From me
ヤチヨリコ
ラブレターをあげる
街はテクノロジーで出来ている。
ロボット技術の発展と普及で仕事のあれやこれやが全自動となり、ロボットによって人間がやらなくてもいい仕事が増えた。
でも、私の恋人のビルは全自動化の波に乗り遅れたのか全時代的な手動での仕事をしている。
そのせいで私とのデートはすっぽかしてばかりだ。
「俺たちは軍人や医者と同じなんだよ。必要とする人がいるのなら行かなくっちゃいけない」
彼はそう言うばかりで、休日に呼び出されても仕事を優先してすぐに駆け出していく。彼の仕事は生活に特別必要なものではないと思う。ただの配達の仕事だ。そのくせ、実際に表立って働くのは一日とか二日。どうにも割に合わない。
彼のいない部屋に帰ってくると、彼のために選んだ靴を脱ぎ捨てて、そのままベッドへ飛び込んだ。しばらく動かずに宙を見つめて寝そべっていたが、お気に入りのワンピースに皺がついてしまうのが嫌で、重い体を起こす。
『すまない』彼からの謝罪のメールはいつも一言だけ。
すまないと思うのならその気持ちをそのまま伝えればいいのに、彼はただ一言『すまない』と四文字を打ち込むだけで終わらせる。仕事終わりに電話をかけてくればいいのに、それもしない。
「あ〜あ、別れたほうがいいのかなあ……」
ビルのことは好き。でも、彼には悪いがそんなビルに少し疲れてしまった。
ビルの気持ちが私から離れているわけではないのはわかってる。
ただ彼は彼の仕事をしているだけ。軍人が国を守るように、医者が人を助けるように、自分の仕事をひたすら実直にこなしているだけ。ただそれだけ。
それでも彼の態度がなんだか違うように感じられて、そんなふうに思う自分自身にも疲れてしまう。
何度吐いたかわからないため息。
彼と出会わなければこんなふうにため息をつくこともなかったのに……。
いや、誰と付き合っても悩みは尽きないよな。
そう思い直して背筋を伸ばす。
彼のことを思うと高鳴っていた心臓は今はもういつもどおりの日常と同じ。
キラキラ輝いて見えた彼との思い出が今は嫌なことばかり思い出す。
それでも別れられないのは、ビルと別れるのが嫌なんじゃなくってビルと別れて一人になった自分を想像するのが嫌で嫌でしかたなくって別れられない。
そんな自分が情けなくってみっともなくって恥ずかしいんだ。
◇◇◇
『すまない』
『別れよう』と打ち込む。それを消す。
『もう疲れたよ』と打ち込む。それを消す。
結局何日か後にありふれた文章をニ、三行打ち込んで送った。
毎日部屋で顔を合わせているのにこんなことも言えない。
◇◇◇
ビルが私の働くおもちゃ屋にやってきて、おもちゃを数点買っていった。
私は愛想笑いしかできなくて、彼も私に声をかけなかった。
仕事終わりに親友のレイチェルに夕食をいっしょに食べないかと誘われたので、私は特別用事があったわけでもないので承諾した。どうやら私は浮かない表情をしていたらしく、遠回しになにかあったのかと訊ねられたので、素直に打ち明けてみることにした。
「えーっ! そんなことで悩むんだ!」
「しーっ……声が大きいよ」
夕飯時で人はそれなりにいるものの、私たちのほうを見る人や会話を聞いていた人はいないようだった。ロボットがちらりとこちらを見たけれど、私たちを見たというより方向転換をしようとしてこちらを向いただけのようだった。
「ごめん。でもそんなことくらいで悩まれたらあたしら何もできないっていうか」
レイチェルは申し訳無さそうな顔でぼそっとつぶやいた。
ビルの同僚でもある彼女はどうやら少し事情を知っているらしかった。
レイチェルの恋人も知っているが、私のような悩みはこれっぽっちもないですよというような雰囲気で悩んでいそうな気配すらない。
「一日だけしか表舞台に立てなくってもね、その裏じゃ部外者が考えつかないくらい色々動いてるの」
「……知ってる」
「まあ、そうだよね」
「でも、ロボットだって同じ仕事できるじゃん」
言葉に出したら止まらなかった。
「配達の仕事って言ったってロボットがやろうと思えばやってくれるわけでしょ? 郵便配達だってデリバリーだってロボットがやってる。それなのに、ロボットにやらせないで人力でやってるのってすごくダサい」
私は心にもないことも言ったし、心から思っていたことも言った。それをレイチェルは相づちも打たないで、真剣な目をしてじっと聞いていた。
「もう、疲れたよ。別れたい」
最後の一言だけ吐き出すと、力尽きて、椅子の背もたれにもたれかかった。
本心だったか嘘だったか自分でもよくわからない。わかったのは、彼のことが嫌いではないことだった。
「ビルのこと、好きなんだ。呆れるくらい好きなんだ。だから彼の
途中途中で涙声になりながら、本音が溢れる。身体を横にしたらフタの開いたペットボトルみたいに本音がどばっと溢れそうだったから、深呼吸をして姿勢を正した。
嫌な思い出ばかりを思い出す。喧嘩の原因はいつも私で、ヒステリックに怒鳴り散らしてビルを責め立てたのも私。喧嘩のあとの冷戦期間がいつもいつまで続くのか気が気じゃなかった。いつまでもいつまでも不安だった。それ以上の不安が胸の内でくすぶっている。
「もうすぐ、クリスマスだよ」
