第36話

───「尿路結石!?」


 翌日、店に行くなり昨夜の出来事を圭ちゃんに伝えた。


「それはまた大変でしたね。まさかあんな馬鹿話の後でそんなことが島さんのところで起こるなんて───」


 圭ちゃんが驚くのも無理はない。私だって予想外の出来事なのだ。さすがにシナリオには無いとまでは言えなかったが・・・・。


「それでどうなんですか?具合っていうか!?」

「ま、特に治療ってのも無いらしくて、点滴はしたみたいだけど───」


 入院もせずに朝方には帰宅したことまで話すと、圭ちゃんもホッとしたように表情を緩めた。お盆休みが終わって今日から仕事始めだが、つまらぬ愚痴に聞こえるので寝不足の話は胸に仕舞い込んだ。病み上がりの圭ちゃんを労わるように休み明けの仕事はいつものように終了した。



───「どう?具合は?」


「ええ。痛みどめ飲んでからすっかり普通に戻っちゃったみたい。でも、あんなこと初めてだから驚いたわ」


「俺だってビックリしたよ。腹が痛いなんて言い出すからさ。もしかしてって!?」

「もう、またそれ!?大丈夫よ。ちゃんと計算はしてますから」


 帰宅早々にこんな話が出来るのも、何事も無く済んだことの象徴なのだろう。私は夕飯の支度をする真由美に声を掛けた後で、植木に水をやろうと庭へ出た。真由美が気になって早く帰ったことに加えて夏の時間帯だ。外はまだまだ明るかった。



 ふと、ホースに手を伸ばしかけた時、見られてるような視線を感じた。


 何気に目を移して私は身体が固まった。あの男。そう恵理香の父親が向かいの道路に立っていたのだ。



───「どうして知ってるんだって顔だな」


 真由美にちょっと出るからと告げて、私は男と共に近くの道路沿いの自販機が数台並ぶ場所まで歩いた。


「わざわざここまでご足労とはご苦労様です」

「そりゃ、皮肉かい?」


「どうに取ってもらっても結構ですけどね。それにしちゃ恵理香のところといい、ここといい良く調べたもんですね?」


「知り合いにそういう専門のやつが居てな。だからこんな芸当は朝飯前って・・・。おっと時間が時間だから夕飯前か?」


 笑えない冗談に真顔を続けていると、


「それにしちゃ、なかなか色っぽい奥さんじゃね~か」と男は厭らしそうに振り返った。

「そんな話をしにわざわざ来たわけじゃないんでしょう?」


 私の冷静な口調に男は表情を変え、


「それもそうだ。実はこの前話したアレはどうなったのかなってさ」


 と、親指と人差し指で丸を作った。


「金ですか!?」

「そう!慰謝料ってやつだ。手切れ金って言っても良いけどな」


「手切れ金?」


「ああ。それであんたの前からパッと姿を消す。もちろん恵理香んとこにも顔を出さない。悪い話じゃないだろ?」

「そんな話を信用しろとでも?後になって知らぬ存ぜぬじゃやってられませんよ」


「一筆書けってか!?」


 言ったところでまともに応じるはずはないと私は一先ずその金額を訊いた。


「百万!───。って言いたいところだけどな、今回は出血サービスで半額の五十万で手を打ってやる」


 それで本当に縁が切れるとしても安くはない。おまけに切れるという保証もない訳だ。


「で、その五十万を何に使うんです?」


 話の矛先を少しばかり変えようと私は渡すとも決まっていない使い道を尋ねてみた。


「そんなこたぁ~あんたには関係ね~だろ。ま~でも、出資者だから聞かせてやってもいいか。その金を元手にしてだな、さらに増やそうってわけだ。簡単にいえば投資みたいなもんだな」


 男は既にその金をも手中にしたかのように口の端を上げて、


「そうしたらあんな時化た女なんか捨てて、南国リゾートにでも行ってよ───」


 ここにも南国リゾートに憧れる男が居たかと、私は思わず苦笑を浮かべた。


「夢があっていいですね」もちろん皮肉を込めた言葉も付け加えた。

「金の話だったらわざわざこんなところまで来なくたって、店にでも寄ってくれた方が早かったんじゃないですか?」


「ま~な。でも店じゃ商売の邪魔になるかなってな。これでも気を遣ってんだぜ。そういやアートなんとかって店は何売ってんだい?」

「トラックの用品なんかを販売してるんですよ」


「───トラック!?」


 男の表情が一転するのがわかった。大金を手に飛行機に乗ろうとする直前で搭乗拒否を食らった感じだ。


「それってなんだ!?弄ったようなあれだ。トラック野郎みたいな連中も来るんか?」

「まぁ~、そういう人たちがほとんどですかね」


 明らかに雲行きが怪しくなった様子で、男はタバコに火を点けプカプカと忙しなく吸い始めた。


「・・・・さっきの話だけど───。二十万でもいいか・・・・」


 とても機嫌が良くなってのことには思えなかったが、こうして家に来られても面倒だと頭の中で考えを交錯させていた。二十万か・・・・・。


「いずれにしろ、ここには無いんで、払うとなったら店に来てもらえますかね?」


 私の話を聞きながらさらにタバコを吸いこむ。先が尖っていた。


「店は・・・・ちょっとな。なんだ、商売の邪魔になるっつーか!? ───」

「金は店に置いてあるんですよ。柄の悪そうなお客さんが出入りしてますけど、見た目と違ってみんな良い人ですから心配は要りませんよ」


 販売状況によってはそれ以上の金が置いてあることも珍しいことではない。ただ、普段はつり銭などだけでそこまでの金は用意していないが、何かを察した私はあえてそう言って男の顔色を窺った。


「ま~。その話はまた次回にでもするか──。こう見えて・・・・」


 私の背後にチラッと目を向けた途端、男は突然ポンとタバコを投げ捨て走り出した。時間はたっぷりあるような素振りだったのに、まるで何かに背を押されているかにさえ見える。 


 急用を思い出した感じでもないと、何気に後ろに目をやると、もの凄いスピードで迫る黒い車が見えた。瞬く間に私の横を通り過ぎていく。フィルムで中は見えなかったが、車はベンツだった。


 家に戻って水を撒き始めても、男の変わり様とあの黒のベンツが頭に引っ掛かって仕方がなかった。


「あなた───。その花にあげるのはもうそのくらいで良いんじゃない?」


 呆れたような声に我に返った私は、池と化した花壇を見て慌ててホースの向きを変える。その光景に真由美も千明も里美も一緒になって声を上げて笑った。


 どこの家から見ても幸せに満ちた絵面だろう。ただし、それはひょんなことで訪れた夢の一幕に過ぎないのだと、照れ臭そうに笑いながら思った。そして、ペンションから届く礼状によって、この皿の上に描かれた幸せは綿ではなくコンクリートの上に落ちて粉々になる。



 もちろん、その原因を作ったのは全て・・・・。

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