二話 私という存在が、何らかの不思議を含んでいるみたい。

 思わず自分の頭に手を伸ばす。

 いつもの柔らかい髪。トリートメントが効いているからか、指の通りはサラサラですごく良い手触りがする。今までの私の髪と違うのは、髪の色が金色になったってだけ。だと思っていたら、どうやら違ったみたい。


 亜美の手のひらに乗っているのは、白く鋭利な長い針。これがちょっと前に切ってもらった私の髪だっていうから、正直意味がわからなかったりする。

 さっきまで私が座っていた散髪椅子に目を向けると、椅子の周りに切った髪の毛が散らばっていて、その全ての髪の毛が文字通り真っ直ぐになっていた。


「こんな現象、理容師になって初めてなんだけど。ねえ、ミモザちゃん体には何か異常とかないのよね? 調子悪かったりとか。その髪の色と瞳の色以外で」

「大丈夫、だと思うわ。そう言われると、何だか自信がなくなってくるけれど」

 今日の予約のお客さんは私と、つい今しがたまで毛先を整えてもらっていた女性だけだったみたいで、女性が帰った後すぐに亜美がサインポールを止めて、扉の看板をクローズドにひっくり返していた。

 方舟の都市、トキオシティはまだ人口自体が少ないから、いつもだいたいこんな感じで予約が捌けたら営業終了しているみたい。何だかちょっと羨ましい。


 集めた私の髪の毛を、テーブルの上に敷いたビニールシートの上に広げて全員でそのテーブルを囲む。こうやって改めて見てみると、やっぱり異様ね。絶対に変だって分かる。


「で、ミモザちゃんに聞きたい。これって何なのかな」

「元だけど私の髪の毛?」

「でも見た感じは鋭利な針ですよね。ただ、針に見えるのに私達の体には刺さらないみたいです」

「不思議だよ。物には普通に刺さるみたいだけどね。観葉植物にも刺さったね」

「でも、私が触れると消えちゃうわ……ね」

 そう。消えて無くなった。


 みんなと一緒に集めようとして、針になった髪の毛に触れた途端にすっと、色が薄くなっていってまるで空気中に溶けるようにあっという間に消えた。全員の動きが、そのタイミングで止まったのは言うまでもない。私だって想定外だったし。


「あー、もう。何もわかんないって、何だかストレス」

「……亜美ちゃん?」

「だってさミモザちゃん、ミステリーだよミステリー。テレビ画面の向こう側で芸人さんがレポートしてる、何だか知らない世界の話じゃなくて、目の前で起きてるモノホンのミステリーなのにっ!」

「あ、うん」

「こんなチャンス二度とないのにっ」

「えっと……また、普通に髪は切りに来るわよ?」

「よし。絶対にそれまでに、この針髪を検証してレポートにまとめとく」

「て、店長?」

 さすがにそのままにしておくと危ないから、触れて消そうとって思っていた針髪を、まるで宝物を扱うかのように仕舞い始めた。確かに、コレミステリーよね。自分のことながら、全く現実感がない。


「明日……休みをもらって、病院に検査にでも行ってみようかしら……」

「あ、何かわかったら私にも教えてね?」

「ふふふ、わかったわ」

 少なくとも、私の針になった髪の毛が、ものには刺さるけれど私達には無害だって事がわかったから、とりあえず良かったと思う。


 時計を見ると、いつの間にかお昼は大きく回っていて、午後一時を過ぎていた。


 けっこう、ワイワイ騒ぎながら検証していたから、思いの外時間が経過していたのね。買い物をする時間が無くなっちゃったけれど、今日の会議自体は三時からだからまだ多少は時間がある。

 今日は何だかパスタの気分。今更ながら空いてきたお腹を押さえながら、馴染みのパスタ屋さんに向かった。




 食後に、散歩を兼ねて自然公園を歩く。

 いつものパスタ屋さんがお休みで、携帯電話で探したお店がちょうど今日オープンしたらしくて、開店記念セールをしていた。そして頼んだペペロンチーノパスタが、まさかの大盛りだったのよね。それが予想以上に美味しくて、ついつい完食してしまった。


「まさか、三人前がお腹に収まるなんて自分でもびっくり」

 何てことない、食べすぎたのよね。おなかが苦しい。


 トキオシティの都庁周りの、やたらだだっ広い自然公園の歩道を都庁の方向に向かって歩く。

 自然公園が植樹された当時はどこから見ても人工の森だったけれど、さすがに半年も経てば普通に自然の森らしくなる。整備された歩道もあるし、下草なんかも自動で草刈りをしながら動く草刈り機で整備されていて、散歩をするにはもってこいなのよね。


 ふと視界の端を白いものが横切った。気になって歩みを止める。

 目を向けると、茂みの中に入った後で反対側の茂みから白いうさぎ飛び出てきた。まさかもう兎が自然繁殖しているのかと、びっくりして目で姿を追っていたらその直後に、丸いモコモコとした毛玉が飛び出てきた。


「……えっ、羊?」

 思わず目をこする。

 私の声に、二匹がその場で止まって私の方に顔を向けた。兎は、白毛の兎で動物園でも見たことがある普通の兎。でも、その後ろの羊は羊にしてはあまりにも小さかった。

 大きさが兎と変わらない羊なのよね、そもそも子羊だってここまで小さくない。羊に見える、羊みたいな何か。どちらかといえば、雑貨屋のデフォルメされたぬいぐるみの羊にも見えるけれど。でも、動いているんだから生き物なのよね、きっと。


 そんな二匹が、円な瞳で私をじっと見ていた。

 見ているだけで可愛いしなにより、何となく動いちゃ駄目な気がして、そのまま観察していたんだけれど、段々と足がしびれてきた。やがて、兎が私から目をそらして再び走り出す。


