどく不気味で、でもやっぱり気持ちよかったのだった。「ねえ」とジャック。「ん?」とジャスティン。「ジャスティンは人が好きなんだよね?」「ん」「いや、だからさ……」「うん」「ええと」「うん」「ジャスティンは僕のこと、どう思ってる?」「ジャックのこと?」「そう」「別に」とジャスティンはおどかすように笑いながら言った。暖炉の薪が爆ぜる。ソファで隣同士で座る二人。

「好きだよ。嫌いじゃないし。でもぼんやりしてるよな」「ぼんやり?」「どこを見てるのか、わからない時がある」「へえ」「うん」「ありがとう」「なにが?」「よかった」もう消灯していて、暖炉以外には明かりはなかった。二人は全裸になって、抱き合った。最高に気持ちよかった。それなのに、ジャックは孤独を感じていた。「なんか寂しいんだ、僕」とジャック。「ふうん」とジャスティンは僕の背中を優しく撫でまわした。「そっか」「そ」「僕たちってあるじに飼われているだろ?」とジャスティン。「難しいことは言えないけど、ペットであることって寂しいことかな?」「わからない」「実はさ」「うん」「僕も寂しいんだ」「そっか」

 二人は知らず知らずのうちにお互いの寒さを共有していたのだ。



 ジェネラル・オーダー。

 大半のビルが瓦礫と化した都市上空で、激しい爆発が相次いでいた。光の明滅はすさまじく、目を細めてようやく見ることができる。「傍観者」は、事の成り行きを面白がっていた。その爆発の渦中にいるのは、二人の少女と一人の少年だった。二人の少女は連携を取りながら、一人の少年をどうにかして追い詰めようとしていた。が、その少年のすさまじい勢いで力を行使し、二人を牽制していた。一人と二人は、空中を自由自在に飛び回り、大空さえも戦場とした。二人の少女は緑の光を放つ杖を振って戦い、少年は赤い光を放つ杖を無造作に振っていた。彼らの杖の一振りは、人間にはどうしようもない不思議な力が込められていて、その力のぶつかり合うことによって、拮抗し、とてつもない爆発が幾度となく生まれ、そこから発せられ広がっていく力は、並の人間では正気を保っていられない圧迫がある。


 三日月と星々の煌めきは都市の残された夜景と紅蓮に精彩を奪われていた。烈風吹きすさぶビルの屋上。鉄柵のヘリに素足をのせてバランスをとっている少年。紅蓮に照らされながら、熱気にあおられ、少年はゆらりと立ち上がった。

「もう終わりだ」

 そして、ある一点をしっかりと恐ろしい形相で睨みつけた。次の瞬間、少年は地球を抱くように両の手を広げ、身体を弧を描くようにゆらりと体重移動をして立ち上がり、瞼を閉じた。心地よい全身を引っ張られるような感触は、目をつむっている少年の心を湧き立たせた。これから始まることの期待に胸を膨らませた。落下していく肉体と高揚していく心の真ん中に僕がいる。ぎりぎりまで目を閉じる。躍動。ビルの壁面を平行に落ちていく少年は、壁を思い切り蹴り上げ、落下するよりも素早く地上に向かっていた。目標に急速に接近していく。二人の少女。杖なんか持っちゃって。

 僕の杖とは格が違う。夜空に反響する疾駆音。目標は迫りくる少年に対して真っ向から挑むつもりのようで、、大地にすっくと立つ。赤い杖がまばゆい。

 少年は覇者の風格さえ放ちながら、待ち構えているその少女二人を見て、高らかに笑いながら叫んだ。

「これは死の追いかけっこのプレリュードだ」

 ジェネラル・オーダーが壊滅する二十四時間前のことだ。



 ローワンは言った。

「あんたがあるじか? たいそうな呼ばれ方だな」

 二十六歳の男は青年と呼ぶにはあまりにも深い老いを感じた。

「ローワン、といったかな。君を私のペットにすることになっている。これは手続きみたいなものでね。最初は僕が勝手にやっていたことなんだけど、利害とか損得とかを考える人が、そういうことについて僕を利用するようになったんだ。ま、気にしなくていい。ワインでも飲むかい? 初めてだと思うけど」

 あるじはローワンに近づいて、ローワンの髪を紙をすいた。「シャンプーとかこだわってるでしょ。お小遣いで買ってるの?」

 間が空く。「そうです」と答える。「本とかレコードとか、そういうのには使わないの?」「本は図書室にあるし、レコードは友達と一緒に聴きます」

「友達は好き?」「はい」「人間関係とか、どういう風に考える? 遠慮なく、ありのまま答えて」「生きる価値のあるやつと、死んだほうがいいやつ」

「それで、君は生きる価値のあるやつと接触するのかい? うーん、いいや、違うな。君はそれほど単純じゃない。死んだほうがいいやつって、どういうタイプが多い?」沈黙する僕と、その僕の沈黙を楽しむあるじ。

