第49話

 足音を殺して水月の居るベッドに潜り込む。BMでの疾走が出させたのは涙だけでは無かったようで、用足しをしたいからと圭ちゃんにコンビニに車を止めさせたのだった。


 つい今しがたまで過去へ行っていたとも知らずに水月は小さな寝息を立てている。このままあのトラックの圧巻映像の続きを夢で見ようかとも思ったが、確認しておかねばならないと私はそっと水月の尻に掌を触れる。そしてゆっくりと撫でてみた。


 起こすのは猫かライオンか。これはちょっとした賭けだ。恐怖心もあったらしく息を殺した。


 眠りが深いのか反応がない。そこでパジャマのさらにその下を通り越して直に行くことにした。ゆっくり優しくだ。すると、水月も気付いたのか、くるっと私の方に寝返った。



「もう、こんな時間に~?明日も仕事なんでしょ?」と眠そうな声を上げる。どうやら起こしたのは猫だったようだ。私は手を抜きホッと吐息をついた。



「寝てる時、お尻触ったでしょ?」


 朝食をとっている時、水月は思い出したように私の目を怪しげに睨んだ。


「いや・・・・なんで?」

「だって、下着がずれてたから」その表情からは確信までは無いといった感じだ。


「気のせいっていうか、寝相の問題だろ」

「寝返りくらいでお尻が半分も出ないわよ」更なる追求に私は首を傾げて惚けた。


 これがもしライオンだったらと思うとゾッとするが、水月の方に目立った違いはない。


 あとは・・・・。


 会話を交えるまでわからないとはいえ、どこか期待もあった。正しくは願望なのかもしれないが、着々と近付くにつれ心臓の鼓動も早まる気がした。ただ、前回のこともある。何も変わってないことも想定しておかねばならないだろう。


 ふと私は壁のカレンダーに記された数字に目を向ける。オヤッと思い目を細める。確か明日の命日にはマルが付いていたはずだと、今度はより近付いて目を凝らして見てみる。するとようやくマルが確認出来た。ただ、それくらいしないと見えないほど薄くなっている。気のせいじゃないと思いつつも、水月に言えば老眼の始まりだとからかわれるに違いないと、あえてそのことに触れずに家を出た。



 二十分ほど走ると店が見えた。直後、ディッキーズのつなぎが見える。掃除をしていた。隣の会社から誰かが歩いて行く。浅利だ。圭ちゃんと話を始めた。二人とも笑っている。この絵だけで十分だと思った。


 スピードが若干増したのは恐らくそのせいに違いなく、敷地に乗り入れるや私は二人に手を挙げた。二人の手も挙がった。


「おはようございます」声も揃っている。いつになく清々しい朝に自然と私も笑みが溢れる。


「あれ?なにか良いことありましたか島田さん」浅利の問いかけに圭ちゃんも似たような表情を見せる。


「腹痛が直ったって顔ですよ島さん」別に何もと惚けようとしたものの、昨夜の続きとばかりに涙が滲んで来そうだった。そして、これで終わりなんだと思った。終わってくれと空に向かって呟いてもいただろうか。


「じゃ、シジミちゃん。頼んだぜ!」


 圭ちゃんの一言に浅利は駆け足で会社へと戻る。それから私はピットに止められた大型トラックに目を移した。


「ええ。今日の朝一はあの車のビッグホーンなんで」その言葉に私は予定表を思い浮かべる。しかし、ここしばらくの予定表は頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。

「誰のだっけ?」


「ああ、初めてのお客さんなんですよ。キャビンの上にダブルで。ディフレクタが無い分、作業はし易いから午前中には行けるでしょ」


 ディフレクタとは空気の流れを良くして燃費を向上させるスポイラーである。そう言ったメリットもある為、大手の運送屋などは大抵このディフレクタを装備している。ただ、この個人の客にはそれが無く、パッと見では禿げた頭のようにも映る。


「だけど綺麗にしてるな~」

「凄いですよね。たぶん俺より磨き込んでるんじゃないですかね。どこもワックスでピカピカですよ」


 圭ちゃんが呆れたように呟き終えるのを待っていたかに浅利が両腕に長い箱を抱えて駆け寄ってくる。


「昨日入荷したばっかりの新しいやつですから、この辺じゃ一号じゃないですかね」


 浅利は今日の天気のように爽やかな声を残して早々に戻って行った。


 仕事終わりの昨夜、トラックを置きに来てまた今日の夕方に取りに来るらしく時間には余裕がある。その為、午後の予定などを眺めつつ圭ちゃんと一服していた。モワッと二人の煙が入り混じる。他愛も無いことがうれしく感じられた。


 仕入れをチェックしたら俺もすぐに行くからと伝えると、


「ゆっくりでいいですよ!こんなのチャチャッとやっちゃいますから!」


 圭ちゃんはそう言って横に立てた脚立からキャビンに上がる。場所を決めるのだろうが、軽やかな身のこなしに私は目を細めた。そして再び台帳に記された文字を追いかけはじめて、意識が数字に集中した時だ。



 ゴツッ!と耳慣れない音がした。部品か工具でも落としたのかと思ったりもしたが、それにしては何か身体に振動が伝わって来る感じだ。もっと重いものだ。


 そう思った途端、私はあわててピットに飛び込んだ。特に変わった様子もないと、ゆっくり車の反対側に回った時、突然雷にでもうたれたように立ちすくんでしまった。身体が動かない。声も出ない。恐らく一秒にも満たなかったのだろうが、私にはとてつもなく長く感じられた。



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