恋のキューピッド
空太に秒速で見破られて笑顔が強張る。
「この前階段で足を踏み外して転げ落ちそうになったばっかだろ? もっと自分を大切にしろよ」
「りょ、了解!」
私が勢いよく右手を挙げると空太にフフッと笑われた。気の抜けたような、嬉しそうなその笑顔に私も笑う。今度は、作り笑いじゃなくて安堵の笑みだ。
「そうか、まだ痛むのか……。俺のせいでホントごめん。保健室に行って先生に手当てしてもらおう」
「いや、そんなに痛くないし多分痣にもならないと思うから大丈夫」
「おい、保健室に連れて行くのはお前じゃなくて俺だ。お前は完治するまで湿布を毎日光琴に渡せ。いいな?」
「ああ、分かった」
自分抜きで勝手に決められたから私は慌てて「ちょっと待って」と言う。
「私の話ちゃんと聞いてた? 湿布、要らない」
「……空太。光琴ちゃんは必要ないって言ってるけど」
「ああ、そうだな。でもお前は死ぬまで反省し続けろ」
「分かった」
「いや死ぬまで反省し続けなくていいよ」
私は逆に申し訳なくて思わず突っ込んだけれど、絢都くんは首を横に振りながら「反省し続ける」と宣言して、空太に向き直る。
「お前の大切な彼女を傷つけてしまってごめんな……」
「ばっ……!」
絢都くんの言葉に空太が大きく目を見開いた。見る見るうちに耳と頬が熟れた林檎色に染まっていく。
「彼女じゃない」
赤くなる理由が分からなくて私は内心首を傾げる。
「え、まだ付き合ってなかったのか? 傍から見ればバレバレなのに。ね、光琴ちゃん」
と、絢都くんが楽しそうに笑いながら私の顔を見てきたけど、意味が分からないから、うん、と答えることはできなくて、今度は内心ではなく本当に首を傾げた。
「え、マジか……。鈍感くんと鈍感ちゃん。どうりで進展しないわけだ。よし。じゃあ俺が今日限定で恋のキューピッドになって背中を押してあげよう」
「……キューピッド?」
絢都くんは怪訝そうな声を上げた空太に腰を屈めて顔を近づけた。
「空太」
「……何だよ」
「光琴ちゃんのこと、恋愛対象として好きか?」
絢都くんが口にした質問に思わずどきっとする。
「い、いきなり何だよ……。そんなに急がなくてもいいし心の準備ができてないし、つーか別に今日じゃなくても……、」
「分かってないな」
絢都くんは空太が言い終わるのを待たずに、空太が詰め寄りながら発した声よりも低い声を発して、顔を離した。
「そうやって言い訳ばっか用意して立ち止まってたらいつまで経っても前に進めない。ああ、あの時ちゃんと伝えておけばよかったって手遅れになってから後悔したって遅いんだぞ。……ってこうやってお前に偉そうに説教してると、特大ブーメランが返ってきてぶっ刺さるから超痛いんだよなぁ。……俺は今、大切な人に大切なことを伝え忘れて激しく後悔中だから。まあ、逆に伝えた後で後悔したことも何度もあるけどさ、やっぱり自分の気持ちは伝えた方がいいと思う」
絢都くんは空太に笑いかけた後、私にも笑いかけたけれど、その笑顔はあまりにも寂しそうで胸が痛んだ。多分、大切な人、とは昨日別れてしまったという彼女さんのことだ。絢都くんは友達の空太に、ただのクラスメイトの私にも自分と同じように後悔して欲しくないから、今、私たちの背中を必死に押してくれている。
空太もそれが分かったんだと思う、真剣な表情でごくりと音を立てながら唾を飲み込んだ。
「……お、俺は……」
潤んだ目とばっちり合う。でも私の方が潤んでいるに違いない。私は振られるのが怖くて告白できずに立ち止まっていた。友達としては好きだけど異性としては何とも思ってないって、本当のことを言って私を傷つけるのが怖くて空太は立ち止まってたの? それとも私と同じだって信じてもいい?
「……俺は、光琴のことが恋愛対象として好きだ。小四の頃に惚れてから今までずっとバカみたいに片想いしてる」
空太の口から出た言葉が嬉しすぎて胸が大きく高鳴る。
「光琴は俺のことどう思ってるんだ?」
後悔したくないならちゃんと伝えなきゃ。私も生唾を飲み込んで、
「私も空太のことが恋愛対象として好き。小四の頃からずっと片想いしてたけどもう両想いだね」
「マ、マジか!?」
「マジだよ。嘘吐くメリットないもん」
「そうか……。いや待て。光琴は俺じゃなくて俺の兄貴のことが好きなんだろ?」
「ううん……。違うよ。昨日の放課後、空太が私に『バカだろ』って言ってきてめちゃくちゃムカついたし傷ついた……。その時にちょうどお兄さんがギターを優しく教えてくれた一昨日の出来事を思い出して、『お兄さんの方が優しかった』って咄嗟に言い返しただけなの。ごめんなさい」
「いや、俺の方こそバカって言って傷つけてごめんな……。バカなんて思ってないし揶揄いたくなって軽い気持ちで言っちまったんだと思う。……でも嬉しそうにはしゃいでたよな、兄貴にギター教わってる時」
「それは……。弾けるかどうか不安だったけど、お兄さんが優しく丁寧に教えてくれたお陰で弾けたから、凄い不器用な私でも弾けるんだって、喜んでただけだと思う」
「何だよ、そうだったのか……。兄貴のことが好きだって誤解して拗ねてたなんて、バカなのは俺だな」
「え……ってことは拗ねてたからずっとリビングの壁を睨みつけてたの?」
うん、と空太は伏し目がちに頷いて、
「……俺の彼女になってくれますか?」
それから顔を強張らせてうわずった声で尋ねてきた。待ち望んでいた展開になり、感動して瞼が熱くなるのを感じながら私はこくこくと頷く。
「もちろん! じゃあ、あの……私の彼氏になってくれますかっ?」
「もちろんだ!!」
空太よりもうわずった声で私が訊くと空太は即答して、目を伏せて震えた声で「よかった……」と呟いた。空太が唇を噛み締めて涙を堪えていることに気づいて、私も泣きそうになって慌てて目を逸らす。
「恋のキューピッドはもう必要ないね……」
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