第45話

────「島さん。北斗船団の人にチラッと聞いたんですけど」


 店に着いて開店の準備に取り掛かっていた時、圭ちゃんは思い出したように話し始めた。


「鈴木さんが言ってたあの話ですが、どうやら桜井って人が夜叉連合の頭の人の娘をオモチャにしたみたいだって」

「オモチャに!?」


 咄嗟に、父親の台詞が過ったため良い響きには聞こえなかった。


「なんでも結婚するからとか言って金もだまし取ったみたいで──」

「結婚詐欺か?」


「世間的にはそうなるんでしょうけど、さすがに警察には届けづらいんでしょうね。それで内輪で探し出して落とし前を付けるって話だとかで」

「落とし前って、やくざじゃね~か!」


「でも昔はそうだったって鈴木さんも言ってましたよね」


 確かにそんな話は聞いたことがあると、私は腕を組んで考え込んだ。


「だけど、よくそんな話を北斗の人が知ってるな~?」

「悪い噂ってのは広まっちゃうんですかね?」


 なるほど、鈴木さんが言い辛いと言った意味がわかった。とは言え、生憎今のところは力になれそうな感じじゃないと鈴木さんの心中を察するだけだった。


 恵理香にも伝えたように今日は家に帰ろうと思った。店を出る前に恵理香に電話を入れる。帰宅したばかりだと話す恵理香の声は弾んでいた。私も声が聞けて良かったと思った。その声が一時間後くらいに役立つからだ。



──「今日もお泊りじゃなかったの?」


 おかえりも言わず真由美の先制攻撃が飛び出した。コンマ数ミリ私は後ずさった。

私を一瞥するとすぐにスタスタと背を向けて歩き出す。必要以上の話はないと言わんばかりだ。存在しない自分の居場所を探し求めるかに時を刻んでいると、子供達が寝静まった頃合いを見計らって真由美が私のところにやって来た。そしてスッと薄い紙を差し出した。


 名前はもちろんのこと、別居する前の住所等々、必要なところはすべて埋められ押印もされていた。しばし、その白い紙に目をやった後で、私はキョロキョロとペンを探し始めた。その様子をジッと真由美が見ている。


「もう決心はついてるって感じね。もっとごねるんじゃないかって思ったけど、要らぬ心配だったようね」


 皮肉にも反応せず探し続けていると、


「別に今すぐじゃなくてもいいわ。それから慰謝料なんだけど、いくらなんて言わないわ。その代わり子供達二人は連れて行くわよ!」


「ああ・・・わかった。欲しいものは全部持って行ってくれ」


「そうさせてもらうわ。この家は荷物になるからあなたが好きに使って!素敵な名前の人とここで暮らしても良いでしょうし──」

「・・・・・・」


「じゃ、私は引っ越しの準備に取り掛かりますから。そうそう、その用紙の提出日はあなたに任せますから、日にちでも決まったら教えてちょうだい」


 喉まで出掛かった二十日にしようはいったん飲みこみ、私はただ首を縦に振ってみせた。それから用紙をテーブルの上に置いたまま歩き出した。行先はトイレだ。



──「ったく、便所なげ~っつんだよ!」


 耳に覚えのある台詞に嫌な予感を走らせる。かつての西教習所のトイレの時と同じ時間に戻ってしまったのではないかと思ったからだ。聞き違いか気のせいか、そんな淡い期待は扉を出た数秒後には崩れ落ち私は肩を落とす。浅利の姿は見えなかった。


 圭ちゃんは立ったままこちらをジッと睨んでいる。


「出ましたか~?」


 トイレなのか便なのかわからなかったが、とりあえず返事だけは返しておいた。

すったもんだがあった割に圭ちゃんには何一つ変化がない。そう思った途端、浅利や水月までもという最悪のシナリオが頭に浮かんでしまった。考えただけでもゾッとする。


 さらにこのまま戻ることが出来ないとしたら、私はどう生きて行けばいいのか想像すら出来ない。


「調子悪いんでしたら俺が一人でやりますけど。かったり~・・・・」


 圭ちゃんにはぶっ飛ばして首にしろと嗾けられたが、とてもじゃないが言える雰囲気ではない。いずれは元に戻ってくれる。何より長年の付き合いがある。その言葉だけが今の私には大きな支えだ。


 朝一番で顔を見せていた浅利がやって来たのは閉店してからだった。


「珍しいな、こんな時間に営業か?」


 辺りを伺うような浅利に声を掛けると、栗原さんはと小声で尋ねてきた。


「圭ちゃんならもうとっくに帰ったけど──」


 すると浅利はホッとしたように私の元に歩み寄ってきた。


「実は昼間ちょっと忙しかったものですから──」

「入ってきた感じだと、そんな風には見えなかったけどな~」


 図星だったらしく浅利は頭に手をやって、圭ちゃんのことを喋った。


「営業がこんなんじゃダメなんでしょうけどね・・・・なんというか」


 後に続く言葉は大凡察しが付く。私とてどう対応していいものか弱っているところなのだと、当たり障りのないように浅利を労った。


「急ぎの注文があれば携帯の方に掛けるからさ。ちょっとの間我慢してくれ」

「ちょっと・・・ですか?ってことは誰か?」


「いや、そこまではまだ考えちゃいね~んだけどさ」


 上向きかけた気持ちは私の言葉でまた下降したのか、浅利は静まり返った店内に吐息を漏らした。


 そんな様子を見ながらも浅利が変わってないことに少なからず私は安心を覚えた。


 水月はどうなのか?浅利が帰ってからはそればかり考えていた。

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