一話 朝になったら、私が私じゃなかった。
ゆっくり意識が覚醒してくる。
昨日の仕事の疲れが残っているのかな、ちょっと体が気怠い。それに、さっきまで見ていた不思議な夢をしっかりと覚えている。
夢なんて見るの、久しぶりよね。
そんなことを思いながら、寝返りを打った。
長い髪が顔にかかってきたから手でどかそうとして、そこで思わず動きが止まった。
「え……何で、金髪?」
常夜灯の明かりは暗いから、本来なら髪の色なんて分かるはずはないんだけど、私の目に映ったのはそのくらい常夜灯の光すらも透過する金色の髪だった。何で、どうなっているのかしら。
私は、私……なのよね。違う私……なんてことないわよね。とりあえず確認。
私は、葛城ミモザ。名前は両親の趣味の影響でカタカナだけど、純粋な日本人。その両親だって、二人共に純粋な日本人だから両方とも髪の色は黒なの。更にその上、どっちの祖父祖母ともに白髪だったけれど、元は黒だったのを写真で見て知っている。
うん、大丈夫。
私は葛城ミモザ。
大きく息を吐いて、ベッドから起き上がった。私が起きたことをセンサーが感知して、部屋の照明が明るくなった。
サラサラの髪が私の動きに合わせて流れる。さすがに明るくなった部屋で、見間違いじゃなかったってはっきりと思い知った。
私の髪、金髪になっている。
それも光が透けるほどの、純粋な金髪。脱色や染色とかじゃとても出せない色に、思わず頭を抱えた。仕事は順調だし、特にストレスを感じていない……と思う。今日だって、午前に美容院に行くために半休を取った。
眠る前にはゆっくりとお風呂に浸かったんだけど、その時は髪がちゃんと黒だったことを覚えている。
「夜には久しぶりに伊吹と会うんだし、ちょっとお洒落しようとは思っていたけれど……」
さすがに髪を染めるつもりはなかったのよね。
ベッドから起き上がって、寝間着のまま部屋を出る。
この家に住み始めてから半年、未だに新築の匂いがする。一軒家だけれど家具が少ないからか、毎日帰ってきているけれどどうも自分の家っていう実感が無いのよね。
移民艦『方舟』の中にある居住区。
本当は家族三人で住む予定で買った家なんだけど、今は私一人しかいない。予定が変わったっていうか、環境が変わった結果なのよね。
家を買った当初は東京湾上に建造していた新東京都だった。東京都の人口密度が多くなりすぎて普通に土地が足りないから、東京湾上に新しく湾上都市を建造するっていう国家プロジェクトが推められていて、たまたま父が建造を請け負った会社の社長だった。
それが、太平洋の巨大火山噴火の直後に、人類移民計画でいきなり世界規模のプロジェクトに格上げされた。新東京都は、そのまま人類を宇宙に運ぶための移民宇宙船『方舟』に建造目的が変わったの。
もともとが全天候管理型の人工都市を目指していて、地上に居住都市、複数階ある地下層に農業階層をはじめとした、海洋層、工業層など様々分野の生産階層を包括していた。有事の際には生産から消費まで全てのサイクルがここだけで完結する強力なシェルターになるように、国の総力をかけて建造が推められていた。
海中に沈んでいる部分を含めるとほぼ球体に近い形状の都市なの。堅牢さだって、重力の問題さえクリアできれば、この都市単体で宇宙に飛び出したとしても問題ないくらいの。
たぶんそこが、計画格上げされた原因だとは思うんだけど。
父はそのまま、方舟の船長として抜擢されてそのまま方舟の管理区に生活している。母は、地球から離れることを拒んで父と喧嘩別れして、今はどこかの地下都市で生活していると思う。
あの時は、さすがに悲しかったわね。母には少し幻滅したけれど。
階段を降りて、洗面所に向かう。
私の先回りをするように点灯する自動照明はなんだか無機質で、一人で生活していると自分だけ違う世界にいるように感じてくる。いつもなら慣れて気にならないんだけど、今日は何だか気がつけば早足になっていた。何だか胸の辺りがざわめく。
洗面所を素通りして、玄関で靴を履かずにそのまま扉を開けて外に飛び出した。
「あっ……眩しい……」
いつもより遅く起きたからか、ドームに吊るされている疑似太陽が優しい光を放っていた。休みだから、起床時間も二時間ほど遅い。そっか、いつも真っ暗な時間から出勤してるもんね。
天井ドームには降り続く火山灰が積もっていて、半年前に見えていた青空はあれから一度も見ていない。
それでも見慣れたいつもの景色。見回せば、新東京都として造られたトキオシティの町並みには降灰もなくて、木々が光を浴びてサラサラと葉を揺らしていた。
私はゆっくりとその場に座り込んだ。芝生の感触が露出した手足をくすぐる。
良かった、夢じゃないのね。
金髪は……まあ、いいか。濡れ羽色の髪は好きだったけれど、この黄金の髪も悪くないわ。一晩で何が起きたのかはわからないけれど、少なくとも私の周りは変わっていない。それなら何とでもなるかもしれない。
何とかなるって思っていた時が、私にもあったわね。
鏡の前で顔がひきつってるのが、自分でもはっきり分かる。変色したのは髪だけだと思っていたけれど。どうやら認識が甘かったみたい。
「瞳も金色。眉毛も、まつ毛も、何なら全身の毛が金色って、どう言うことなのよ……」
