第51話

「どうしたのそんな顔して?」


 私は立ちすくんだまま真由美の顔を見ている。


「まるでハトが豆鉄砲食らったみたいよ。それより早く支度してくれる?もう引越し屋さんが来る時間なんだから──」


 その声を聞いて辺りを見回しながら振り返る。視線の先にはトイレがあった。


(そうか・・・あれからトイレに・・・・)


 再び真由美に喝を入れられ慌てて身支度を済ませ外へと出た。


「おはようございます!」私をまるで待っていたかのように爽やかな声が届く。胸にゴリラのプリントを施した制服の女性が立っていた。目を移すとバンとトラックが見えた。


「旦那さんは今日もお仕事なんですか?」


 当たり障りのない会話を交えて私は車に乗り込みエンジンを掛ける。そして走りながら考えた。


(そうか・・・今日は引っ越しの・・・ということは離婚届も出して・・・・)


 無意識に運転しているようだが、店の方角に向かっていることに気付いた。すると何かを思い出したように路肩に車を止めて発信ボタンを押す。三回で声が聞こえた。


《どうしたんですか?島さん》

「圭ちゃんか?圭ちゃん!?」


《ええ。急用なんですか?》

「いや・・・そう言うわけじゃ・・・。それより具合の方はどうだ?」


《具合ですか!?ま~ちょっと違和感はありますけどね。だいぶ調子はいいですよ》


 これが現在の会話であったらと携帯を持つ手に力が入ったが、悲しいかなこれは過去で圭ちゃんの言う具合とは車で起きた事故のことなのだ。それでも声が聞けた喜びは大きく今にでも喉がつまりそうだった。


 一時間でも話していたかった。だが、長引かせる理由も無く引っ越しを見てるのも辛いからと適当な話を装って電話を切った。さすがに日曜とあって店に辿り着くのも早かった。


 鍵を開けて中へと入る。手には小さなカバンが一つ。この中には着替えが入っている。家族で過ごすための衣装だ。


 それまではここで時間調整しなければならない。私はカウンターの椅子に深く腰を下ろしタバコを銜える。この場面は記憶に新しい。ただし、外は明るい。


 暇を紛らそうと電話を手に取る。


《もしもし》


耳に心地良い声が響いた。


「あ~俺!ちょっと声が聞きたくなってさ」

《アハ‥。もうそんな見え透いた嘘言ったりして、何かあったの?》


「いや別に。ほら前に話しただろ『レインボー』で買い物するって──。そうそう。それが今日なんだけどさ、まだ開店までに時間があって──。ま~そんなところかな」


 十分ほどの会話を終えた後、私はバッグから取り出した服に着替えた。白のスラックスに長袖のカラーシャツの上にブルゾンを羽織った。オープン十五分前。ちょうどいい時間だと車に乗り込んだ。


 駐車場に乗り入れるとすぐに真由美たちの姿を見つけた。開店早々なので何台かの車はあったが、アスファルトの中に引かれた白線が一望出来るほどだった。真由美の車の隣に止める。


「お父さんっ!」早速千明が駆け寄ってきた。

「待ったか?」


「ううん。私達もさっき着いたばっかりだから」そう言って真由美は微笑む。早くも名演の始まりなのだと私もそうかと爽やかに笑った。


 真由美がチャイルドシートから里美を抱きかかえる。千明は私の手を握っていた。数人が開店を待つように扉の前で立っているのが見える。私達が近付くとそれを待っていたように内側から扉が開けられ、何人もの店員たちが両サイドに並んで頭を下げた。


「さ~て、じゃ~どこから行こうかな?」


 私の声に千明はピョンピョンと飛び跳ねている。そのたびにグイグイと手が引っ張られた。


「お父さんのとこから!」

「おっ!お父さんが一番先か」


 エスカレーターに乗って紳士服売り場へと向かう。思えばこんなところでしばらく買い物などしていないと、冬の気配を感じさせる売り場の服に目を走らせていた。無縁だと思っていた服もおかしなもので見ているうちに、それを着て誰かと歩く姿などが膨らんで来る。そのうちこういうのでも着てみようか等と考えていると真由美に呼ばれた。


 手には一本のネクタイがあった。近付いていくとスッとそれを私の首元にあてる。冠婚葬祭以外でネクタイなどしたことのない私は、戸惑いはしたもののこれも子供達のためだと、ちょっと気取って見せた。


「似合わな~い」早速、千明のダメ出しが飛び出す。他の柄も試したがどれも同じだった。


 駆け足のように通り過ぎた後で、次はお母さんのところと千明が言った。


「おっ!婦人服売り場か」そう言いながら場所を探すように目を向けると、

「婦人服ってのも古いわよね。レディースコーナーとでも言って欲しいわ」


 笑いながら真由美は言ったが、やや皮肉も混じっているようにも思えた。ミセスからミスになるのだからとでも言いたいのだろう。


 季節の移り変わりは早いとはいえ、服などの衣類の大半は冬物がメインだ。もちろん夫婦という鎖が切れた私達に買う服などは無い。適当に眺めながら歩いているだけだ。


 その一角に並べられていた帽子を手に取ってみる。無論場所が場所だから女物だ。手にしたのはフランス映画にでも出て来そうなヴィンテージスタイルの帽子で、ビーニーハットと記されていた。プレーンカラーは地味でも横のリボンがいいアクセントになっていて雰囲気はなかなかだ。それを真由美に差し出した。


 鏡を前に真由美がそれを被る。あまり見たことのないシックな色合いのワンピースに普段と違う化粧が重なって、知らない人のようにも見える。マッチングも良いし口には出さなかったが綺麗だと思った。


「似合う~っ!」千明の評価も上々だ。私もふざけて同じ帽子を被って見せた。千明は勿論のこと、真由美も呆れたように笑った。里美だけはなぜか手を叩いていた。そこから店内に漂う微風のように歩を進めると、真由美は立ち止まって冬物のコートに目を留める。


「ちょっと素敵ね」


 そう言ってベージュのチェスターコートを手に取り、サイズを確認するように袖を通す。


「買ってやろうか?」もう一方のブラックのプライスを見て尋ねると、

「やめとくわ」と真由美は私を一瞥して呟いた。


「着るたびに思い出すじゃない」返したのは笑いだけだった。



 ちょうどそんな時だった。私達の脇を一人の女性がスーッとすり抜けて行く。婦人服売り場だからごく自然に見える光景なのだろうが、私にはバチッと静電気のようなものが伝わり後ろ姿を目で追った。見覚えのあるワンピース。恵理香だとすぐにわかった。

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