『ふむ……まだ、覚醒まではしておらぬか……』

 駆け出した兎を追うように走り出した小玉羊から、声が聞こえた気がした。

 そのままその先にあった茂みに飛び込んで、私の視界からいなくなった。いなくなってからしばらくして、ふと違和感を覚えた。


「……えっ? いま、何て?」

 小玉羊が聞こえたその声があまりにも異常だったことに気づいて、私は少しの間呆然と立ち尽くすことになった。




 自然公園を抜けて、都庁エリアに出た。羊は……まあ、諦めたわ。何だかわからなもの。

 トキオシティの中心に立つ都庁の周りに、高層ビルが立ち並んでいる。ここは都市の中枢なんだけど、今はまだ都市としてあまり機能していないから、この時間でも人通りも少なく、道路を走る車も疎らだったりする。


 歩いたことでだいぶお腹がこなれてきた。

 腕時計を見ると、二時ちょっと前。もうじきバスが来るから、都心東のバス停からバスに乗って、方舟の機関区に向かうことにする。 

 バス停について、ふと、伊吹のことを思い出した。確か今日、大学の山間キャンパスを退去して方舟に向かうって言っていたっけ。


 そんな事を考えながら、バッグから取り出した携帯電話に指を走らせる。

 電話、出てくれるかしら――そんなことを思いながら、伊吹に電話をかける。コール音を五回くらい数えて、そっと携帯電話を耳から離して終話アイコンをタップした。


「きっと、今は電話に出られる状態じゃないのよね」

 待合所のベンチに座って一息つく。

 頬を撫でる風がちょっとだけ冷たい。反面、ドームの人口の光源から照らされている明かりが、何だか日差しを浴びているみたいに暖かい。日差しが届かない方舟の外は、日を追うごとに気温が下がっていて、いずれ人が住めない極寒の世界に変わるって、偉い人が予測していた。今はまだ、中途半端な温室効果で冬装備ぐらいで過ごせているけれど、遠くない未来に地球は凍る。


「お母さんは、覚悟の上……なのよね、きっと……」

 方舟の船長である父と、仕事で右舷機関を作っている私はこのまま方舟に乗って宇宙に旅立つ予定。でも母は、地球に残って地下に潜む選択をした。地球が滅びに向かっていても、大地から離れられないみたいで、別れ際の悲しい瞳が、今も脳裏から離れない。


 風の音を聞きながら、呆然とビルを見上げていたら脇のカバンの中の携帯電話から着信音が聞こえてきた。多分、伊吹からの電話。


『もしもし、ミモザ?』

「あ、伊吹? もしかして、さっき電話したの迷惑だったかしら?」

『いや……とりあえずは大丈夫かな。ちょうど防護服を着ていて出られなかっただけだよ』

 幼馴染の、聞き慣れた声にちょっと沈んでいた心が温かくなってくる。


「ほんとうに? 何だか伊吹、いつもと調子が違う気がするわ。もしかしてまだ出発できなくて山村キャンパスにいたりする?」

『それは大丈夫かな、今は高崎にいて三時のバス待ちだから』

 それなら、夜には顔を見ることができるのかな。

 でもたしか今日は、都心を中心に濃降灰注意報が出ていた気がする。いつの間にか耳元に、さっきまでいた繁華街の賑やかな音楽と、遠くで人の喋る音が聞こえてくる。


 ほんの少しの違和感。


「そうなのね、それならいいわ。方舟の乗船登録は今日なのよね? 今日は噴煙がいつもより濃いみたいだけど、バスは走ってるかしら。方舟の出航予定は来月末だから、慌てなくてもいいのだけれど」

『バスの運行に支障はないって、駐屯地で確認済みだよ。時間にも余裕をもたせてあるし、夕方には連絡船に乗れる予定だから、遅くとも夜までには方舟の乗船手続きが終わると思う』

「連絡船、混んでいなければいいけど」

『それも事前に予約してあるから、乗りそびれる心配はないかな』

「それなら安心ね。夜に着くなら、仕事上がりに西ゲートで待っているわ。もし予定が変わったら、早めに連絡くれると嬉しいわ」

 その後は流れで、今日あったこととかとりとめのない世間話に変わった。いつもみたいに私が色々喋って、伊吹がそれに相槌を打ってくれる。切った髪の毛が針みたいになった話をしたら、吹き出して笑われたわ。本当なのに。

 そうしていると時間が経つのは早いもので、バスが来る時間が近くなっていた。


『ところでミモザはこれから仕事?』

「ええ。私もこの後、三時のバスで現場に向かうのよ。今日は明日からの打ち合わせだけだから、ちょっと退屈なのだけれど」

 話を終えて電話を切ったあとで、今更ながら今朝見た夢のことを思い出した。話題に出せばよかったのかしら、夢の中で伊吹といたって。でもさすがに、伊吹を夢の中で見たなんて言えないわよね。

 ふっと、息を吐いた。


 そして世界が、唐突にその姿を変えた。


『ドゴーン――ガシャーン――』

 大きなものがぶつかる音と、ガラスが砕け散ったような派手な音に、その音がした方に顔を向けた。

 横転して天井をこっちに向けたバスが猛烈な勢いで滑ってくるところだった。


 バスは、時間通り来た。でも待って、これってどういう状況なのよ?

 思わず立ち上がったけれど、そこから足が動かなかった。


 耳元から賑やかな音が聞こえてくる。

 異国の音楽。鈴の鳴るような声で、唄う声がゆっくりと遠くなっていく。

 動けないまま、バスの天井が目の前に迫ったタイミングで、世界から色が消えた。


 モノクロに変わった世界が、唐突に停止した。

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移民船『方舟』丸ごと転移。私はそこでイブキを探す。 澤梛セビン @minagiGT

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