第44話

 在り来たりの物で腹を満たした後は、恵理香と並んでベッドに寄りかかっていた。


「ごめんなさいね」


 何という顔をすると、性格が悪いからと恵理香は吐息をついた。


「二人で会った時もだいぶ絞られたんじゃない?」


「ま~それなりに」私は弱々しく呟いた。

「島さん・・・時間は?」


 スッと腰を上げてから私はベッドに横になった。


「どうせ帰ってもハンコ押すくらいしか、俺の仕事はねぇだろうし──」


 天井を見ながら吐息混じりの声を出した。


「帰らない・・・の?」

「帰った方がいいか?」


「もぉ、意地悪なこと訊くんだから」と恵理香は口を尖らせた。


 煌々と灯っていた明かりも消され、カーテン越しに伝わる僅かな照明の中で、私は恵理香の、そして恵理香は私の温もりを感じていた。黙ったまま薄暗い天井を眺めていると、様々なことが頭の中に交錯する。窶れもせず薬も飲んでいない恵理香が本当に自殺などするのだろうか。現状を見る限りではとても信じられないことだ。しかし、その結末を誰よりも知っているのは疑ってやまない私自身なのだ。となれば一緒に居られる時間にも限りがあるということなのか。



「なに考えてるの?おねぇちゃんのこと、それとも?」

「何って・・・おねぇさんも仕事で大変だなって」


「嘘っ!」恵理香は私の鼻をグイと摘んだ。

「いや、俺と会ったこと恵理香に話してたんだなって」


「おねぇちゃんね。ここに来て話したわ。でも島さんにはあんなこと言ってたけど、島さんのこと悪い人じゃないみたいねって。話してて何か感じたんでしょうね──」

「気休めにも聞こえるけどな~。だいたい一度や二度会ったくらいで良い人も悪い人もわかんね~だろ」


 信じがたい話と私は素っ気なくこたえた。


「ううん。ああ見えて仕事でいろんな人と接してるから、意外と人を見る目はあるのよ」

「もしだよ。もしそのおねぇさんと俺が一緒に暮らすことになったとしたらどう思う?」


「おねぇちゃんと・・・・・・」

「ごめん。今のは悪い冗談だよ」


「ううん。いいの。でも・・・・おねぇちゃんみたいな人こそ島さんと一緒に暮らした方が良いのかもしれないって、ちょっと思っちゃった。好きになれば性格も変わるんじゃないかって」


 自分から出した話題なのに、どう返事をしたらいいのかわからず、


「そういえば、浅利の話もお姉さんから聞いたよ」と話の矛先を変えてみた。

「浅利さん?島さん知ってるの?」


「ああ、今は隣の会社に居て、うちの担当なんだよ」

「アハ‥。そうなの!なんだか凄い偶然!浅利さん元気にしてる?」悪い過去では無かったのか恵理香の口調は明るかった。


「ああ、よくやってくれてるよ。だけど聞いた時は世間って狭いなって驚いちゃったけどな」

「ずっと昔、お友達みたいなお付き合いをしてたことがあるの。良く家にも遊びに来たりして、おねぇちゃんにもよく会ってたわ」


 この辺りの話は水月から聞いた通りだ。いずれにしろだいぶいい方向に書き換えられたようだ。内心ニンマリしながらその過去を味わっていた。


「ねぇ、島さん?さっきの話だけど・・・・」


「さっきの?」


「考えてもいいの?」と言った後で小さく結婚と付け加えた。


 音を立てぬよう私は唾を飲みこんだ。本気で結婚しようと思っていた。それが直前で手の中からするりと落ちてしまう。だからといって否定などは出来ない。何よりそれが恵理香の結末に繋がってしまうのではと危惧したからである。


「だけど、お姉さんはどう思うかな?年上の弟って」

「そうね」横から届いたのは幸せに満ちた声だ。今はやがて訪れる時までこの幸せの声を枯らしてはいけないと私は口を真一文字に結んだ。そうやって涙腺の緩みを食い止めたのだった。



 目を覚ますと隣に恵理香は居なかった。寝ぼけ眼に届くのはジューッという音と油の混じった香ばしい匂い。


「起きた?」と恵理香はこちらを振り返って笑みを漏らす。宛ら新婚の奥さんのようにも映った。促されるように顔を洗ってテーブルに着くと、チンと言う音の後にトーストが運ばれ、次に目玉焼きが目の前に置かれた。


「こんなものしかないんだけど・・・・」


 控え目な恵理香に私は首を振る。恵理香が腰を下ろしたのは昨夜、水月の居た場所だ。戴きますと言ってまじまじと顔を見る。既に化粧は整えられていた。仕事用のメイクなのか昨夜と雰囲気が違って見える。


 食事を済ませると時折時計を見ながら身支度を始めた。さすがに気まずかったのか、恵理香はユニットバスで着替えたようだ。五分もすると白のブラウスとライトグリーンのベストとスカートで現れた。西教習所の制服だ。


 思わず私は見入ってしまった。


「おかしい?」


「いや、なんだか、こんなところで見るとちょっとな」場所の違いか新鮮にも映った。しばらく眺めていたいくらいだ。そして、永遠に忘れないように記憶に刻みたかった。


「懐かしい?」

「言われてみれば、そんな感じもするな」


「またゆっくり見に来る?」

「ゆっくり!?」


「そ!取り消しになって」


 笑う声だけで気持ちを表現し、私は玄関へと向かった。


「今夜も来る?来るんだったら──」


 お買い物でもしてもっとマシな料理をと続けたのだろう。あえて私は言葉を遮るように掌をあげて様子も気になるからと恵理香に話した。恵理香も納得したようだった。


 睡魔に勝てず慌てて恵理香のコーポを飛び出したことがあったが、今回は自分の意思で一夜を過ごした。当然焦りもなければ、時間にも余裕があった。強いて同じことと言えば、近所の人の目が気になることぐらいか。


 キスの素振りだけ見せて、いってらっしゃいと手を挙げる。目がキラキラしている。もうここから結婚生活が始まっているのだろう。私はそれを断ち切らないよう微笑みながら小さく頷いた。

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