今までで一番の速さで顔を洗って、洗濯機に寝間着を放り込むと自室に全力ダッシュした。適当に服とズボンを着て、クローゼットを全力で開けた。引っ越ししたとき積み上げたままのダンボールたちが、びっくりして崩れ落ちてきた。慌てて飛び退いて、下敷きになることだけは免れる。
小さい頃の写真を入れたアルバムを開く。大丈夫、髪の毛も眉毛もまつ毛も黒ね。
机の上のパソコンを起動させて、私の今の顔を認識させて写真を検索する。出てきたのはやっぱり、見える範囲で黒い毛色の私。一番最近の日付は一週間前だから、異常なのは今の私……なのよね、きっと。
その後も庭で体を動かしたりしてみたけれど、毛の色が変わった以外はいつもの私だった。
仕事でそれなりに体を動かしていたつもりだったけれど、何となく運動不足だってことだけはわかった。運動……しなきゃよね。
「美容院……どうしよう。予約してあるし、髪の長さは昨日と変わっていないから……」
そんなことを考えながら外行きの洋服に着替えて、足は自然と美容院に向かっていた。
まだ住人が疎らな住宅街を抜けて、その先にある大型ショッピングモールに向かって歩みを進める。
先週から、方舟の『乗員』としての住民の受け入れが始まっていた。
方舟の中心でもあるトキオシティの区画分けは東西南北に住宅地を置き、それぞれの区画の間に等間隔で大型のショッピングモールや病院、庁舎など主要な施設が建てられている。ドーナツ状に区画が囲む円の中心にはトキオシティ中央庁舎があって、その周りは広大な自然公園になっているのが特徴なの。
住民の受け入れは北区から始まって反時計回りに進められているから、私が住む東区が賑やかになるのは一番最後の予定なの。
前から走ってきた自動運行のバスが、徐行しながらゆっくりと私の横を通り過ぎていった。
交通は基本的に自動化されていて、バスの他にも小型乗用車が都民の足として各地に配備されていて、自宅から経路予約すれば家の前まで迎えに来てくれる親切設計だ。個人所有できるのは基本的に二輪車だけなんだけど、大抵がそれで事足りる都市づくりがされている。
先進的な都市だけれど、何だか息苦しく感じる時もある。こう、あれもこれも自動化されると、雑多な旧東京都が何だか懐かしく思えてくる。もっとも、その旧東京都は既に火山灰にまみれて都市機能は停止していて、その雑踏すら過去の思い出なんだけど。
「ここはいつ来ても人が多いわね……」
ショッピングモールの中は閑散としていた外に比べて、それなりに沢山の人が買い物を楽しんでいた。様々な国籍の人々がいて、否応なしに国際プロジェクトであることを実感させられる。今ここにいる人たちは全て、方舟の乗員だ。
この都市で生き、この先も世代を重ねていく。いずれ人類が入植できる星にたどり着いたときに、都市部に接続された倉庫区、その中の移民艦に眠る『移民』の人たちを蘇生させるのが私達乗員の大切な使命だ。
まあ、美容院に行くだけでそんな余計なことを考えているってことは、どうもまだ自分に起きた異変に納得できていないのかもしれない。
「あら、いらっしゃい。待っていたわミモザ……ちゃん……? え……もしかして、燃え尽き症候群?」
「えっと、うん。イメージはできたわ。違うから亜美ちゃん、私、普通に充実しているから」
美容院の椅子に座って私の髪をとかしながら、小学校からの腐れ縁でもある亜美が、正面の鏡越しに私の顔をじっくりと見てくる。改めて自分の顔を見たけれど、顔が日本人顔だからやっぱり何だか金髪金眼に違和感を感じる。
むしろ、正統派な黒髪黒目の亜美に、異様に安心感を覚えた。
「でも彼氏、今夜来るんでしょう? ミモザちゃんのその姿見たら、きっとびっくりするわよ」
「ちょっと、伊吹はそんなんじゃないわよ」
髪のボリュームを減らしてもらって、毛先を整えてもらう。
「それにしても、カラコンしてるわけじゃないのよね?」
「目は地の色みたい。自分でも何が起きてこうなったのか理解らないのよ。体調だって、別に悪くないし」
「そんな感じね。最初はびっくりしたけれど、いつものミモザちゃんだわ」
髪を洗ってもらって、トリートメントをかける。馴染んだ頃に洗い流し、髪を優しくブローしてもらった。使っているシャンプーやトリートメントは同じはずなのに、どうして後も仕上がりが違うんだろうって、いつも思う。
今日は金髪だから、仕上がりが余計に輝いているような気がした。
「ありがとう、亜美ちゃん。また来るね」
「うん。また来てね」
お金を払って、財布をバッグにしまう。
「店長……これ……」
「えっ、そんな……待って、ごめんちょっと待ってミモザちゃん。待って待って」
いつも通り会計を終えて外に出ようとしたところで、慌てた亜美に呼び止められた。
扉から手を離して振り返ると、亜美は手に私の髪を持っていた。
「ねえ、ミモザちゃんの髪、変なんだけど……見てくれる?」
私の日常は、ゆっくりと変わっていたみたい。
明らかに髪じゃない、白い針状の何かが、亜美の手のひらに乗ってた。
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