「無理してるやつ、自分のことがわかってないやつ、一人でいたがるやつ」とローワン。「エトセトラ」「というと?」「きみは自分が嫌いなのさ」と言って、

「もちろん、悪いことだとは思わない。ところで」

 ローワンは短剣をあるじの胸元に差し込んだ。が、布に突き抜けたかのような、感触。何故?

「無駄だ。私は影なんだから。さあ、君のハートを取って、そのしるしに五芒星を刻まなければ」

「なんで――」効かない?

「君は私に抵抗できない。それだけのことだろ。何も怖がることはないよ。慣れる。ハッハァ!」あるじは愉悦した。

「やめろ!」悲痛な声。「何を? 口に出していってごらん?」楽しむように。「紋様をつけるなっつってんだ」「五芒星、あるいはペンタグラムさ」と言って、あるじはズブズブとローワンの肉体に手を入れた。これは、任務だ。仕方のないことだ。でも。ローワンの顔からさっと血の気が引いた。

 主様はローワンの血管から心臓を丁寧に引き抜く。肌を突き抜けて、現れる自分の心臓。動いている。おぞましい。同時に、失いたくない。僕のものなのに。

 気が付くと、心臓は消失していた。「大丈夫。これで君の心臓は友人の管理部屋に行く仕組みだ。安心していい」「……!」「さあ、刻印の時間だ」五芒星があるじの細い指で刻まれていく。胸が焼けるように痛み、うめき声をあげるローワン。

「さあ、これで晴れて君も私のペットだ。いや、首輪なんて付けやしないさ。つけてほしいなら別だけど」

 ぽろぽろと涙をこぼすローワンを、あるじはじっとりとみる。にっこりと笑って「さあ、行こう」と言う。ローワンは膝からくずおれる。「立ちなさい」あるじが強く言うと、自尊心のずたずたになったローワンは、羞恥で顔を真っ赤にして立ち上がる。指示に従ってしまった。指示に従ってしまった。「大丈夫。じき慣れるよ」

 あるじは朗らかに言う。何かが割れて、もう戻らない音がした。アサルト・オーダーと天空旅団の五年にわたる戦争が始まるのは、これから五週間と二日後だ。



 廊下に冷気が来ていた。ローワンは手先の感覚が曖昧で、揉みしだきながら、息を吐きかけた。寒い。

 蝋燭の灯りはあくまで闇を照らすだけで、ぬくもりにはならない。もう少し厚着をして来ればよかった。

 修練着にパーカーを着ただけだ。廊下の石壁にはめ込まれた細長い窓ガラスは霜が降り、向こう側の屋外では、雪が降っている。

 室内でさえ吐く息は白い。外で雪合戦をしている人たちの気が知れない。今日はジャスティンに図書館で勉強を教える日で、ローワンは図書館に向かっていた。ジャスティンはローワンよりずっと頭がいい。要領もいい。

 それなのにクラスでは下から数えた方が早いスコアだ。勉強を教えると、何でもすぐ覚えるし、話を聞きたがる。どうしてジャスティンのスコアが低いのか。簡単な話、ジャスティンはテストに興味がないのだろう。ローワンにはそういうものがよくわからない。スコアに興味がない? 高い方が気持ちがいい。そういうものではないか?

「よう」「おう、遅かったな、ローワン」

 馴れ馴れしい、と思う。会ってまだ半月しか経っていない。

「ジャックがお前と話したがってたよ」

「うそだろ」

「おれはうそつかないよ」


 ローワンは、ジャックを思い切り蹴とばした。腰のあたりだった。次いで、みぞおちに踏みつけるように足をめり込ませ、股間を力いっぱい踏んづけた。ジャックは息も絶え絶えに「ごめんなさい」を連呼した。ローワンは「何が?」と言って、からだじゅうをあざだらけにしてやった。顔だけは狙わなかった。服で隠れる部分は、丁寧にどうしようもないくらいにめためたにしてやった。ローワンはジャックが死ねばいいと思った。ジャックを自殺させるにはどうすればいいのか、いろいろと考えた。しかし、そんなことをするよりも、ジャックの人間性を貶める方が的確だと考えた。よりどころであるジャスティンと関わらせないようにして、関係性を絶たせ、自殺へと追い込む。ローワンは死について、それ以上のことは何もない。