ようやく口を開いたかと思えば、レイチェルは脈絡もなくそんなことを言った。
「……クリスマスだけど、なに?」
「お互い忙しくなるね」
「まあ、ね」
「ね、おもちゃ屋さん」とレイチェルは身を乗り出す。
私がおもちゃ屋で働いているから、おもちゃ屋さんとレイチェルは私を呼ぶことがある。たまにビルがそう言うときがあったなと思い出す。
「こどもたちの笑顔を見るためならさ、あたしらサンタクロースはなんだってやるよ」
あまりの脈絡のなさに、ため息ついでに脱力した。
こんな彼女だからこそ不安症の私と上手くやっていけるのだろうと改めて思う。
「みんな誰しもこどもだったわけでしょ」
「そうだね、うん」
何が言いたいのかさっぱりわからない。
「つまりはさ、昔こどもだった大好きな人の笑顔も見たいって思うサンタクロースはいっぱいいるってこと」
レイチェルはウインクして、いつものようにデザートにホールケーキを頼んだ。
私は彼女らしいなと思ったので、明らかにレイチェルの食べた金額のほうが多いのにも関わらず、割り勘しようと提案した。
レイチェルは「ありがとうね」と言うと、「ちょっと早めのクリスマスプレゼント……って言ったってサンタサービス申し込み用紙の余りなんだけど、あげるよ」と、赤い服に白いひげのおじいさんとトナカイが描かれた可愛らしいレターブックを渡してくれた。
「クリスマスは人に贈り物をするばかりでもらうことなんてないから、手紙だけでももらうと嬉しいと思うよ」
ここ、とレイチェルが便せんのサンタクロースへのメッセージ欄を指差す。
「それに、手紙だったら伝わるかもね」
「手紙なんて書いたことないし……」
「メールは書けるんでしょ。だったら書けるって」
「でも……」
「『でも』も『だって』もないの。書かなきゃプレゼントは届かないよ」
でもでも、だって。
ずっと繰り返すとレイチェルはしびれを切らして、「直接言えないしメールも書けないんでしょ。だったらこうするしかないじゃない」と突き放すように言って、使いかけのレターブックを押し付けていった。
じゃあねと二人で手を振って、私はとりあえず押し付けられたレターブックを家に持ち帰ることにした。
直接でもなく。
メールでもなく。
――手紙。
ああ、どうしよう。
◇◇◇
渡されたから、手紙を書くことにした。
でも、書けない。
休みの日にレターブックを広げて机に向かってみても、さっぱりだ。
『別れよう』も『もう疲れたよ』も書いて、捨てた。
どんなに言葉を重ねても気持ちがビルには届かないような気がして、そんな気持ちに従って、書いては捨てて、書いては捨てた。
結局、ボールペンを投げ出し、クッションに体重を預けながら、天を仰いだ。
――ずっといっしょにいるのに彼の心を私は知らない。
ビルの好きな曲はちゃんとした音楽じゃなく、雨の音。
「俺は君とこの部屋で雨の音を聞いていたいんだ」
雨の日は彼とテレビもラジオもつけずにずっといっしょにいた。
ビルの好きな食べ物は甘い物。それも大柄で強面な彼に似合わないくらいかわいいケーキが好き。私は逆に甘い物が苦手で、カフェなんかにいっしょに行くと、私にケーキ、ビルにブラックコーヒーが目の前に置かれて、そういうときは二人で顔を見合わせて笑って、お互いの目の前に置かれた物を交換した。
ビルの好きな物は思い浮かぶのに、彼への言葉はまったく思い浮かばない。
私は多分文章が得意なわけじゃない。頭の中は伝えたいことばかりなのに、いざ言葉にするとなると頭が真っ白になって書けなくなる。何度も何度も書き直しても、上手い文章になることはなく、むしろ下手な文章になっていった。
――もう、思ったことを書こう。
今まで必死で考えた下手くそな文章を捨て去って、心のままにペンを走らせる。書いて、失敗し、また新しいページに書き直して、失敗。五回目でようやくきちんと形になった文章が書けた。
――ああ、こんなに簡単だったんだな。
書き終わると、息を止めていたのに気づいて、深く息を吐いた。
クリスマスの夜、恋人のいない部屋で一人きり。
プレゼントが入る大きな靴下に手紙を入れて、静かに眠った。
◇◇◇
サンタさんへ
メリークリスマス!
私には大好きな人がいます。
彼といっしょにいられるだけで幸せです。
けど、彼は忙しいのです。
でもね。彼とベッドで眠る毎日が大好きなんです。
疲れ切っててくたびれててかっこよくはないんだけど、こどもたちの笑顔のために働く彼はかっこいいし素敵だと思います。
だから、彼といっしょにいられる毎日をくれてありがとう。
恋人より
◇◇◇
ビルは毎日、日をまたいで部屋に帰る。クリスマスの日は、毎年日が昇るまで働くから、いつもぼろぼろにくたびれて部屋に帰るのだ。
部屋に帰ると、恋人が眠るベッドに、嫌になるほど見た靴下がぶら下げられていて、恋人がやったのだと一目見てわかった。
入っていた手紙を読むと、ビルは恋人にキスをして、恋人の隣で眠った。
これだからロボットには任せられないのだとビルは思う。
From me ヤチヨリコ @ricoyachiyo0
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