そのあとで

「なにも、なにもできなかった……」


 1人呟く青年は青白い顔をしてその場に座り込んだ。静かだった夜に音が戻って来る。風が青年を責めるように吹き遊ぶ。


「届かなかった」


「動けなかった」


「どうして、俺は……」


 ぽたりぽたり、と雫が地面を打つ。


 おかしいな、空には満点の星が煌めいているというのに。月が見える、雲はどこにも見えない。

 雨の予報なんてなかったはずなのにな。


 不思議そうに首を傾げる青年は、何故だかしっとりと雨に濡れた頬に手を伸ばす。


「あぁ、そっか。泣いてるのは、俺か」


 指先に拾った雫を見てようやく理解する。小さな雫は冷たい風に攫われて、瞬く間に消えて行ってしまった。

 まるでさきほど消えて行ったともしびのようにあっけなく。

 なんてことないかのようにふわりと風に乗って。


 泣かないって決めてたのになぁ。


「助けたかった」


「自己満足でも、アイツが嫌だって言っても」


「一緒に生きようって、手を……」


「どうしようもない地獄でも、2人いれば大丈夫だって」


「助けたかったんだ……」


 その間も雫はとめどなく溢れては地面に消えていく。ぽとりぽとり、と絶え間なく。水たまりができそうなくらいに。


「あーぁ、なんでだろう」


「悔しいなぁ」


「苦しい」


「約束、したのに」


「ぐすっ……」


「蝶路のバカ、アホ」


「帰って、こいよ」


「……」


 やがて独り言に飽きたのか青年はゆらりと立ち上がる。酒を飲んだわけでもないのに覚束ない足は、ふらふらと左右を行き来する。

 

 ふらり、ゆらり


 ぐらり、トンッ


 右に左に揺れながらも真っ直ぐ進むと、青年は建物の端で足を止めた。

 びゅうびゅう吹く風が青年の身体を撫でつける。


 大口を開けていつも通りを過ごす町は、恨めしいほどにいつも通りで。暗闇に浮かぶ街灯も、淡く町を照らす家々の蛍のような光も。夜は我がものと町を駆ける野生動物たちも、ゆるやかに流れる川も、さわさわと揺れる草木も、変わらない。本当に。

 

 あぁ、知ってたさ。

 たった1人の命が消えても世界になんの影響もないことなんて。

 知ってたさ、知っていたとも。


 だったら。


「なぁ、いいよな」


「俺も」


「そっちに、いって」


 もう1人くらい消えたって構わないだろう。どうせ明日も、なんてことない顔して日は昇るし、月もまた夜を照らす。

 人々は「あらかわいそう」なんて思ってもないこと口にして、上っ面だけの憐憫を振りまくのだから。


 だから、もう、いいだろう。


 やがて青年はそこから一歩、足を踏み出した。




 落ちていく、落ちていく。

 風を切って暗い夜の中、温かな光に向かってまっしぐら。


 明るい町へ、懐かしい箱庭へ落ちていく。

 変わらない、変わりようのない箱庭がそっと青年を飲み込んだ。


 遥か彼方で揺蕩うお月様が見た最期の彼は、それはそれは満足そうに、幸せそうに微笑んでいたそうな。




 世界は今日も、変わらない。

 今日も2人の他にたくさんの人が世界で亡くなったそうだ。


 それでもやはり、世界は変わらない。

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例えば君が、死んだとして 幽宮影人 @nki

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