「ごめんなさい」「何が?」

 あるじは何かを悟っている。ジャックは何もわからず、僕らに平等に接してくる。胸糞悪い。僕はジャスティンなんかとは違う。

「ごめんなさい、ごめんなさい」ジャスティンの意図がわからない。

「なんだよ、ちゃんと言えよ、クズ」

 ジャックは自分がどうすればいいのかわからなかった。ただこのままだと、ジャックはジャスティンに忘れ去られてしまうのではないか、と思った。

「偽善者ぶってんじゃねえよ、言いたいことあんなら、ちゃんと言え」

 ジャスティンは、本当の気持ちをとつとつと話し出した。

 毒気が抜かれていくのが自分でもわかった。ジャックはバカすぎる。

「別に何でもいいけどさ」とローワンは言った。「じゃあおれは本当のこと言うよ。おれ、アサルト・オーダーなんだ」と言い、「おれ、お前のことが嫌いだ」と言った。ジャックは特に何でもないような顔をしていて、ローワンはジャックの頭をはたいた。「なんか言えよ」

「え、何を?」

「なんか言え、なんか」「なんかって」「なんかだよ」「ええ?」

「おれがなんでアサルト・オーダーだって言ったのか、とかアサルト・オーダーってなんだ? とかなんかないのかよ」

「え? いや興味ない」

 ローワンはジャックの頭をはたいた。

「ちょっとは訊いてみようかな、とかそういうこと思うべきところなんじゃ? というか、おれがお前とこんなぐうたら話ししてる時点でむっちゃ時間の浪費だとさえ思えてくるわ」

「じゃ、浪費なんじゃ?」

 ローワンはジャックの頭をはたいた。

「いや、そういうことじゃないだろ。今の、お前が悪い。謝って」

「ご、ごめん」

 ローワンはジャックの頭をはたいた。

「もういぃよ。疲れたわ。じゃな」

「どこ行くの?」

「仕事」

 そう言って、ローワンは手の甲でジャックのほほをペチペチとたたいた。

――おれは死ぬだろうな。

 そう思うとローワンは空っぽな気持ちになった。寒気を覚えたり安堵したりするような気持にはならなかった。ただ、空っぽ。死ぬ。空っぽ。死、というものが、黒く思えたり白く思えていた時期もあった。赤だったり緑だったこともある。でも、今は色には形容できなかった。ローワンは思う。おれは何者なのだろう。おれは何者として死ぬのだろう。おれは何者だと思われて、後世に残されるのだろう。いや、残らないのかもしれない。忘れ去られ、ただの風になる。空気かもしれない。

 おれが今からやろうとしてること。

 あるじの暗殺。



 目を覚ました。僕は自分が誰なのか、わからなかった。思い出せるのは、大きな本棚と、スタンド・ライトと、大規模でトリッキーな戦争。僕は何かを見ていたようだ。そして、今がある。僕には何もなくて、全裸で、部屋の中にいる。その部屋の床は緑色で、天井は白かった。身体の各部を固定されていて、とても肩こりがして、尿道にはカテーテルが突っ込まれ、簡易ベッドに横になっていた。カテーテルがとても痛くて、下半身を動かさないように気を使った。何だか頭の中で何かがはじけるように恐怖心というか絶望感のようなものがやってきて、ヒステリーというか爆発的な感情が、僕を暴れさせた。僕はどうにかして体を自由にしようとするが、ベッドマットがガタガタ揺れるだけだった。カテーテルが尿道に痛い。神経が張り詰めていて、苛立ちを感じる。どうしようもない。僕は何をしたんだ?

 僕は蛍光灯に照らされて、眠ろうと思っても、瞼を自分で閉じることができず、ひたすらに白い蛍光灯に犯されていた。

「僕は誰だ?」と特殊なマスクをつけられた、口の中で呟く。

 何時間が経ったのだろう。あることに気づかなかったドアがそっと開き、エキゾチックな格好をした女と白い格好をした男が二人やって、白い方は僕の状態を説明しているようだった。エキゾチックな方は、白けた顔で僕を見ていた。

 エキゾチックな方は去り、白い格好の男は、食事を配膳して、僕にスプーンを突き付けた。僕はとてもおなかがすいていて、口を開けて、スプーンに乗ったほぐされたサバを食べた。食事を終えて「体調はどうですか?」と言われた。

「僕は誰ですか?」

 男は、やれやれ、という顔で、ドアの向こう側へ去り、僕はこの部屋の中に閉じ込められたままになってしまった。

 ドアの音。

 ガチャン。

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