第37話
正直、いつぞやの水月と会うのなら家に真っ直ぐ帰りたい心境だった。ただ、水月としても煙のように途切れた話の続きがしたいのだと、仕事の終わろうとする夕方に連絡が入った。これは流れの範囲と私も承諾し、前回同様に『グッキーハウス』で落ち合うことにした。喫煙席でぼんやりタバコを吹かしながら、それとなく父親のことも訊いてみようかと考えていると、
「ごめんなさい!お呼び立てしておいて遅くなっちゃって──」とショルダーバッグを抱えた水月が顔を見せる。
いやと一言いってタバコをもみ消した。
「仕事帰りですか?」
紺色のスーツを見て尋ねると、見ればわかるわよねと言わんばかりに水月は顎だけちょっと動かした。
「今日はお腹の調子の方はどう?」
私の腹部に一旦目をやってから私の顔をじっと見つめる。キョトンとしていると、
「また、調子が悪いって三十分も籠られたんじゃ話も出来ませんから」と、釘を刺す言葉と表情を合わせ、何もないテーブルを見て呼び鈴を押す。少しして現れたウェイトレスに互いに注文を入れるとテーブルの上には沈黙が漂った。
やや免疫があるのが幸いだが、いずれこの水月と暮らし、抱くようになるなどとはとても今の状況からでは想像すら出来ない。
「それはそうと、ずいぶんお焼けになりましたね?」
一呼吸おいてから水月はこう切り出した。
「ちょっとね。海に行って来たもんで──」
「そう。お泊りで?お相手は訊かなくてもいいかしら?」
「どうせ同じような色をした人でも見たんだろ?」
回りくどい言い方に歩調を合わせて呟いてはみたが、特に水月の表情は変わらなかった。
「でも羨ましいわ。私なんかノルマに追われちゃってそれどころじゃないですもんね」
「ノルマか・・・・大変だね」と傍らに置いてあるショルダーバッグに目を向ける。
「そんなことより、今日は良い答えが聞けそう?」
同情など無用と私の言葉を無視するように切り込んできた。
「とりあえずは・・・・」
話す切っ掛けを呟いてから、私は言葉を選ぶように離婚の方向性を伝える。水月はそれを黙って聞いていた。
「家族を・・・・捨てるのね?」
「それを聞きたかったんじゃない?」
「別に聞きたかったわけじゃないわ。ただ・・・・残されたお子さん達が気の毒だなって」
自分や恵理香に重ねているのか、水月は視線を落として運ばれてきた飲み物に口を運んだ。
「そういえば・・・お父さんって?その・・・・」
その言葉に反応したかに視線を上げ、
「あの子・・・・恵理香ね?」チラッと壁に目を移してから溜息を少し加えて話した。
「お聞きになった通りよ。女を作って出て行っちゃったの。もうずいぶん前の話になるけど」
「そう・・・・。それでその後会ったりは?」
「無いわ。もうとっくに親とも思ってないし、向こうも子供だって思ってないんじゃない!?」
さばさばとした口調に今の心中が込められていただろうか。
「恵理香はどうかな?彼女のとこに顔を出すとか?」
「それは無いわ。だって恵理香が一人暮らしをしてるってことも知らないだろうし、そもそもあそこを知ってるのはお母さんと私くらいですからね。あ・・・それからもう一人居たわね」と水月はニヤッと意味ありげに私を見つめた。
「あとは管理人さんね」
「管理人か・・・・確かに」
思わずそう答えたものの、少しばかり水月と違って心は複雑だった。
「よく行くんですか?・・・・その‥水月さんは?」
会話の流れなのかつい私は名前を口に出してしまった。
「名前もお聞きになったのね」
「ああ・・・・まぁ・・・・」
すると姉はそっと私に顔を寄せて、
「もしかしてブラのサイズとかまでお聞きになってるの?」と小声で話した。
予想もしない話に面食らいつつ、つい水月のふくよかな胸元に目を向けてしまう。
もちろんそんな視線を見逃すはずも無かったが、あえて何も言っては来なかった。
「ギャンブル好きで、お酒も飲んで・・・・ろくな父親じゃなかったから、出て行ってくれてある意味スッキリしたかしら」
私に聞かせるというよりも独り言のようにも聞こえただろうか。
「島田さんってギャンブルは?」
「あ・・・俺はやらないよ。酒もほとんど飲めないし──」
「そう。じゃ、タバコと女だけね」
「女っていうのも何だか響きが悪いな」
「でも、奥さんだけじゃないでしょ?」
言われてみれば的を射ていると私は反論するのを止めた。それにしてもリラックスをも許さない水月の威圧感は前回よりも増してる感があって、知らぬ間に掌は汗ばんでいる。見えないようにそれをズボンで拭った。
「奥さんってご存じなの?このことって言うか──」
「いや・・・・たぶん・・・・まだ」
礼状が届けばすべてが明るみに出る。とは言え、これまでの経過を見る限りでは真由美が疑いを抱いた形跡はない。それもそのはず今の真由美はまったく別人だからだ。
「そう。でも人が良いっていうのか。私も馬鹿よね。自分の心配もしないで他人の色恋に世話を焼いてるんですから」
「自分の!?水月さんも彼と何か!? ──」
「フッ!それって嫌味?」
「いや・・・・そんなつもりじゃ」
「こんな女に彼が居るとでも?」
「こんな女って・・・・。人それぞれ魅力はあるんじゃないかな~」
「そうやっていつも女性を口説くの?でもモノは言い様ね」
「別にお世辞ってわけでも・・・・。予感って言うのか」
「予感!?」
「そう。いずれ相応しい人に巡り合うんじゃないかって」
その言葉にしばし私を見つめてから、傍らのショルダーバッグの紐を肩に掛け、テーブルの伝票に手を伸ばした。
「お呼び立てしたので私がお支払いしますから──」
スタスタと軽快な歩調でレジへと向かう。私は半分ほどのアイスコーヒーを再び飲み始める。氷も融けたからか味気なかった。
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