第33話

 目を開けると茶色い木製のドアが真っ白に変わっていた。横眼にはバスタブ。何気に腕を見ると黒味が増している。


(帰って・・・来たのか)


 恵理香の部屋だと認識した私は、何食わぬ顔で扉を開けて六畳間へと向かう。レースのカーテン越しに明るい光が差し込んでいた。


「あっと言う間って感じね」


 旅のことを指しているのだろうと私は相槌を打ち、エアコンで冷やされた空間で数分前とも思える出来事を回想した。


 あれだけ飲んで寝たわけだし、恵理香も見た時には別のベッドでグッスリ寝ていた。一先ず問題は起こらなかったはずだと、安心すると汗ばんだ身体が気になった。


「そうだ。シャワーでもするかな!?」自分の身体の匂いを嗅ぐように呟き、さらに一緒にどうかと誘ってみる。


「水着無しで?」

「邪魔者は来ないだろ?」


 ツンと口を尖らせた後で、タオルを取りだし始める。OKという意味なのだろうと胸を撫で下ろした時、



──ピンポーン♪


 と、部屋のチャイムが鳴った。私には水を差す音にも聞こえたが、どうせ数分遅れるだけのことだと上げ掛けた腰を戻した。


「どちらさまですか?」


「あ~、管理人なんですが、水道の調子を伺いたいと思いまして──」


「あ‥はい。ちょっとお待ちください」


 そう言いながらドアの鍵を捻って扉を五センチほど開けると、突然スッと勢いよく扉が開いて一人の男が飛び込んできた。余りの素早さに恵理香は後ずさりして壁に背中を打ちつけていた。



「お・・・お父さん!?」


 その声に私は思わず目を見開いた。


「悪かったな~!管理人さんじゃなくて──」

「何しに来たのよ!」


「何しにってまた随分な挨拶だな。顔を見に寄ったんじゃないか」


 言い終わる前に靴を脱ぐと、まるで我が家といった調子で上がり込んできた。


「おっ!またあんたかい?」


 チラッとこちらに目を向けた後で、窓際まで歩くとレースのカーテンを僅かばかり開けて外を眺める。眺めるというよりも様子を伺うといった感じだ。そしてすぐさま空色のカーテンを一気に閉めた。


「カーテンなんか閉めたら暗くなるじゃないの!」


 背後からの声に男は、

「良いんだよ。明るい話をしようってわけじゃね~んだから」


 そう言って私の前にドカッと腰を下ろし、すぐにクシャクシャになった箱からタバコを取り出して火を点ける。フーッと一息煙を吐き出して私をにらんだ。


「もう!タバコなんか吸わないでよ!」


「あん!?吸えって灰皿がここに置いてあるじゃねーか。まさか他人には吸わせて肉親はダメってこたぁねーよな~」


「肉親だなんて良く言えるわね?」


 恵理香の皮肉も耳から耳で、


「おっ!ずいぶん焼けてるじゃねーか」


 ニヤリと男は私と恵理香に目を走らせる。


「二人で海にでも行って来たってか!?それで良いこともついでにしてきたと──」

「関係ないじゃない!そんなこと。それよりも早く帰ってよ!」


「せっかく来たのに帰れはね~だろ。な~?」


 私に同意でも求めるかの口調だ。


「それにしちゃ管理人だなんて、ずいぶん手の込んだことをするんですね」


 呆れたように私が言うと、


「なかなかの演技だったろ?そうでもしね~と、あんたみたいに入れてもらえね~からさ~」


 と、男は無精ひげをジョリジョリと摩った。恵理香は二人を見下ろすように立ち尽くしたままだ。


「な~!恵理香。お前は知ってんのか?こいつに女房がいるってことを」

「そんなの関係ないでしょ!」


「知ってるかって訊いてんだよ!」語気がやや強くなった。

「・・・・・知ってる‥わよ。それが何!?」


「何!?じゃね~だろ。不倫を楽しんでるってわけだ」

「女作って出てった人にそんなこと言われたくないわ」


「血筋は争えねーな」


 一言呟いて男はじろっと恵理香を見上げた。


「顔も見たんだからもう帰ってもらえませんかね?」


 いきなり現れた男に、どう対応していいものか正直戸惑っていた。従って気の利いた台詞も思い浮かばずに、一先ず終わらせたいと口を開いたのだ。


「帰れってか。帰るのは俺じゃなくて、あんたの方だろ?奥さんの居る家にな」

「・・・・・」


「なんなら一緒に行ってやっても良いんだぜ。いろいろ奥さんも聞きたい話があるだろうからさ」ニヤッと笑った後で、目を細めて言う。


「どうする?一人で今帰るか?それとも──?」


 これ以上迷惑も掛けられないと思ったのか、恵理香は弱々しい声を出した。


「島さん・・・・」


 何をすべきかということを恵理香の声に感じ取った。私はゆっくりと腰を上げ扉へと歩きはじめた。


「悪いなっ。今日は親子で水入らずな話をしに来たんでさ。そうそう!あんたにも話があるからまたいずれな」


 途中、恵理香に目線を送って小さく頷いた。恵理香も似たような仕草を見せた。これだけで十分会話は成り立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る