第6話 嫌な予感

「いらっしゃいませ」

「予約している朝日奈です」

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 次の休日、俺は啓太に紹介された美容室へやってきた。店の名前は《drop》。コンクリート打ちっぱなしの店内は、オシャレで落ち着いた雰囲気だ。所々にスタイリッシュな植物が置かれてある。


「今日はありがとうございます。本日担当させてもらいますコウです」


 席で待つ俺の所へ《コウ》という名の美容師がやってきた。

 コウは一見クールな雰囲気だが、笑うと少年のような爽やかさがあった。服装は店内の雰囲気にあった白と黒のモノトーンコーデだ。人気スタイリストと聞いていたが、得意になっている様子はなく、落ち着いた話し方をするのが好印象だった。


「朝日奈さんは、啓太さんのご友人とお伺いしてます。啓太さんって、お友達思いの良い方ですね」


 彼は会話しながらでも、慣れた手付きで希望したとおりのスタイルに仕上げていく。


「え? 啓太何か言ってましたか?」

「いえ、具体的には。ただ、『友達が悩んでるみたいだから心配』とだけ言ってましたよ」


 『余計なことを……』と一瞬啓太を恨んだ。しかしそれと同時に、俺のことも雫のことも全く知らない彼に話を聞いてもらうのも、中立的な意見が貰えていいかもしれないと思った。


「俺、長く付き合ってる彼女がいるんだけど、結婚するべきか迷ってて。もうこのままでもいいかな……なんて」


 コウは手を動かしながら、でも言葉を選ぶように話を続けた。


「その人は朝日奈さんにとって大事な人なんでしょ? だったら迷ってたらダメですよ。一度手放してしまったら、もう二度と元に戻れないですから」

「なんかリアリティのある話だね。コウさんももしかして後悔してることとかあるの?」

「……遠い昔の話ですけどね」


 その人のことを思い出しているのか、コウが悲しげな表情をしているのが鏡越しに見えた。



 カットが終わり支払いを待っていると、一人の女性が店に入ってきて、『優介、今手空いてる?』と誰かに話しかけた。

 ぼんやりとその様子を眺めていると、コウが『今終わったとこ』と答えているではないか。気になった俺は、思わずコウに話しかけてしまった。


「コウって名前じゃないんですか?」

「いや、それはお店での呼び方で、本当は香月優介と言います。苗字の《香》から、コウと呼ばれてるんですよ」


 俺は《優介》という名前に引っかかりを感じた。随分昔にその名前を聞いたことがある。そんなに珍しくない名前だから、仕事関係の人だっただろうか……? しばらく記憶を辿っていると、俺は突然、《優介》という名前をどこで聞いたのか思い出した。


(……優介。そうだ、雫だ!)


 雫と付き合い始めた頃、雫が寝言で彼の名前を呼んでいたのだ。


(あの時は確か、『優介って誰だ?』って喧嘩したっけ……)


 《drop=雫》という名前のこの店、《優介》と呼ばれる男の存在。ただの偶然かもしれないが、これから先、二人を結び付けてはいけない気がした。

 俺は無性に彼を牽制しておきたくなり、優介の前に立ち、彼の目を真っ直ぐに見据えた。


「さっき話した俺の彼女、このお店の名前と同じで《雫》と言うんだ」

 

 優介の笑顔が一瞬固まったように見えた。

 結婚に対してあんなにマイナスな考えしか持てなかったはずなのに、彼を前にすると、今決断しておかないときっと後悔する、という思いに不思議と駆られた。


「コウさん、ありがとう。俺、彼女との結婚ちゃんと考えるわ!」


 優介はすぐに表情を元に戻し、笑顔で『応援してます』と言った。


 晴々とした気持ちで店を出たその時、背後から急に腕を掴まれた。驚いて振り返ると、営業部のあの女が俺の腕に絡みついてきた。


「朝日奈さんだぁ! 休みの日に会えるなんてラッキー!」


(なんでこのタイミングで、こいつに会わないといけないんだ……) 


「腕、離してくれる?」


 俺はいつもの営業スマイルで女を遠ざけようとしたが、女は離れてくれない。

 優介が責めるような目でこちらを見ているような気がして、俺は腕を掴まれたまま、急いでその場を離れた。

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過去のイマカレ 未来のモトカレ (旧題:彼と彼女の初恋) 元 蜜 @motomitsu

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