例えば君が、死んだとして

幽宮影人

最期に君と

「自殺ってさ、最高の最期だと思うんだよね」

 

 そう口にする男、もとい友人の周防蝶路すおうちょうじは、びゅうびゅう吹く風の中で頼りなく佇んでいる。あまりにも風の勢いが強いため、風が吹くにたびゆらゆらと小さく体ごと揺れていた。

 その蝶路ちょうじの眼下にはミニチュアみたいに小さな町並みが、アイツの背中越しに見える。彼が一歩でも足を踏み出せばきっとその箱庭へと吸い込まれてしまうだろう。そうしてひしゃげて四肢を投げ出して転がり、人形みたく力をなくして横たわってしまう。


 だから。


「へぇ、どうしてそう思うんだ?」 


 逸る心臓を押さえつけながら、なんてことないように言葉を紡ぐ。

 焦っていることを悟られないように、アイツを刺激しないように。

 引き金を引かないように、引導を渡さないように。

 なんとしても繋ぎとめたくて、至っていつも通りを装った。


「だってさ、訳の分からない病に体を食い殺される訳でもなく、殺意もない事故に巻き込まれて突発的に息絶える訳でもなく、理不尽な殺人に命を奪われる訳でもなく、自然という脅威に呑まれてパタッと死ぬ訳でもなく。しっかりと自分の意思で、覚悟を胸に死ねるんだよ? これ以上の幸せってある?」


 顔こそ見えないが、声からアイツが今どんな表情をしているかくらい、手に取るようにわかる。とても楽しそうな声音、弾む語尾。

 きっと今のアイツは『幸せ』なんだろう。


 けれど。


「ある、あるさ。それ以上の幸せなんてそこら中に転がってるよ」


 俺は認めない、蝶路の幸せを認めない。

 いや、違うな。俺だけは認めてはいけないんだ。

 だって認めてしまったら蝶路は、きっと喜んで先へと進んでしまうから。


 それは、それだけは嫌だ。

 蝶路がいなくなるのだけは嫌なんだ。

 避けなければならない、なんとしても。

 蝶路の為に、いや俺の為にも。


「へぇ。例えば?」

「そうだな……。じゃあ飯でも食いに行こうぜ。美味い飯を腹いっぱいに。きっと幸せだ」

「うーん。ごめんだけど僕は小食でね、満たされるほど食べられないかなぁ……」


 知っているよ、お前が小食なことぐらい。加えてとんでもない偏食家だってことも。


「じゃあ海に行こう。澄んだ海、キレイな魚が泳ぐ大きな海に。気のすむまで泳ごうぜ。きっと幸せだ」

「海かぁ。いいね、海。でも潮でべたつくのはなぁ……」


 知っているよ、お前が海の潮を嫌っていることぐらい。それどころか金槌だってことも。


「じゃあ山に行こう。静かな山、キレイな緑が生い茂る広い山に。気が済むまで歩こうぜ。きっと幸せだ」

「山かぁ。いいね、山。でも虫は苦手だからなぁ……」


 知っているよ、お前が虫を大嫌いなことぐらい。ついでにどうしようもない方向音痴だってことも。


「じゃあ――……」

「もう、もういいよれん

「っ」


 知っていたさ、お前がどれほど死に焦がれているかくらい。それから、もう助けを諦めていることくらい。


「なぁ蝶路、もういいよって。なんだよそれ」

「ごめんね蓮。僕、もう疲れちゃった」


 なんだよそれ、なんなんだよそれ!


 どうしてそんな風に笑うんだ!


 どうしてお前はそんなにも、満足そうにしているんだ!


 くるりと振り返った蝶路は、みたこともないような満面の笑みを浮かべていて。まったく、喜色満面と表現するにふさわしい顔をしていた。


 蝶路に対し俺は、というと。

 ひどい顔をしていることだろう、情けない表情を晒していることだろう。鏡を見なくとも分かる。泣きそうになるのを必死に堪えているのだから。


 けど、泣いていいのは俺じゃない。

 今この場で泣いてもいいのは蝶路だけだ。

 だから俺は必死に涙をのみ込んだ。目が熱い、鼻の奥もツンと痛む、いつになく早鐘を打つ心臓に息が苦しい。


 泣いちゃダメだ。


 それでも、悲鳴を上げるくらいは許されてもいいよな……?



「まだ、まだ蝶路とやりたいこといっぱいあるんだ。一緒に旅行に行こう、国内が嫌なら海を越えてさ。それから子供ができたらたくさん遊ぼう、俺もお前も一緒に子供みたいに。それから、それから……ジジイになってからも囲碁しよう。他にもやりたいことは山ほどあるんだ。お前だって、約束してくれたじゃんか!」


 足りない、どうしたって足りない。

 時間も未来も、まだまだ有り余っているんだ。

 そこに蝶路がいないなんて、想像したくもない。


 頼むからそのままこちらに歩を進めてくれ、箱庭になんて行かないでくれ! 


 静かな夜に悲痛な俺の声が響く。いつの間にか風の音さえ止んでいた。

 

 本当に、静かだ。


 まるで、生きているのは俺達だけのように錯覚するほど。耳が痛くなるほど静かだ。


「ごめんね。約束は守れそうにないや」


 くるりと再び背を向ける蝶路。そして、彼はそのまま足を一歩踏み出した。


「待って、待ってよ蝶路」


 あぁ届かない、間に合わない。


 ゆらりと揺れる蝶路の髪を最後に、彼は俺の目の前から姿を消した。

 そして1つの、尊いはずのともしびが掻き消えた。


「あ、あぁ……」

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